認められても、認められても、苦しい。その「底なしの承認欲求」の正体

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誰かに認められないと、自分の価値がゼロになった気がして不安になる。そんな経験はありませんか?😥

特にお手本にしている人や、周囲にいるカリスマ的な存在に認められなければ「すべてが終了」とまで思い詰めてしまう。その極端な思考の背景には、実はとても切ない心の仕組みが隠れています。


マズローの欲求階層説では、
承認欲求は誰もが持つ自然な本能だとされています。
けれど、それがエスカレートして苦しくなるのは、今の状態が「欠乏動機」、つまり足りないものを外から埋めようとする必死の生存戦略になっているからです。

例えるなら、今のあなたは底に穴が開いたバケツに、必死で水を注いでもらおうとしている状態かもしれません。

外からの評価という「水」は、注がれた瞬間は潤いを与えてくれますが、
器である自分自身に「底」がなければ、いくら注いでもらってもすぐに空っぽになってしまいます。
その空虚さが怖くて、もっと強い水圧で、もっと特別な人から注いでほしいと求めてしまう。これが、欲求が止まらなくなる正体です。


この「バケツの底」が育ちにくかった背景には、
幼少期からの愛着パターンの歪みが隠れていることも少なくありません。

成長の過程で、ありのままの自分を受け止めてもらう経験が不足していると、
人は「何かを達成した自分💡」という条件付きの愛しか信じられなくなります。特定の誰かに過剰に執着し、「あの人に認められなければ詰み!!!😭」などと思い詰めてしまう時、そこには自分と相手の境界線が混ざり合い、自分の価値を決めるハンドルを相手に丸投げしてしまっている危うさがあります。


心理学ではこれを「投影」と呼びますが、
本当は自分で自分に送りたい「よくやってるよ」という承認の言葉を、自分では許可できないからこそ、憧れの相手というスクリーンに映し出して、代わりに言ってもらおうとしているのです。
あなたが喉から手が出るほど欲しがっているのは、カリスマの称賛そのものではなく、相手の口を借りて確認したかった「自分自身の存在価値」なのだと思います。


私ルーム718は日々、
多くの愛着パターンに由来する苦しみを多くお聴きしてきました。
承認欲求がこれほどまでに強い人は、それだけ自分に対して高い期待を持ち、理想が高く、一生懸命に生きようとしているエネルギーに溢れた人だということを感じ取っています。なので、一旦「私は真面目で一生懸命なのだ」と、ご自身を受け止めてください。

だからこそ、外に水を求める手を一度止めて、
バケツの底を修理することから始めましょう。
「成果を出せていない自分」や「誰にも褒められていない状態の自分」を、ただの実態として淡々と認め、自分という存在をまるっと受け入れ、完全ではないことはごく普通のことなのだ、と考えてみるのはどうでしょう?


特別な人間にならなくていい。
誰かの役に立たなくてもいい。
まずは、「今、私は誰にも認められていなくて寂しいと感じているんだな」と、自分舞台の今のシーンに自分だけが同席してあげることです💝 
完璧主義を手放すということは、
評価という「水」を足そうとするのをやめて、
器が空っぽだったとしても、ただそこにいる自分を許してあげるということです。
その「何者でもない自分」と静かに向き合う時間こそが、
自分を認める土台となり、開いた穴を塞ぐための唯一の材料になります。

他人の拍手がなくても、あなたは最初からそこにいていいのです。
小さな成功体験は人に見せるものではなく、自分を慈しむ自画自賛でいいんです!☺️👌

自分の価値を他人に委ねる競争から、そろそろ降りてみませんか。


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