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認められても、認められても、苦しい。その「底なしの承認欲求」の正体

誰かに認められないと、自分の価値がゼロになった気がして不安になる。そんな経験はありませんか?😥特にお手本にしている人や、周囲にいるカリスマ的な存在に認められなければ「すべてが終了」とまで思い詰めてしまう。その極端な思考の背景には、実はとても切ない心の仕組みが隠れています。マズローの欲求階層説では、承認欲求は誰もが持つ自然な本能だとされています。けれど、それがエスカレートして苦しくなるのは、今の状態が「欠乏動機」、つまり足りないものを外から埋めようとする必死の生存戦略になっているからです。例えるなら、今のあなたは底に穴が開いたバケツに、必死で水を注いでもらおうとしている状態かもしれません。外からの評価という「水」は、注がれた瞬間は潤いを与えてくれますが、器である自分自身に「底」がなければ、いくら注いでもらってもすぐに空っぽになってしまいます。その空虚さが怖くて、もっと強い水圧で、もっと特別な人から注いでほしいと求めてしまう。これが、欲求が止まらなくなる正体です。この「バケツの底」が育ちにくかった背景には、幼少期からの愛着パターンの歪みが隠れていることも少なくありません。成長の過程で、ありのままの自分を受け止めてもらう経験が不足していると、人は「何かを達成した自分💡」という条件付きの愛しか信じられなくなります。特定の誰かに過剰に執着し、「あの人に認められなければ詰み!!!😭」などと思い詰めてしまう時、そこには自分と相手の境界線が混ざり合い、自分の価値を決めるハンドルを相手に丸投げしてしまっている危うさがあります。心理学ではこれを「投影」と呼びますが、本当は自分で自分に送りたい「よく
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毒親育ちの人との付き合い方

〜疲れない関係を作る3つのヒント〜今まで、PCでココナラにログインしたことがなく、今日初めて用事があって、PCでログインしてみたら、ブログをここから投稿できると知りました。(天然…。😅)なので、初記事をアップしてみようと思います。私は主に、毒親育ちが背景にある対人関係などのお悩みを専門としている心理カウンセラーです。私自身が機能不全家庭で育ち、まあいろいろとあったのですが、だいぶ端折って今日は毒親育ちの人と関わっている側の方が当事者とうまく付き合うヒントのような記事を公開します。「一緒にいると、なんで私ばかり疲れるんだろう…」親しい人だったり、お付き合いしている方、配偶者…そんな人が、あなたの周りにいて疲弊していませんか?その人はもしかしたら、“毒親育ち”かもしれません。親との関係で傷ついた人は、育ちの背景から無意識に「相手を喜ばせなきゃ」「嫌われたら終わり」と感じやすく、その延長で、恋人や友人、職場の人間関係でも苦しくなってしまうことがあります。💡なぜあなたは疲れるのか毒親育ちの人の多くは、自分の感情よりも相手の感情を優先してしまう癖があります。だから、どんなに優しくされても「相手に気をつかわせてしまった」「迷惑をかけた」と感じてしまい、感情のジェットコースターになって振り回してきたり、愛情を素直に受け取れないことがあります。その結果、関わる側(あなた)は「どこまで踏み込んでいいの?」「ちゃんと愛情を与えているのにこれ以上何を求めているの?」と疲れてしまいます。ここで大事なのは、「相手を変えようとしない」こと。その人がそう振る舞うのは、長年“そうしないと愛されなかった”環境で
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境界を持つということ

先週は60代半ばの男性、そして未成年の女性のヒアリングを行いました。その中で、自分でも「特に気を付けないといけないな」と感じさせられたのが、境界線の設定と提示でした。傾聴をしていると、最初は「この人になら理解してもらえる」という安心感から始まります。それ自体はとても大切な感覚です。人は安心できる場でこそ、自分の感情に触れられるから。ただ、その安心感が積み重なると、「なんでも話していい」へ。さらに一歩進むと、時にそれが「なにをしてもいい」という感覚へ変質してしまうことがあります。ここが、支援や相談の場でいちばん注意したいところだと思います。傾聴の場では、本来「時間・目的・場所」などを設定することで、自然と互いの距離が生まれます。その距離があるからこそ、関係は健全になり、安心は“安心のまま”保たれる。むしろ、境界があるから信頼できる、という側面もあります。けれど、これが家族や恋人、近しい友人となると、境界線は急にぼやけます。時間も場所も目的も曖昧になり、「いつでも」「どこでも」「なんでも」が起きやすくなる。そしてその曖昧さは、親密さの証みたいに扱われることすらあります。よく言いますよね。「人は一番親しい人に最も攻撃的になる」。私は、この原理の背景に“境界の消失”があると思っています。一番近い相手だからこそ、礼節が薄れ、甘えが生まれ、やがて相手の心や時間を“自分のもの”のように扱ってしまう。それは悪意というより、境界がなくなった時に起きる自然な歪みなのかもしれません。だから私は、多少言葉や態度がゆるくなることはあっても、「人として一定の礼節は重んじよう」と意識しています。同時に、“依
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私の元パートナーと、境界線の話

元パートナーとは、いろいろなことが積み重なった末に別れを選びました。嫌いになったからではなく、むしろ「これ以上この形では続けられない」と理解したからこその別れです。それでも、縁が完全に切れたわけではなく、友人としての交流は時々続いています。連絡を取り合ったり、たまに顔を合わせたり。外から見れば「大人な関係」に見えるのかもしれません。でも、その中で私はずっと、ある違和感を抱えていました。相手は、悪意があるわけではないのに、こちらの境界線を見境なく踏み越えてくる。こちらが「それはできない」「そこまでは引き受けられない」と線を引くと、言葉ではなく、不機嫌や沈黙や圧で返してくる。まるで、無意識のうちに「まだ自分の影響下にいるよね?」「前と同じ位置に戻ってくれるよね?」と確かめるように感じます。私はそれに気づいてから、毅然と断るようになりました。でも、ただ断るだけでは済まない現実もありました。刺激しすぎないように。相手を追い詰めないように。感情を爆発させないように。断ること自体よりも、断り方に神経を使い続けなければならないことが、想像以上に消耗する。それでも私が関係を完全に断ち切らないのは、これまでお世話になった事実があり、相手を「人として大切に扱いたい」という気持ちが、確かにあるからです。だけど、そのたびに心の奥で、もう一人の私が叫びます。「私は大切にされていないのに?」「どうして、私ばかり配慮し続けなきゃいけないの?」「境界線を守るだけで、こんなに疲れなきゃいけないの?」この矛盾した気持ちは、誰かに優しくしたいと考える人ほど、抱えやすいのだと思います。相手を切り捨てたくない。でも、自
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