先週は60代半ばの男性、そして未成年の女性のヒアリングを行いました。
その中で、自分でも「特に気を付けないといけないな」と感じさせられたのが、境界線の設定と提示でした。
傾聴をしていると、最初は「この人になら理解してもらえる」という安心感から始まります。
それ自体はとても大切な感覚です。人は安心できる場でこそ、自分の感情に触れられるから。
ただ、その安心感が積み重なると、
「なんでも話していい」へ。
さらに一歩進むと、時にそれが
「なにをしてもいい」
という感覚へ変質してしまうことがあります。
ここが、支援や相談の場でいちばん注意したいところだと思います。
傾聴の場では、本来「時間・目的・場所」などを設定することで、自然と互いの距離が生まれます。
その距離があるからこそ、関係は健全になり、安心は“安心のまま”保たれる。
むしろ、境界があるから信頼できる、という側面もあります。
けれど、これが家族や恋人、近しい友人となると、境界線は急にぼやけます。
時間も場所も目的も曖昧になり、「いつでも」「どこでも」「なんでも」が起きやすくなる。
そしてその曖昧さは、親密さの証みたいに扱われることすらあります。
よく言いますよね。
「人は一番親しい人に最も攻撃的になる」。
私は、この原理の背景に“境界の消失”があると思っています。
一番近い相手だからこそ、礼節が薄れ、甘えが生まれ、やがて相手の心や時間を“自分のもの”のように扱ってしまう。
それは悪意というより、境界がなくなった時に起きる自然な歪みなのかもしれません。
だから私は、多少言葉や態度がゆるくなることはあっても、
「人として一定の礼節は重んじよう」
と意識しています。
同時に、“依存に近い関係性”を予防するためには、最初に約束を言葉にしておくことが必要だとも感じました。
「時間・目的・場所」
これらを明確にすることで、健全な距離はつくれます。
距離をつくるのは冷たさではなく、関係を守るための設計です。
なので私は、傾聴の際によく、
「ここで話したことを、信頼できる人や安心できる場所でも、少しずつ使ってみたり、話していけるといいですね」
とお伝えすることがあります。
人は、何かに依存せずに生きることはできません。
ただ、その依存先は、ひとつである必要はないし、必ずしも“人”でなくてもいい。
複数の支えがあること。
気持ちを置ける場所が、いくつかあること。
それが、関係を重たくしすぎず、長く大切にしていくための土台になるのだと思っています。