私の元パートナーと、境界線の話

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元パートナーとは、いろいろなことが積み重なった末に別れを選びました。嫌いになったからではなく、むしろ「これ以上この形では続けられない」と理解したからこその別れです。

それでも、縁が完全に切れたわけではなく、友人としての交流は時々続いています。連絡を取り合ったり、たまに顔を合わせたり。外から見れば「大人な関係」に見えるのかもしれません。

でも、その中で私はずっと、ある違和感を抱えていました。

相手は、悪意があるわけではないのに、こちらの境界線を見境なく踏み越えてくる。こちらが「それはできない」「そこまでは引き受けられない」と線を引くと、言葉ではなく、不機嫌や沈黙や圧で返してくる。

まるで、無意識のうちに「まだ自分の影響下にいるよね?」「前と同じ位置に戻ってくれるよね?」と確かめるように感じます。

私はそれに気づいてから、毅然と断るようになりました。でも、ただ断るだけでは済まない現実もありました。

刺激しすぎないように。相手を追い詰めないように。感情を爆発させないように。

断ること自体よりも、断り方に神経を使い続けなければならないことが、想像以上に消耗する。

それでも私が関係を完全に断ち切らないのは、これまでお世話になった事実があり、相手を「人として大切に扱いたい」という気持ちが、確かにあるからです。

だけど、そのたびに心の奥で、もう一人の私が叫びます。

「私は大切にされていないのに?」「どうして、私ばかり配慮し続けなきゃいけないの?」「境界線を守るだけで、こんなに疲れなきゃいけないの?」

この矛盾した気持ちは、誰かに優しくしたいと考える人ほど、抱えやすいのだと思います。

相手を切り捨てたくない。でも、自分をすり減らしたくもない。

最近ようやく分かったのは、この苦しさは「冷たくなれない弱さ」ではなく、自分の境界線を学び直している途中の痛みだということです。

誰かを大切にすることと、自分を犠牲にすることは、同じではない。

恩があったとしても、過去に支え合った時間があったとしても、今の自分を苦しめ続ける関係を無条件に引き受ける必要はない。

私は今、相手を尊重しながら、同時に自分も守る、その不器用な練習をしています。

もしこの文章を読んで、「自分のことかもしれない」と感じた人がいたら、あなたが感じている違和感は、間違いではない。

境界線を引くことは、攻撃じゃない。それは、生き延びるための選択であり、自分を大切にするための技術なのだと思います。
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