『ベリ恋♡ ――世界で一番、甘いしるし。』 2

コンテンツ
音声・音楽

オリジナル曲とオリジナル小説のコラボ作品です。

ジャンル

現代青春恋愛小説

前回の続きです。

オリジナル曲紹介
この小説からオリジナル曲『ベリ恋♡』が誕生しました。
最初の曲タイトルは「ストロベリー・トリップ♡恋の食べ放題」でしたが
今風の曲タイトルに『ベリ恋♡』に変更して曲をリリースしました。
ぜひ、小説を読みつつ聴いて頂ければ嬉しいです。
ベリ恋♡2曲有ります。
Remix版


第3章:人混みの中の確信と揺らぎ


第1節「迷子にならないで」


 いちごフェスから帰る途中、私たちは横浜駅の地下街を歩いていた。

 時刻は午後5時を過ぎたばかり。週末の夕方ということもあり、人混みはどんどん増していった。

「すごい人ですね」

「うん。さっきのフェスより多いかも」

 蓮さんが、少し困ったような顔をした。

 私たちは手を繋いで歩いていたけれど、人の波に押されて、何度か離れそうになった。

「芽衣、大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

 でも、本当は少し不安だった。

 こんなに人が多いと、一瞬で見失ってしまいそうで。

「あ、見て。あそこにスイーツのお店がある」

 私が指差した先には、新しくオープンしたらしいパティスリーがあった。ショーウィンドウには、美しいケーキが並んでいる。

「綺麗ですね」

「うん。でも、今日はもういちごでお腹いっぱいだよね」

「そうですね。また今度来ましょう」

 そう言って、私たちは先に進もうとした。

 その時だった。

 急に後ろから、大きな団体客の波が押し寄せてきた。修学旅行らしい高校生たちが、わいわいと騒ぎながら通り過ぎようとしている。

「わ……!」

 私は思わず、蓮さんの手を強く握った。

 でも、人の波は容赦なく、私たちの間に割って入ってきた。

「蓮さん!」

「芽衣!」

 気づいたときには、私たちの手は離れていた。

 人混みに押されて、私は蓮さんから2メートルほど離れた場所にいた。

「蓮さん!」

 もう一度呼びかけたけれど、声は人混みに消えていく。

 蓮さんも、私を探して周りを見回している。

 心臓が早く鳴る。

 たった2メートルなのに、すごく遠く感じる。

 人の流れは止まらない。むしろ、どんどん私を蓮さんから遠ざけていく。

「蓮さん……!」

 私は必死に、蓮さんの方へと進もうとした。

 でも、人混みに阻まれて、なかなか前に進めない。

 その時だった。

「芽衣!」

 蓮さんの声が、すぐ近くで聞こえた。

 振り向くと、蓮さんが人混みをかき分けて、私の方に向かってきていた。

 そして、私の手を強く握った。

「捕まえた」

 蓮さんの手は、少し汗ばんでいた。きっと、必死に私を探してくれたんだろう。

「蓮さん……」

「ごめん。手、離しちゃって」

「いえ、私こそ……」

 蓮さんは、私の手をさらに強く握った。

「もう離さない。迷子にならないで」

 その言葉に、涙が出そうになった。

「はい……」

 私も、蓮さんの手を強く握り返した。

 人混みはまだ続いていたけれど、もう怖くなかった。

 蓮さんが、私の手を握っていてくれる。それだけで、安心できた。

「ねえ、ちょっとあそこで休憩しようか」

 蓮さんが、近くのベンチを指差した。

「はい」

 私たちは人混みを抜けて、地下街の端にあるベンチに座った。

 ようやく、一息つける。

「びっくりしたね」

「はい……心臓、まだドキドキしてます」

「俺も。芽衣が見えなくなったとき、すごく焦った」

 蓮さんは、私の手を両手で包み込んだ。

「たった数秒だったのに、すごく長く感じた」

「私もです……」

 蓮さんの顔を見ると、本当に心配そうな表情をしていた。

「ごめんね。俺が、もっとしっかり手を握ってれば」

「そんな、蓮さんのせいじゃないです」

「でも……」

「人が多かったから、仕方ないです」

 私は、蓮さんの手をぎゅっと握った。

「でも、すぐに見つけてくれて、ありがとうございます」

「当たり前だよ。芽衣のこと、見失うわけないから」

 その言葉に、胸が温かくなった。

「蓮さん……」

「芽衣は、俺にとって大切な人だから。絶対に、離したくない」

 蓮さんの目は、真剣だった。

「俺、さっき思ったんだ。もし芽衣がいなくなったら、どうしようって」

「蓮さん……」

「まだ付き合って1ヶ月も経ってないのに、こんなこと言うの変かもしれないけど」

 蓮さんは、少し恥ずかしそうに笑った。

「もう、芽衣がいない生活、考えられないんだ」

 その告白に、私の心臓は激しく鳴った。

「私も……私も、同じです」

「本当?」

「はい。蓮さんがいない生活なんて、もう想像できないです」

 私たちは、お互いを見つめ合った。

 周りには、相変わらず人が行き交っている。

 でも、今この瞬間、私たちだけの世界があるような気がした。

「ねえ、芽衣」

「はい?」

「俺、芽衣のこと、本気で好きだよ」

「私も……本気で、蓮さんのこと好きです」

 蓮さんは、私の頭をぽんぽんと撫でた。

「ありがとう。そう言ってもらえて、嬉しい」

「こちらこそ……」

 私は、蓮さんの胸に顔を埋めた。

 蓮さんの心臓の音が聞こえる。早く、鳴っている。

 きっと、私と同じくらい、ドキドキしているんだろう。

「ねえ、蓮さん」

「うん?」

「私、実は……ずっと不安だったんです」

「不安?」

 私は、顔を上げて、蓮さんを見た。

「はい。私なんかと付き合って、蓮さんは本当に幸せなのかなって」

「芽衣……」

「私、不安になりやすいし、心配性だし。時々、蓮さんに迷惑かけてるんじゃないかって思っちゃって」

 正直な気持ちを吐露すると、蓮さんは優しく微笑んだ。

「迷惑なんかじゃないよ」

「でも……」

「芽衣が不安になるのは、俺のことを真剣に考えてくれてるからでしょ?」

「それは……そうですけど」

「だったら、全然迷惑じゃない。むしろ、嬉しいよ」

 蓮さんは、私の頬に手を添えた。

「俺も、完璧じゃない。不器用だし、鈍感だし、芽衣を不安にさせちゃうこともあると思う」

「そんなことないです!」

「いや、あるよ。だって、人間だもん」

 蓮さんは、少し自嘲気味に笑った。

「でも、だからこそ、お互いに支え合えたらいいなって思うんだ」

「支え合う……」

「うん。芽衣が不安なときは、俺が支える。俺が迷ったときは、芽衣が支えてくれる」

「そうやって、二人で一緒に歩いていけたらいいなって」

 蓮さんの言葉が、胸に染み込んでいく。

「ねえ、芽衣。俺たち、完璧なカップルじゃないかもしれない」

「でも、それでいいと思うんだ。完璧じゃないからこそ、一緒にいる意味があるんじゃないかな」

 その言葉を聞いて、私は思い出した。

 いちごフェスで、咲さんが言っていたこと。

 「規格外でも、愛せるよ」

 形が不揃いでも、大きさがバラバラでも、それが個性。それが魅力。

 私たちも、同じなんだ。

「蓮さん……ありがとうございます」

「何が?」

「私、ずっと完璧じゃなきゃって思ってました。完璧な彼女にならなきゃ、蓮さんに見捨てられちゃうって」

「でも、違うんですね。完璧じゃなくていいんですね」

 蓮さんは、力強く頷いた。

「うん。完璧じゃなくていい。芽衣は、芽衣のままでいてくれたらいい」

「不安になったら、俺に言って。一緒に考えよう」

「はい……」

 私は、また蓮さんに抱きついた。

 蓮さんも、私を優しく抱きしめてくれた。

「芽衣、好きだよ」

「私も……大好きです」

 しばらく、そうしていた。

 周りの喧騒が、遠くに感じられた。

 今、この瞬間が、永遠に続けばいいのにと思った。

 やがて、私たちは立ち上がった。

「さて、そろそろ帰ろうか」

「はい」

 私たちは、再び手を繋いで歩き始めた。

 でも、さっきよりも強く、手を繋いでいた。

 もう、離れたくない。

 そんな思いが、お互いの手から伝わってくる気がした。

「ねえ、芽衣」

「はい?」

「次のデート、どこ行きたい?」

「えっと……特にこだわりはないです。蓮さんと一緒なら、どこでも楽しいですから」

「じゃあ、俺が計画立ててもいい?」

「もちろんです! どこに連れて行ってくれるんですか?」

「それは、当日のお楽しみ」

 蓮さんは、いたずらっぽく笑った。

「えー、気になります!」

「楽しみにしててね」

「はい!」

 私たちは、笑い合いながら駅へと向かった。

 改札を通り、ホームへと降りる。

 ちょうど電車が入ってきた。

「乗ろうか」

「はい」

 電車に乗り込み、私たちは並んで座った。

 蓮さんの肩に、そっと頭を預ける。

「疲れた?」

「少しだけ。でも、幸せな疲れです」

「そっか。良かった」

 蓮さんは、私の頭を優しく撫でた。

「今日、楽しかったね」

「はい、すごく楽しかったです」

「いちごフェス、また来年も行こうね」

「はい、絶対行きましょう」

 私は、蓮さんの手を握った。

「蓮さん、約束してください」

「何を?」

「来年も、一緒にいちごフェスに行くって」

「もちろん。約束する」

 蓮さんは、小指を差し出した。

 私も、小指を絡めた。

「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます」

 子どもみたいな約束だけど、今の私たちには、それが一番しっくりくる気がした。

「約束したからね」

「うん、約束した」

 電車が走り出す。

 窓の外には、夕暮れの街が流れていく。

 私は、ふと思った。

 今日、人混みの中で手が離れたとき、本当に怖かった。

 蓮さんを見失うことが、こんなにも恐ろしいことだとは思わなかった。

 でも、同時に気づいた。

 蓮さんも、私と同じくらい、必死に私を探してくれていたんだと。

 私を大切に思ってくれているんだと。

 その確信が、私の心を満たしていく。

「ねえ、蓮さん」

「うん?」

「さっき、『迷子にならないで』って言ってくれましたよね」

「うん、言った」

「あれ、すごく嬉しかったです」

「そう?」

「はい。蓮さんが、私のことを守ってくれるって感じがして」

 蓮さんは、優しく微笑んだ。

「当たり前だよ。芽衣のこと、守りたいもん」

「私も……蓮さんのこと、守りたいです」

「ありがとう」

 私たちは、また手を握り合った。

 電車の揺れに合わせて、二人の体が少し揺れる。

 でも、手は離れない。

 もう、絶対に離さない。

 そんな決意が、私の中に芽生えていた。

 次の駅で、何人かの乗客が降りていった。

 車内が少し空いて、静かになる。

 私は、蓮さんの肩に頭を預けたまま、目を閉じた。

 今日一日の思い出が、走馬灯のように蘇ってくる。

 いちご大福、パフェ、咲さんのトークショー。

 そして、人混みの中で手を離してしまったこと。

 でも、すぐに蓮さんが見つけてくれたこと。

 全部が、大切な思い出だった。

「蓮さん」

「うん?」

「私、今日、すごく幸せでした」

「俺も」

「これからも、ずっと一緒にいたいです」

「うん。ずっと一緒にいよう」

 蓮さんの声が、優しく響いた。

 私は、その声を聞きながら、少しうとうとしてしまった。

 どのくらい経っただろうか。

「芽衣、次の駅だよ」

 蓮さんの声で、目が覚めた。

「あ……寝ちゃってました?」

「うん。でも、気持ち良さそうだったから、起こさなかった」

「ごめんなさい……」

「謝ることないよ。可愛かったから」

 その言葉に、顔が赤くなる。

「もう……」

「さ、降りよう」

 電車を降りて、改札を出る。

 駅前で、私たちは別れることになった。

「今日、本当にありがとうございました」

「こちらこそ。楽しかった」

「また、連絡しますね」

「うん。待ってる」

 蓮さんは、私の頭をぽんぽんと撫でた。

「気をつけて帰ってね」

「はい。蓮さんも」

「うん」

 別れ際、蓮さんが私の手を握った。

「芽衣」

「はい?」

「俺、本当に芽衣のこと、好きだから」

「私も……大好きです」

「じゃあ、また」

「はい、また」

 私たちは、手を離した。

 蓮さんが、反対方向へと歩いていく。

 私も、自分の家の方向へと歩き始めた。

 でも、何度も振り返ってしまう。

 蓮さんも、振り返って手を振ってくれた。

 私も、手を振り返す。

 そうやって、何度も振り返りながら、私たちは離れていった。

 家に着いて、部屋に入る。

 ベッドに座り込み、今日一日を振り返った。

 スマホの写真フォルダには、今日の写真がたくさん並んでいる。

 いちごのスイーツ、会場の風景、そして蓮さんの笑顔。

 一枚一枚を見返しながら、私は幸せな気持ちに包まれた。

 でも、同時に不安もあった。

 この幸せは、いつまで続くんだろう。

 私たちは、これからもずっと一緒にいられるんだろうか。

 そんな不安が、頭をよぎる。

 でも、すぐに思い直した。

 蓮さんは言ってくれた。「迷子にならないで」って。

 私を守ってくれるって。

 だったら、信じよう。

 蓮さんを、そして私たちの未来を。

 スマホに、メッセージが届いた。

 蓮さんからだった。

『無事に帰れた? 今日は本当に楽しかった。また次のデート、楽しみにしてるね。おやすみ、芽衣』

 私は、笑顔で返信した。

『無事に帰りました! 今日は本当にありがとうございました。次のデートも楽しみです。おやすみなさい、蓮さん』

 メッセージを送信して、私はベッドに横になった。

 今日の幸せな気持ちを抱きしめながら、眠りについた。

 人混みの中で手を離してしまったけれど、すぐに見つけてくれた蓮さん。

 その優しさと強さに、私はますます惹かれていく。

 これからも、一緒に歩いていこう。

 手を繋いで、絶対に離さないで。

 そんな決意を胸に、私は眠りに落ちていった。



第2節「季節の変わり目」


 3月25日、水曜日。

 春分の日を過ぎ、桜の開花が始まった頃だった。

 でも、私の心には春の訪れを感じる余裕がなかった。

 会社のデスクで、私は疲れた顔でパソコンの画面を見つめていた。

 時刻は午後9時。オフィスには、まだ何人かの同僚が残業している。

「水瀬さん、大丈夫? 顔色悪いよ」

 隣の席の先輩、川島夏美が心配そうに声をかけてくれた。

「はい、大丈夫です……」

 そう答えたものの、声に力がないのは自分でも分かっていた。

「嘘。全然大丈夫そうに見えないけど」

 夏美は、私の顔を覗き込んだ。

「最近、ずっと遅くまで残ってるよね。何かあった?」

「いえ、ただ仕事が立て込んでて……」

 それは嘘じゃなかった。

 先週から、新しいプロジェクトが始まり、私は毎日深夜まで残業していた。

 でも、それだけじゃなかった。

 一週間前、父が体調を崩して入院したのだ。

 幸い、大事には至らなかったけれど、医者からは「しばらく安静が必要」と言われていた。

 母は既に亡くなっていて、父と二人暮らしの私は、仕事の合間を縫って病院に通う日々が続いていた。

「水瀬さん、無理しないでね。体壊しちゃうよ」

「ありがとうございます……でも、このプロジェクト、私が担当だから」

「分かるけど、でも……」

 夏美は、何か言いかけて口を閉じた。

「彼氏さんには、相談した?」

 その言葉に、私は少し胸が痛んだ。

「いえ……まだ」

「どうして? あんなに仲良さそうなのに」

「心配かけたくなくて……」

 正直に答えると、夏美はため息をついた。

「それ、逆効果だと思うけどな」

「え?」

「だって、彼氏さん、きっと心配してるよ。最近、芽衣ちゃん、元気ないもん」

「そんなこと……」

「あるよ。私が見ても分かるくらいだから」

 夏美の言葉が、胸に刺さった。

 確かに、最近蓮さんに会えていなかった。

 メッセージのやり取りは続けていたけれど、デートは2週間もしていない。

 蓮さんからは何度も「会いたい」と言われていたけれど、私は「ちょっと忙しくて」と断り続けていた。

 本当のことを言えば良かったのに。

 でも、言えなかった。

 蓮さんに心配かけたくない。弱いところを見せたくない。

 そんな思いが、私を縛っていた。

「ねえ、芽衣ちゃん」

 夏美が、優しく言った。

「恋愛って、いいところだけ見せ合うものじゃないと思うんだよね」

「え……?」

「辛いときこそ、頼ればいいんだよ。それが、付き合うってことじゃない?」

 夏美の言葉に、私は何も言い返せなかった。

 その夜、私は病院に寄ってから家に帰った。

 父は個室で、本を読んでいた。

「お疲れ様、芽衣」

「お父さん、体調はどう?」

「ああ、もう大分良くなった。医者も、あと数日で退院できるだろうって」

「良かった……」

 私は、ベッドの横の椅子に座った。

「お前、最近顔色悪いぞ。無理してないか?」

「大丈夫だよ。お父さんこそ、無理しないでね」

「俺は大丈夫だ。それより……」

 父は、少し真剣な顔になった。

「彼氏さんには、会ってるのか?」

 その質問に、私は少し驚いた。

「え……なんで?」

「お前、この前、嬉しそうに話してたじゃないか。いちご狩りに行ったって」

「あ……うん」

「最近、その話をしなくなった。喧嘩でもしたのか?」

「ううん、喧嘩はしてないよ。ただ、忙しくて……」

 父は、私の顔をじっと見つめた。

「芽衣」

「うん?」

「お前の母さんもな、いつも『今が一番幸せ』って言ってたんだ」

 突然、母の話をされて、私は目を丸くした。

「お母さんが……?」

「ああ。母さんが病気になってからも、その言葉を忘れなかった」

 父の目が、少し遠くを見るような表情になった。

「『いつか』じゃなくて、『今』を大切にしろって。未来のことばかり考えて、目の前の幸せを見逃すなって」

「お父さん……」

「お前、最近、『いつか』のために『今』を我慢してないか?」

 その言葉に、私ははっとした。

「仕事が落ち着いたら。お父さんが退院したら。そうしたら、彼氏さんに会おうって思ってないか?」

「それは……」

「でも、な。『いつか』は、いつ来るか分からないんだ」

 父は、窓の外を見た。

「母さんもそうだった。『いつか旅行に行こう』『いつか二人でゆっくりしよう』って、ずっと言ってた」

「でも、そのいつかは、来なかった」

 父の声が、少し震えた。

「だから、お前には同じ失敗をしてほしくない」

「今、大切な人がいるなら、今を大事にしろ」

 その言葉が、胸に深く刺さった。

「お父さん……」

「無理に頑張らなくていい。辛いときは、辛いって言っていい」

「彼氏さんに、甘えたっていいんだ」

 父の言葉に、涙が溢れそうになった。

「でも……弱いところ、見せたくなくて」

「バカだな。弱いところを見せられるのが、本当に大切な人なんだぞ」

 父は、優しく笑った。

「母さんも、よく俺に泣きついてたぞ。『辛い』『不安だ』って」

「でも、それが嬉しかったんだ。俺を頼ってくれてるって思えて」

「お父さん……」

「だから、お前も。彼氏さんに、頼っていいんだぞ」

 その言葉に、私はとうとう涙を流してしまった。

「ごめん……ごめんね、お父さん」

「謝ることないよ」

 父は、私の頭を優しく撫でた。

「お前は、よく頑張ってる。仕事も、俺の看病も」

「でも、もっと自分を大事にしていいんだ」

「うん……」

 私は、涙を拭いた。

 病院を出て、家に帰る道すがら、私はスマホを取り出した。

 蓮さんとのメッセージのやり取りを見返す。

 最後のメッセージは、昨日のものだった。

『芽衣、最近忙しそうだけど、大丈夫? 無理してない?』

 私は、『大丈夫だよ。ちょっと疲れてるだけ』と返していた。

 嘘じゃない。でも、本当のことも言っていない。

 私は、メッセージを打ち始めた。

 でも、何度も消して、また打って。

 結局、送れなかった。

 何て言えばいいのか、分からなかった。

 家に着いて、ベッドに倒れ込んだ。

 疲労が、どっと押し寄せてくる。

 このまま眠ってしまいたい。

 でも、眠れなかった。

 頭の中で、父の言葉が繰り返される。

「今を大切にしろ」

 でも、どうやって?

 私は、どうすればいいの?

 そんなことを考えているうちに、スマホが鳴った。

 蓮さんからの着信だった。

 一瞬、出ようか迷った。

 でも、今の私の声を聞かれたら、心配をかけてしまう。

 私は、着信を無視してしまった。

 すぐに、メッセージが届いた。

『芽衣、大丈夫? 最近、ずっと元気ないよね。何かあったら、言ってね。俺でよければ、力になりたい』

 その優しさが、逆に胸に刺さった。

 私は、返信した。

『ごめんね。今、ちょっと疲れてて。また明日、連絡するね』

 送信ボタンを押してから、後悔した。

 また、逃げてしまった。

 本当のことを、言えなかった。

 翌日、会社で私は相変わらず仕事に追われていた。

 昼休み、夏美が声をかけてきた。

「芽衣ちゃん、お昼一緒にどう?」

「あ、ごめん。今日は病院に行かなきゃ」

「お父さん、まだ入院してるの?」

「うん。でも、もうすぐ退院できそう」

「そっか。良かったね」

 夏美は、少し考えてから言った。

「ねえ、芽衣ちゃん。彼氏さんには、ちゃんと話した?」

「まだ……」

「やっぱり。芽衣ちゃん、それダメだよ」

「分かってるんだけど……」

「分かってるなら、なおさら」

 夏美は、真剣な顔で言った。

「私ね、前に付き合ってた人と、同じことしたんだ」

「え?」

「辛いこと、全部一人で抱え込んで。相手に心配かけたくなくて」

「でも、結局、それが原因で別れちゃった」

 その告白に、私は驚いた。

「どうして……?」

「相手が言ったんだ。『俺のこと、信用してないのか』って」

「『辛いときこそ、頼ってほしかった。それなのに、何も言ってくれなかった』って」

 夏美の目が、少し潤んでいた。

「私、そのとき初めて気づいたんだ。相手に心配かけたくないって思うのは、優しさじゃないって」

「え……?」

「それは、相手を信じてないってことなんだって」

「相手が自分を支えてくれるって、信じられないから、頼れないんだって」

 その言葉が、胸に突き刺さった。

「芽衣ちゃん、彼氏さんのこと、信じてる?」

「信じてる……と思う」

「だったら、頼りなよ。辛いって、言いなよ」

「でも……」

「『でも』じゃないよ。今しかないんだよ」

 夏美は、私の肩を掴んだ。

「後悔する前に、ちゃんと話して」

 その言葉に、私は頷くしかなかった。

 その日の夜、私は病院に寄った後、思い切って蓮さんにメッセージを送った。

『蓮さん、明日の夜、会えませんか? 話したいことがあります』

 すぐに、返信が来た。

『もちろん。何時でも大丈夫だよ。どこで会う?』

『駅前のカフェで、19時はどうですか?』

『了解。待ってるね』

 メッセージを見て、私は深呼吸した。

 明日、ちゃんと話そう。

 本当のことを、全部。

 そう決意した。

 翌日、金曜日。

 私は定時で会社を出て、駅前のカフェに向かった。

 蓮さんは、すでに席で待っていた。

「芽衣、久しぶり」

 蓮さんの笑顔を見た瞬間、涙が出そうになった。

「蓮さん……」

「どうぞ、座って」

 私は、蓮さんの向かいに座った。

「何飲む?」

「あ、コーヒーで……」

 蓮さんが店員さんを呼んで、注文する。

 飲み物が来るまで、私たちは黙っていた。

 蓮さんは、心配そうに私の顔を見ている。

「芽衣、最近、本当に元気なかったから。心配してた」

「ごめんなさい……」

「謝らなくていいよ。でも、何かあったんでしょ?」

 その優しい声に、私はとうとう堰を切ったように話し始めた。

「実は……お父さんが、入院してて」

「え!」

 蓮さんが、驚いた顔をした。

「大丈夫なの?」

「うん、もう大分良くなって。来週には退院できそう」

「そうなんだ……教えてくれれば良かったのに」

「ごめんなさい。心配かけたくなくて」

「心配かけたくないって……」

 蓮さんは、少し困ったような顔をした。

「俺、芽衣の彼氏だよ? 心配するの、当たり前じゃん」

「でも……」

「でも、じゃないよ」

 蓮さんは、私の手を握った。

「芽衣が辛いとき、一人で抱え込まないでほしい」

「蓮さん……」

「俺に、頼ってよ。力になりたいんだ」

 その言葉に、涙が溢れた。

「ごめんなさい……ごめんなさい」

「謝らないで」

 蓮さんは、私の手をさらに強く握った。

「芽衣は、何も悪くない」

「でも、私……蓮さんに、ちゃんと話せなくて」

「弱いところ、見せたくなくて」

「完璧な彼女じゃなきゃって、思ってて」

 そこまで言って、私は泣き崩れた。

 蓮さんは、席を立って私の隣に座り、肩を抱いてくれた。

「芽衣、聞いて」

「うん……」

「俺は、完璧な芽衣が好きなんじゃない」

「ありのままの芽衣が好きなんだ」

「辛いときは辛いって言う芽衣も、不安なときに泣く芽衣も、全部好きなんだ」

 その言葉に、私はさらに涙を流した。

「だから、もっと俺に頼ってよ。甘えてよ」

「俺は、芽衣の彼氏なんだから」

「蓮さん……」

 私は、蓮さんの胸に顔を埋めた。

「ごめんね……ずっと、一人で抱え込んでて」

「いいよ。でも、これからは違うから」

「うん……」

「これからは、二人で一緒に乗り越えよう」

「はい……」

 蓮さんは、私の頭を優しく撫でた。

「お父さんのこと、心配だよね」

「うん……」

「俺も、お見舞いに行っていい?」

「え……いいの?」

「もちろん。芽衣のお父さんなんだから」

 その言葉に、胸が温かくなった。

「ありがとう……」

「それに、芽衣。仕事も大変なんでしょ?」

「うん……新しいプロジェクトで」

「無理してない?」

「ちょっと……無理してるかも」

「だったら、休める日は休もう。俺も手伝えることあったら、言ってね」

「蓮さん……」

 私は、蓮さんを見上げた。

「なんで、こんなに優しいの?」

「だって、芽衣のこと、好きだから」

 蓮さんは、微笑んだ。

「好きな人が辛そうにしてるの、見てられないよ」

 その言葉に、私はまた泣いてしまった。

 でも、今度は悲しい涙じゃなかった。

 嬉しくて、安心して、愛おしくて。

 そんな気持ちで、涙が止まらなかった。

「ありがとう……本当に、ありがとう」

「どういたしまして」

 蓮さんは、私をぎゅっと抱きしめてくれた。

 カフェの中で、私たちはしばらくそうしていた。

 周りの目も気にせず、ただ、お互いの温もりを感じていた。

 やがて、私は顔を上げた。

「蓮さん、私……これから、ちゃんと話すね」

「うん」

「辛いときは辛いって。不安なときは不安だって」

「全部、蓮さんに話すね」

「ありがとう。それが聞けて、嬉しい」

 蓮さんは、私の涙を優しく拭ってくれた。

「俺も、芽衣に頼るから」

「俺も完璧じゃないから。困ったときは、芽衣に助けてもらうから」

「うん、任せて」

 私たちは、笑い合った。

 季節は、冬から春へと変わっていく。

 いちごの旬も、もうすぐ終わる。

 でも、私たちの関係は、ここからまた新しい季節を迎えるんだと思った。

 辛さも、喜びも、全部分かち合える。

 そんな関係に、なれる気がした。

「ねえ、蓮さん」

「うん?」

「お父さん、言ってたんだ。『今を大切にしろ』って」

「いいお父さんだね」

「うん。お母さんも、生きてるとき、いつも『今が一番幸せ』って言ってたらしい」

「素敵だね」

 蓮さんは、私の手を握った。

「じゃあ、俺たちも。今を、大切にしよう」

「うん」

「お父さんが退院したら、三人でいちご狩り行こうか」

「え、本当?」

「うん。お父さんに、ちゃんと挨拶したいし」

 その提案に、私は嬉しくなった。

「お父さん、喜ぶと思う」

「じゃあ、決まりだね」

「うん!」

 私たちは、手を握り合った。

 季節の変わり目。

 寒さから暖かさへ。

 冬から春へ。

 そして、私たちの関係も、また一つ、深まった気がした。

 辛い時期だったけれど、それを乗り越えたからこそ、見えてきたものがあった。

 お互いを信じること。

 頼り合うこと。

 そして、今この瞬間を、大切にすること。

 それが、恋愛なんだと。

 私は、蓮さんと出会えて、本当に良かったと思った。

 これからも、一緒に歩いていこう。

 手を繋いで、支え合いながら。

 そんな決意を、新たにした夜だった。


第4章:赤い約束、続く恋

第1節「今が一番おいしい」


 4月12日、土曜日。

 父が退院してから、ちょうど一週間が経っていた。

 私と蓮さん、そして父の三人は、あの「陽だまりいちご園」に向かうバスの中にいた。

「お父さん、体調大丈夫?」

「ああ、もう完璧だ。医者からも、普通に生活していいって言われてる」

 父は、窓の外を眺めながら答えた。

「それにしても、本当にいいのか? 俺まで一緒で」

「もちろんです。ぜひ、ご一緒したかったんです」

 蓮さんが、爽やかに答えた。

 父は、少し照れくさそうに笑った。

「そうか。じゃあ、遠慮なく楽しませてもらうよ」

 私は、二人のやり取りを微笑ましく見ていた。

 あの夜、カフェで蓮さんに全てを打ち明けてから、私の心は驚くほど軽くなっていた。

 翌日、蓮さんは本当に病院まで来てくれて、父に会ってくれた。

 最初は少し緊張していた父も、蓮さんの誠実な態度にすぐに心を開いてくれた。

「娘を、よろしくお願いします」

 父がそう言ったとき、蓮さんは深々と頭を下げた。

「はい。芽衣さんを、大切にします」

 その光景を見て、私は幸せで胸がいっぱいになった。

 そして今日。

 父の退院祝いも兼ねて、三人でいちご狩りに来たのだ。

「着いたぞ」

 蓮さんの声で、私は現実に引き戻された。

 バスを降りると、目の前には見覚えのある白いビニールハウスが並んでいた。

「ここか。綺麗な場所だな」

 父が、周囲を見回しながら言った。

「ええ。ここのいちご、本当に美味しいんですよ」

 蓮さんが説明する。

 受付に向かうと、あの優しそうな女性が笑顔で迎えてくれた。

「あら、また来てくださったんですね! 2月にいらした……」

「覚えていてくださったんですか!」

 私が驚くと、女性は嬉しそうに笑った。

「ええ。お二人、とても仲良さそうだったから」

「今日は、お父様もご一緒なんですね」

「はい。退院祝いなんです」

「まあ、それは良かったですね。では、ごゆっくりどうぞ」

 練乳と容器を受け取り、私たちはハウスへと向かった。

 扉を開けると、あの温かい空気が流れ込んできた。

「おお、暖かいな」

 父が、驚いたように言った。

「でしょう? まるで春みたいなんです」

「いや、春というより初夏だな、これは」

 父は、温度計を見て笑った。

「さて、どこから食べようか」

「お父さん、いちごって、ヘタの近くまで赤いのが美味しいんだよ」

 私が説明すると、父は感心したように頷いた。

「そうなのか。知らなかった」

「芽衣、いちごに詳しいんですよ」

 蓮さんが、誇らしげに言った。

「それは頼もしいな。じゃあ、芽衣に任せるか」

「任せて!」

 私は張り切って、美味しそうないちごを探し始めた。

 大きくて、真っ赤で、ツヤツヤしたいちご。

「あ、これなんてどう?」

「おお、確かに赤いな」

 父が、私の見つけたいちごを覗き込む。

「じゃあ、摘んでみてください」

「よし」

 父は丁寧に、いちごを摘み取った。

「練乳、つけるんだよね?」

「はい。こうやって……」

 私が見本を見せると、父も真似して練乳をつけた。

「いただきます」

 父が一口齧ると、その顔が驚きに変わった。

「うまい……!」

「でしょう?」

「こんなに甘いいちご、初めて食べたかもしれない」

 父の嬉しそうな顔を見て、私も嬉しくなった。

「お父さん、たくさん食べてね」

「ああ、遠慮なく」

 三人で、次々といちごを摘んでは食べた。

 蓮さんは、前回よりも手慣れた様子でいちごを選んでいる。

「蓮さん、上手になりましたね」

「まあ、二回目だからね」

「でも、本当に上手です。選ぶのが早い」

「芽衣に教わったからね」

 蓮さんは、微笑んだ。

 父は、少し離れた場所で、一人黙々といちごを食べていた。

「お父さん、楽しんでる?」

 声をかけると、父は振り向いた。

「ああ、すごく。こんなに美味しいいちご、久しぶりだ」

「お母さんも、いちご好きだったんだよね」

「そうだな……」

 父の表情が、少し遠くを見るようになった。

「母さんもな、よくいちごを買ってきてた」

「お前が小さい頃、二人でいちご食べたの、覚えてるか?」

「うん……なんとなく」

「母さん、いつも言ってたんだ。『いちごは特別』って」

 父は、手の中のいちごを見つめた。

「『甘いだけじゃなくて、ちょっと酸っぱい。その甘酸っぱさが、人生みたいだ』って」

「お母さん、そんなこと言ってたんだ……」

「ああ。そして、『今が一番美味しい』って、いつも言ってた」

 父の目が、少し潤んでいた。

「病気になってからも、その言葉を忘れなかった」

「『今が一番幸せ』『今が一番美味しい』って」

「お父さん……」

「だから、お前にも伝えたかったんだ。今を大切にしろって」

 父は、私を見た。

「芽衣、お前は今、幸せか?」

 その質問に、私は少し驚いた。

「え……?」

「いや、変な質問だったな。でも、聞きたかったんだ」

 私は、蓮さんの方を見た。

 蓮さんは、優しく微笑んでくれた。

 私は、父に向き直った。

「うん。幸せだよ、お父さん」

「そうか……」

 父は、安心したように笑った。

「良かった。それを聞けて、俺も嬉しいよ」

「お父さん」

「母さんもな、きっと喜んでると思う」

「芽衣が、こんなに素敵な人と出会えて」

 父は、蓮さんの方を見た。

「桐谷くん」

「はい」

 蓮さんが、少し緊張した面持ちで答えた。

「娘を、よろしく頼むよ」

「はい。必ず、幸せにします」

 蓮さんの真剣な返答に、父は満足そうに頷いた。

「ああ、信じてるよ」

 私は、二人のやり取りを見ながら、涙が出そうになった。

 でも、今は泣きたくなかった。

 今は、笑顔でいたかった。

「さ、もっと食べようよ!」

 私が明るく言うと、父も蓮さんも笑った。

「そうだな。せっかくだから、たくさん食べよう」

「はい!」

 私たちは、また夢中になっていちごを食べた。

 時々、三人で話しながら。

 父が昔の思い出を語ったり、蓮さんが仕事の話をしたり、私が会社での出来事を話したり。

 何気ない会話だけど、それがとても幸せだった。

「ねえ、お父さん」

「うん?」

「また、三人で来てもいい?」

「もちろんだ。こんなに楽しいなら、何度でも来たい」

「じゃあ、来年も来ようね」

「ああ、約束だ」

 父は、小指を差し出した。

 私も、小指を絡めた。

「指切りげんまん」

「嘘ついたら針千本飲ます」

 子どもの頃みたいな約束に、蓮さんが笑った。

「俺も入れてよ」

「え?」

「俺も、約束したい。来年も、三人で来ようって」

 蓮さんが、小指を差し出した。

「じゃあ、三人で」

 私たちは、小指を絡め合った。

「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます」

 三人で声を揃えて言うと、なんだかおかしくて、笑ってしまった。

「さて、そろそろ時間だな」

 父が、時計を見ながら言った。

「もう45分経ったんですね」

「ああ。あっという間だった」

「本当ですね」

 私たちは、ハウスを出た。

 外の空気が、少しひんやりとして心地よかった。

 受付に戻り、上着を受け取る。

「楽しんでいただけましたか?」

「はい、とても!」

 私が答えると、受付の女性は嬉しそうに笑った。

「良かったです。また来てくださいね」

「絶対来ます!」

 農園を後にして、私たちはバス停へと向かった。

「ねえ、せっかくだから、どこかでお昼ご飯食べて帰らない?」

 私が提案すると、父も蓮さんも賛成してくれた。

「いいね。どこか、美味しいお店知ってる?」

「この辺り、詳しくないんだけど……」

 蓮さんがスマホで検索してくれた。

「あ、駅の近くに、評判のいい蕎麦屋があるみたいです」

「蕎麦か。いいな」

「じゃあ、そこに行きましょう」

 バスに乗り、駅まで戻った。

 蕎麦屋は、駅から徒歩5分ほどの場所にあった。

 古民家を改装した、落ち着いた雰囲気のお店だった。

「いらっしゃいませ」

 店員さんに案内され、私たちは奥の座敷に座った。

「さて、何にしようか」

 父がメニューを開く。

「私、天ざるにします」

「じゃあ、俺はせいろで」

「お父さんは?」

「俺も、天ざるにしようかな」

 注文を済ませると、店員さんがお茶を持ってきてくれた。

「さっきのいちご、本当に美味しかったな」

 父が、お茶を飲みながら言った。

「でしょう? ここのいちご、本当に最高なんです」

「ああ。連れてきてくれて、ありがとう」

「どういたしまして」

 蓮さんが、微笑んだ。

「桐谷くん」

「はい」

「お前、いいやつだな」

 父の突然の言葉に、蓮さんは少し照れたように笑った。

「いえ、そんな……」

「いや、本当に。芽衣のこと、大切にしてくれてるのが分かる」

「当たり前です。芽衣さんは、俺にとって一番大切な人ですから」

 蓮さんの言葉に、私の胸が温かくなった。

「そうか……」

 父は、満足そうに頷いた。

「なら、安心だ」

「お父さん……」

「芽衣、お前も、桐谷くんを大切にしろよ」

「うん、もちろん」

 私は、蓮さんの手を握った。

 蓮さんも、握り返してくれた。

 やがて、蕎麦が運ばれてきた。

「おお、美味しそうだ」

 父が、嬉しそうに言った。

「いただきます」

 三人で声を揃えて、箸を手に取った。

 蕎麦は、喉越しが良く、とても美味しかった。

「うまい……!」

「本当ですね」

「ここ、当たりだったね」

 私たちは、満足そうに蕎麦をすすった。

 食事をしながら、また色々な話をした。

 父の仕事のこと、私の会社のこと、蓮さんの趣味のこと。

 何でもない話だけど、それがとても楽しかった。

「ねえ、お父さん」

「うん?」

「お父さん、本当に体調大丈夫? 無理してない?」

「大丈夫だ。今日一日、すごく楽しかったし、体も軽い」

「良かった……」

「心配かけて、ごめんな」

「ううん、そんなことない」

 私は、首を振った。

「お父さんが元気になってくれて、本当に嬉しい」

「ありがとう、芽衣」

 父は、優しく微笑んだ。

「お前も、無理するなよ。辛いときは、ちゃんと休め」

「うん」

「そして、辛いときは、桐谷くんに頼れ」

「はい、そうします」

 私は、蓮さんを見た。

 蓮さんは、頷いてくれた。

「芽衣が辛いときは、必ず支えます」

「頼もしいな」

 父は、満足そうに笑った。

 食事を終えて、私たちは店を出た。

「さて、そろそろ帰るか」

「はい」

 駅まで歩きながら、父が言った。

「今日は、本当に楽しかった」

「俺もです」

「私も!」

「また、三人で出かけような」

「はい、ぜひ」

 改札前で、私たちは別れることになった。

 父は反対方向の電車に乗るのだ。

「じゃあ、気をつけて帰れよ」

「お父さんも」

「桐谷くん、芽衣をよろしく」

「はい、お任せください」

 父は、改札を通って行った。

 振り返って、手を振ってくれる。

 私も、手を振り返した。

 父の姿が見えなくなるまで、ずっと見送った。

「良いお父さんだね」

 蓮さんが、隣で言った。

「うん……本当に、いいお父さん」

「芽衣を大切に育ててくれたんだね」

「うん」

 私は、蓮さんの手を握った。

「ねえ、蓮さん」

「うん?」

「今日、来てくれて、ありがとう」

「お礼なんていいよ。俺も、すごく楽しかった」

「お父さんも、喜んでくれて……」

「うん。すごく嬉しそうだったね」

 蓮さんは、私の頭をぽんぽんと撫でた。

「芽衣、泣きそうな顔してる」

「え……」

「でも、嬉しい涙だよね」

「うん……」

 私は、蓮さんの胸に顔を埋めた。

「今日、本当に幸せだった」

「俺も」

「お父さんと、蓮さんと、三人で過ごせて」

「これからも、たくさん思い出作ろうね」

「うん」

 私は、顔を上げた。

「蓮さん、大好き」

「俺も、芽衣のこと、大好きだよ」

 蓮さんは、私の額に優しくキスをした。

 駅前の喧騒の中、私たちは少しの間、抱き合っていた。

 今が一番美味しい。

 今が一番幸せ。

 お母さんの言葉が、胸に響いていた。

 本当に、その通りだと思った。

 今この瞬間が、私にとって一番幸せな時間だった。

 そして、この幸せは、これからも続いていく。

 蓮さんと一緒に、お父さんと一緒に。

 大切な人たちと、今を大切にしながら。

 私たちは、これからも歩いていくんだと思った。

 赤い約束を胸に。

 いちご色の恋を育てながら。



第2節「いちご色の毎日」


 4月20日、日曜日。

 桜が散り始め、街には新緑の季節が訪れようとしていた。

 私と蓮さんは、都内の公園を散歩していた。

「もう桜、終わっちゃったね」

「うん。でも、葉桜も綺麗だよ」

 蓮さんが、木々を見上げながら言った。

「そうだね。緑が鮮やかで」

 私たちは、ベンチに腰を下ろした。

 春の日差しが、心地よく肌を撫でる。

「ねえ、芽衣」

「うん?」

「付き合って、もうすぐ3ヶ月だね」

 蓮さんの言葉に、私は少し驚いた。

「本当だ……もう3ヶ月なんだ」

「早かったね」

「うん、あっという間」

 私は、この3ヶ月を振り返った。

 いちご狩りで始まった恋。

 いちごフェスで深まった絆。

 人混みの中で確かめ合った想い。

 そして、父の入院という試練を乗り越えて。

 色々なことがあった。

「でも、すごく濃い3ヶ月だった」

「うん。俺も」

 蓮さんは、私の手を握った。

「芽衣と過ごした時間、全部が宝物だよ」

「私も……蓮さんと一緒にいられて、本当に幸せ」

 そう言いながら、私はふと思った。

 いちごの旬は、もう終わろうとしている。

 5月になれば、いちごは店頭から姿を消していく。

 でも、私たちの恋は、終わらない。

「ねえ、蓮さん」

「うん?」

「いちご、もうすぐ旬が終わっちゃうね」

「そうだね。寂しいな」

「でも……」

 私は、蓮さんを見つめた。

「私たちの恋は、これからも続くよね」

「もちろん」

 蓮さんは、力強く頷いた。

「いちごの旬は短いけど、俺たちの恋に旬なんてない」

「ずっと、一緒にいたいから」

 その言葉に、胸が熱くなった。

「私も……ずっと、蓮さんと一緒にいたい」

「ありがとう」

 蓮さんは、私の額に額を合わせた。

「でも、な」

「うん?」

「いちごの旬が終わっても、また来年が来る」

「そうだね」

「だから、また来年も、一緒にいちご狩り行こうね」

「うん、絶対」

「いちごフェスにも」

「もちろん!」

 私たちは、笑い合った。

「そして、10年後も、20年後も」

 蓮さんが、真剣な顔で言った。

「ずっと、一緒にいちごを食べ続けよう」

「うん……」

「芽衣が おばあちゃんになっても、俺はいちご狩りに連れて行くから」

 その言葉に、私は思わず笑ってしまった。

「おばあちゃんって……まだ早いよ!」

「でも、いつかはそうなるでしょ?」

「まあ、そうだけど」

「そのときも、きっと今みたいに、二人で笑い合っていたいな」

 蓮さんの言葉に、涙が出そうになった。

「うん……私も」

「じゃあ、約束ね」

「約束」

 私たちは、小指を絡めた。

「指切りげんまん」

「嘘ついたら針千本飲ます」

 何度目かの約束。

 でも、この約束が、私たちを繋いでいく。

 ふと、蓮さんが立ち上がった。

「ちょっと待ってて」

「え? どこ行くの?」

「すぐ戻るから」

 蓮さんは、公園の売店の方へと走っていった。

 私は、ベンチで一人、周りを見渡した。

 家族連れ、カップル、犬の散歩をする人。

 みんな、それぞれの日曜日を楽しんでいる。

 平和な光景だった。

 5分ほどして、蓮さんが戻ってきた。

 手には、二つの小さなカップを持っている。

「はい、これ」

「え、何?」

 受け取ってみると、それはいちごのソフトクリームだった。

「わあ! いちご!」

「もうすぐ旬が終わっちゃうから、今のうちにって思って」

 蓮さんは、少し照れくさそうに笑った。

「ありがとう! 嬉しい!」

 私は、早速スプーンを口に運んだ。

 甘酸っぱい味が、口いっぱいに広がる。

「美味しい……」

「良かった」

 蓮さんも、自分のソフトクリームを食べ始めた。

「ねえ、蓮さん」

「うん?」

「蓮さんって、いつから甘いもの好きになったの?」

「え?」

「だって、最初は『甘いもの苦手』って言ってたのに」

 私の指摘に、蓮さんは少し考えてから答えた。

「芽衣と付き合い始めてから、かな」

「本当?」

「うん。芽衣が美味しそうに食べてるの見てると、自分も食べたくなるんだよね」

「それに、甘いものって、幸せな気持ちになれる」

「芽衣といると、いつも幸せだから。甘いものと、その気持ちが重なるんだ」

 その言葉に、私の心臓が跳ねた。

「蓮さん……そんなこと言われたら、照れちゃう」

「本当のことだよ」

 蓮さんは、優しく微笑んだ。

 私たちは、ソフトクリームを食べながら、ぼんやりと公園の景色を眺めた。

 すると、ふと蓮さんが言った。

「そういえば、芽衣」

「うん?」

「この前、仕事で面白いことあったんだ」

「何?」

「新しいプロジェクトで、AI使った画像認識システムを開発してるんだけど」

「うんうん」

「テストで、色々な果物の画像を読み込ませたんだ」

「へえ」

「そしたら、いちごだけ、認識精度がめちゃくちゃ高くて」

 蓮さんは、おかしそうに笑った。

「どうしてかと思ったら、俺が無意識に、いちごの画像ばっかり集めてたんだよ」

「え!」

「データセット見たら、いちごの画像が他の果物の3倍あった」

 私は、思わず笑ってしまった。

「それ、完全に私の影響だよね」

「うん。同僚に指摘されて、恥ずかしかった」

「でも、可愛い」

「可愛いって……俺、男なんだけど」

「でも、可愛いものは可愛い」

 私たちは、笑い合った。

 ソフトクリームを食べ終えて、私たちは再び歩き始めた。

 公園を出て、近くの商店街を通る。

「あ、見て」

 私が指差した先には、小さな雑貨屋さんがあった。

 ショーウィンドウには、いちごモチーフの小物がたくさん飾られている。

「入ってみようか」

「うん!」

 店の中に入ると、いちごグッズがところ狭しと並んでいた。

 ポーチ、ハンカチ、アクセサリー、文房具……。

「わあ、すごい。いちごだらけ」

「本当だね」

 私は、一つ一つを手に取って見ていった。

「これ、可愛い……」

 小さないちごのピアスを見つけた。

「似合いそうだね」

「そう?」

「うん。買ったら?」

「でも……」

 値札を見ると、少し高かった。

「じゃあ、俺がプレゼントする」

「え、いいの?」

「うん。芽衣に似合うと思うから」

 蓮さんは、そのピアスをレジに持っていった。

「ありがとう……」

「どういたしまして」

 店を出て、私は早速そのピアスをつけた。

「どう?」

「可愛い。すごく似合ってる」

「本当?」

「本当」

 蓮さんは、私の耳元を優しく見つめた。

「いちごのピアスをつけた芽衣、とても可愛いよ」

「もう……恥ずかしい」

 でも、心の中は喜びでいっぱいだった。

 商店街を抜けて、私たちは駅の方へと向かった。

「そろそろ、夕方だね」

「うん。今日も楽しかった」

「俺も」

 駅前で、私たちは立ち止まった。

「ねえ、芽衣」

「うん?」

「来週末、空いてる?」

「たぶん大丈夫。どうして?」

「実は、行きたい場所があって」

「どこ?」

「それは、秘密」

 蓮さんは、いたずらっぽく笑った。

「えー、気になる!」

「楽しみにしててね」

「分かった……」

 蓮さんは、私の頭をぽんぽんと撫でた。

「じゃあ、また明日ね」

「うん、また明日」

「メッセージするよ」

「待ってる」

 別れ際、蓮さんが私を抱きしめた。

「芽衣、好きだよ」

「私も……大好き」

 しばらく抱き合ってから、私たちは離れた。

「じゃあ、気をつけて帰ってね」

「蓮さんも」

 蓮さんが、改札を通って行く。

 振り返って、手を振ってくれる。

 私も、手を振り返した。

 蓮さんの姿が見えなくなるまで、ずっと見送った。

 それから、私も反対方向の改札を通った。

 電車に揺られながら、私は今日一日を振り返った。

 何気ない休日。

 特別なイベントがあったわけじゃない。

 でも、とても幸せだった。

 蓮さんと一緒に散歩して、ソフトクリームを食べて、雑貨屋さんを覗いて。

 そんな日常が、いちご色に輝いて見えた。

 スマホを取り出して、写真フォルダを開く。

 今日撮った写真が、何枚か並んでいる。

 公園のベンチでの二人の自撮り。

 ソフトクリームを食べる蓮さんの横顔。

 いちごのピアスをつけた私。

 どれも、大切な思い出だった。

 ふと、2月に撮った写真を見返してみた。

 初めてのいちご狩りの写真。

 あの頃の私たちは、まだ少し緊張していた。

 でも、今は違う。

 もっと自然に、もっと楽しそうに笑っている。

 3ヶ月で、私たちは確実に成長したんだと思った。

 辛いこともあった。

 不安になることもあった。

 でも、その全てを乗り越えて、今がある。

 そして、これからも続いていく。

 家に着いて、部屋に入った。

 ベッドに座り込み、また写真を見返す。

 スマホに、メッセージが届いた。

 蓮さんからだった。

『無事に帰れた? 今日も楽しかったね。ピアス、本当に似合ってたよ。また来週、楽しみにしててね。おやすみ、芽衣』

 私は、笑顔で返信した。

『無事に帰りました! 今日も本当にありがとう。ピアス、大切にするね。来週、すごく楽しみです。おやすみなさい、蓮さん』

 メッセージを送信して、私は机の引き出しを開けた。

 そこには、2月14日に蓮さんからもらった、いちごのストラップがあった。

 あの日から、ずっとスマホにつけていたけれど、最近は大切に保管している。

 色あせないように。

 このストラップを見るたびに、あの日の気持ちを思い出せるように。

 私は、ストラップを手に取った。

 ガラス細工のいちごが、部屋の明かりを受けてキラキラと輝いている。

 この3ヶ月、色々なことがあった。

 でも、全部が宝物だった。

 そして、これからも。

 毎日が、いちご色に輝いていく。

 蓮さんと一緒なら。

 私は、ストラップをそっと元の場所に戻した。

 そして、ベッドに横になった。

 明日は月曜日。

 また仕事が始まる。

 でも、怖くない。

 辛いことがあっても、蓮さんがいる。

 お父さんもいる。

 夏美もいる。

 大切な人たちに囲まれて、私は生きている。

 そう思うと、勇気が湧いてきた。

 窓の外を見ると、夜空に星が瞬いていた。

 春の星座。

 季節は移ろっていく。

 いちごの旬は終わっても、また来年が来る。

 桜が散っても、また来年咲く。

 そして、私たちの恋も。

 終わることなく、続いていく。

 形を変えながら、深まりながら。

 私は、目を閉じた。

 心の中で、呟く。

「ありがとう、蓮さん」

「ありがとう、お父さん」

「ありがとう、お母さん」

「そして、ありがとう、私」

 今を大切にする勇気をくれて。

 弱さを見せる勇気をくれて。

 愛する勇気をくれて。

 全てに、感謝していた。

 そして、眠りについた。

 明日も、いちご色の一日が始まる。

 蓮さんと一緒に。

 大切な人たちと一緒に。

 今を、大切にしながら。

 赤い約束を胸に。

 私たちの物語は、これからも続いていく。

 世界で一番、甘いしるしを残しながら。

 いちごの旬が終わっても。

 季節が変わっても。

 私たちの恋は、色あせない。

 なぜなら、毎日が、いちご色だから。

 蓮さんと一緒にいる限り。

 毎日が、特別な日になるから。

 そう信じて。

 私は、幸せな夢の中へと落ちていった。

 夢の中でも、いちごの香りがして。

 蓮さんの笑顔が見えて。

 そして、「また明日ね」という声が聞こえた。

 うん、また明日。

 また、いちご色の明日が来る。

 それが、私の毎日。

 それが、私たちの物語。

 『ベリ恋♡ ――世界で一番、甘いしるし。』

 それは、終わらない。

 これからも、ずっと。

――― 完 ―――

***

 エピローグ


 一年後、2月14日。

 私と蓮さんは、また「陽だまりいちご園」にいた。

 今度は、二人だけじゃない。

 夏美とその彼氏、そしてお父さんも一緒だった。

「やっぱり、ここのいちごは最高だな」

 お父さんが、満足そうに言った。

「でしょう? お父さん、すっかりいちご好きになっちゃって」

「ああ、芽衣と桐谷くんのおかげだ」

 蓮さんは、照れくさそうに笑った。

「芽衣ちゃん、本当に幸せそうだね」

 夏美が、私の耳元で囁いた。

「うん……すごく幸せ」

「良かった。あのとき、ちゃんと話せて」

「ありがとう、夏美。あなたのアドバイスのおかげだよ」

「どういたしまして」

 私は、ハウスの中を見渡した。

 一年前と変わらない、春のような暖かさ。

 赤く輝く、いちご。

 そして、大切な人たちの笑顔。

 蓮さんが、私の手を握った。

「来年も来ようね」

「うん、絶対」

「再来年も」

「もちろん」

「ずっと」

「ずっと」

 私たちは、笑い合った。

 いちごの旬は、毎年やってくる。

 そして、その度に。

 私たちは、また新しい思い出を作る。

 今日も、明日も、これからも。

 ずっと、いちご色の毎日が続いていく。

 赤い約束とともに。

 世界で一番、甘いしるしを残しながら。

 私たちの恋は、続いていく。

――― 本当に完 ―――









特別編『ベリ恋♡ ――赤い実りの招待状』

特別編から作られた曲です。『秋色ストロベリー』


 10月15日、土曜日。

 秋晴れの空の下、私と蓮さんは、埼玉のいちご農園へと向かうバスに揺られていた。

「招待状、可愛かったね」

 蓮さんが、私の手に握られた封筒を見ながら言った。

「うん。咲さんらしい、温かい感じの」

 封筒は、淡いピンク色で、いちごの押し花が添えられていた。

 中には、丁寧な手書きの文字で、こう書かれていた。

『水瀬芽衣様、桐谷蓮様

拝啓、秋冷の候、皆様におかれましてはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

さて、この度、私こと河野咲は、実家の「河野いちご農園」を正式に継ぐ運びとなりました。 これもひとえに、皆様との出会いに励まされたおかげです。

つきましては、新品種「秋の恋」のお披露目会を開催いたします。 ぜひ、お二人にもご参加いただきたく、ご招待申し上げます。

記 日時:10月15日(土) 13:00〜 場所:河野いちご農園 ※ご家族、ご友人もご一緒にどうぞ

敬具

『河野咲』

「『秋の恋』って、いちごの名前かな」

「きっとそうだよ。新品種って書いてあったし」

 私は、窓の外を見た。

 田園風景が広がっている。稲刈りが終わった田んぼが、黄金色に輝いていた。

「お父さんと夏美、もう着いてるかな」

「さっき、お父さんからメッセージ来たよ。先に着いてるって」

「そっか」

 今日は、お父さんと夏美、そして夏美の彼氏も一緒に参加することになっていた。

 バスが目的地に到着した。

 降りてみると、見覚えのある風景が広がっていた。

「あ、ここ……」

「『陽だまりいちご園』の近くだね」

「そうだ。咲さんの実家、この辺りだったんだ」

 案内の看板に従って歩いていくと、立派な門が見えてきた。

「河野いちご農園」と書かれた看板が、新しく掛け替えられている。

 門をくぐると、広い敷地に、いくつものビニールハウスが並んでいた。

「すごい……思ってたより大きい」

「本格的な農園だね」

 敷地の奥には、イベント用のテントが張られていて、すでに20人ほどの人が集まっていた。

「芽衣ちゃん! こっちこっち!」

 夏美の声が聞こえた。

 テントの下で、夏美とお父さん、そして夏美の彼氏が手を振っていた。

「お待たせしました!」

「ううん、私たちもさっき着いたところ」

 お父さんが、蓮さんに声をかけた。

「桐谷くん、久しぶり」

「お久しぶりです。お元気そうで」

「ああ、すこぶる元気だ」

 夏美の彼氏とも挨拶を交わす。

「初めまして。川島さんからよく話を聞いています」

「こちらこそ。今日はよろしくお願いします」

 そうしているうちに、マイクの音が鳴った。

 テントの前に設置された小さなステージに、咲さんが立っていた。

「皆さん、本日はお忙しい中、お集まりいただき、ありがとうございます」

 咲さんは、農作業着の上にエプロンを着けていた。でも、その表情は、いちごフェスで見たときよりも、ずっと生き生きとしていた。

「改めまして、河野咲です。この度、父の跡を継ぎ、この農園を経営することになりました」

 会場から、拍手が起こった。

「実は、つい半年前まで、私は東京で働いていました。いちごソムリエとして、イベントに出たり、講演をしたり」

「でも、心のどこかで、いつも思っていたんです。本当は、いちごを『伝える』だけじゃなくて、『育てたい』って」

 咲さんの声には、確信が込められていた。

「そして今年の3月、横浜のいちごフェスで、運命的な出会いがありました」

 え? と思った瞬間、咲さんが私たちの方を見た。

「ある若いカップルと出会って、彼らの純粋な笑顔を見て、私は思ったんです」

「こういう人たちに、私が育てたいちごを食べてもらいたいって」

 私は、蓮さんと顔を見合わせた。

「それから、父に相談しました。『農園を継がせてください』って」

 咲さんの目が、少し潤んでいた。

「父は、最初驚いていました。でも、最後には笑顔で言ってくれたんです」

「『お前がそう決めたなら、俺は全力で応援する』って」

 会場が、温かい拍手に包まれた。

 咲さんの隣に、60代くらいの男性が登場した。きっと、お父さんだろう。

「紹介します。私の父、河野誠です」

「皆さん、本日はありがとうございます」

 お父さんは、少し照れくさそうに頭を下げた。

「娘が戻ってきてくれて、本当に嬉しい。これからは、二人三脚で、もっと美味しいいちごを育てていきます」

 また、拍手。

「さて、今日は皆さんに、特別なものをお見せしたいと思います」

 咲さんが、手を上げると、スタッフが小さなバスケットを運んできた。

 その中には、いちごが入っていた。

 でも、普通のいちごとは違う。

 少し小ぶりで、色が深紅に近い。

「これが、私が開発した新品種『秋の恋』です」

「え……10月なのに、いちご?」

 誰かが驚いたように呟いた。

「はい。通常、いちごの旬は冬から春ですが、この品種は、秋にも収穫できるんです」

「四季なりいちごという系統を改良して、秋の気候に最適化しました」

 咲さんは、一粒のいちごを手に取った。

「味は、春のいちごよりも酸味が少し強めです。でも、その分、香りが豊か」

「そして何より、『今しか食べられない』という特別感があります」

 咲さんの言葉に、私は胸が熱くなった。

「いちごの旬は短い。それが、いちごを特別にする」

「でも、年に二回、春と秋に、いちごの季節が来たら。それも、また素敵じゃないですか?」

 会場から、「おおー」という声が上がった。

「では、皆さん、実際に食べていただきましょう。ハウスの方にご案内します」

 私たちは、咲さんに続いて、一つのハウスに入った。

 中には、『秋の恋』が整然と育っていた。

 深紅の実が、秋の光を浴びて輝いている。

「どうぞ、自由に摘んで食べてみてください」

 咲さんの言葉に、皆が嬉しそうにいちごを摘み始めた。

 私も、一粒摘んで、口に運んだ。

「……!」

 甘さの中に、確かに酸味がある。でも、それが爽やかで、秋の空気のようだった。

 そして、香り。

 春のいちごとは違う、深みのある香りが、口いっぱいに広がる。

「美味しい……」

「本当だ。これ、すごい」

 蓮さんも、目を丸くしていた。

「春のいちごとは、全然違うね」

「うん。でも、どっちも美味しい」

 お父さんも、夏美も、感心したように頷いていた。

「咲さん、すごいな。こんなの開発したなんて」

「本当ですね。プロですね」

 しばらく、皆でいちごを堪能した。

 そして、テントに戻ると、咲さんが改めて挨拶した。

「今日、ここに来てくださった皆さんは、私にとって特別な方々です」

「友人、家族、お世話になった方々」

「そして……」

 咲さんが、私たちを見た。

「横浜で出会った、運命の二人」

 私は、少し恥ずかしくなった。

「水瀬さん、桐谷さん、前に出てきてもらえますか?」

「え……?」

 蓮さんと顔を見合わせて、私たちはステージの前に出た。

「あの日、横浜のいちごフェスで、私がトークショーをした後、お二人が声をかけてくれましたね」

「は、はい」

「あのとき、お二人の笑顔を見て、私は思ったんです」

「ああ、こういう人たちのために、いちごを育てたいって」

 咲さんは、私たちの手を取った。

「お二人が、『規格外でも愛せる』という言葉に共感してくれて」

「それが、私に勇気をくれました」

「ありがとうございます」

 咲さんが、深々と頭を下げた。

「いえ、こちらこそ……」

 私も、慌てて頭を下げた。

「咲さんの言葉に、私たちも救われました」

「本当に、ありがとうございます」

 蓮さんも、頭を下げた。

 咲さんは、顔を上げて、満面の笑みを見せた。

「お二人は、今も仲良しですか?」

「はい! すごく幸せです」

 私が答えると、会場から温かい拍手が起こった。

「良かった。それを聞けて、私も嬉しいです」

 咲さんは、小さな袋を二つ、私たちに手渡した。

「これ、『秋の恋』の苗です。よかったら、育ててみてください」

「え、いいんですか?」

「はい。まだ試験段階ですが、プランターでも育てられるように改良してあります」

「二人で、育ててください。そして、収穫したら、一緒に食べてください」

 その言葉に、私は涙が出そうになった。

「ありがとうございます……!」

「大切に、育てます」

 蓮さんも、深く頷いた。

 イベントは、その後、立食パーティーのような形で続いた。

 咲さんの手作りいちごジャム、いちごのスイーツ、そして『秋の恋』を使った料理が並んでいた。

「咲さん、本当に頑張ったんだね」

 夏美が、感心したように言った。

「うん。あのトークショーから半年で、ここまで……」

「行動力がすごい」

 お父さんも、頷いた。

「決断する勇気、大事だな」

 ふと、咲さんが私たちのテーブルに来た。

「お口に合いましたか?」

「はい、全部美味しいです!」

「良かった」

 咲さんは、私の隣に座った。

「実はね、水瀬さん」

「はい?」

「あのトークショーの後、ずっと考えてたんです」

「本当に、私は東京で働き続けていいのかって」

 咲さんは、遠くを見た。

「父も年を取ってきて。でも、農園を継ぐ人がいなくて」

「このままじゃ、この農園は無くなってしまうかもしれないって」

「それは……辛いですね」

「でも、お二人の姿を見て、思ったんです」

「今を大切にしなきゃって」

「後悔する前に、動かなきゃって」

 咲さんは、私を見た。

「お二人、今も『今を大切に』してますか?」

「はい!」

 私は、力強く頷いた。

「色々ありましたけど、今、すごく幸せです」

「蓮さんと一緒に、毎日を大切に過ごしてます」

「そう。良かった」

 咲さんは、満足そうに微笑んだ。

「じゃあ、私も負けてられないですね」

「え?」

「私も、『今』を全力で生きます」

「この農園を、日本一の農園にします」

 咲さんの目は、強い決意に満ちていた。

「応援してます!」

「ありがとう」

 夕方、イベントが終わりに近づいた頃。

 咲さんが、最後の挨拶をした。

「皆さん、今日は本当にありがとうございました」

「これから、私はこの農園で、全力でいちごを育てます」

「春の『恋』も、秋の『恋』も」

「そして、皆さんに、笑顔を届けます」

「また、来年も、ぜひ遊びに来てください」

 会場から、大きな拍手が起こった。

 私も、精一杯拍手した。

 帰りのバスを待つ間、蓮さんが言った。

「咲さん、かっこよかったね」

「うん。本当に」

「俺たちも、負けてられないね」

「え?」

「だって、咲さん、夢を叶えたんだから」

 蓮さんは、私を見た。

「俺たちも、夢を叶えようよ」

「夢……?」

「ずっと一緒にいるっていう、夢」

 その言葉に、私の心臓が跳ねた。

「蓮さん……」

「芽衣、俺と……」

 蓮さんが何か言いかけたとき、バスが来た。

「あ、バスだ」

「……うん」

 蓮さんは、少し残念そうに笑った。

「続きは、また今度ね」

「う、うん……」

 バスに乗り込み、私たちは席に座った。

 蓮さんは、私の手を握った。

「今日、来て良かったね」

「うん。すごく良かった」

「咲さんに、元気もらった」

「私も」

 私は、手に持った袋を見た。

 『秋の恋』の苗。

 これを、蓮さんと一緒に育てるんだ。

 そう思うと、嬉しくて胸がいっぱいになった。

「ねえ、蓮さん」

「うん?」

「この苗、どこで育てる?」

「うーん、俺の家のベランダ、広いから、そこでどう?」

「いいね!」

「週末、一緒に世話しようね」

「うん!」

 私たちは、笑い合った。

 バスが走り出す。

 窓の外には、夕日に染まった田園風景が広がっていた。

 秋の色。

 黄金色に輝く、実りの季節。

 そして、私たちにも、新しい実りが訪れようとしていた。

 いちごの苗という、小さな命。

 それを育てることで、私たちの絆も、もっと深まっていく。

 そんな予感がした。

「ねえ、芽衣」

「うん?」

「来年の春には、この苗から、いちごが採れるかもね」

「そうだね」

「楽しみだね」

「うん、すごく」

 蓮さんは、私の頭を自分の肩に預けさせてくれた。

「疲れた?」

「少しだけ」

「じゃあ、休んで」

「うん……」

 私は、目を閉じた。

 蓮さんの温もりを感じながら、今日一日を振り返る。

 咲さんの決意。

 『秋の恋』という新しいいちご。

 そして、蓮さんの言葉。

「俺たちも、夢を叶えようよ」

 その続きは、何だったんだろう。

 でも、きっと。

 きっと、私が望んでいることと、同じなんだと思う。

 ずっと、一緒にいること。

 それが、私たちの夢。

 バスは、夕暮れの道を走り続けた。

 秋の風が、心地よく車窓を撫でていく。

 赤い実りの招待状。

 それは、私たちに、新しい季節を告げていた。

 いちごの旬は、春だけじゃない。

 秋にも、恋の季節は訪れる。

 そして、私たちの恋も。

 季節を超えて、実り続ける。

 咲さんの『秋の恋』のように。

 深く、豊かに、香り高く。

 私は、蓮さんの肩に頭を預けたまま、小さく呟いた。

「ありがとう、咲さん」

「また、来年も会おうね」

 そして、幸せな眠りに落ちていった。

 夢の中で、赤い実が輝いていた。

 春の赤も、秋の赤も。

 どちらも美しく、どちらも甘く。

 そして、その全てを。

 蓮さんと一緒に味わえる幸せ。

 それが、私の宝物だった。

――― 特別編・完 ―――





ベリ恋♡ 歌詞紹介

風が 少しやさしくて
赤い予感が 街に増えてく
カレンダーに丸をつけた
今日はね いちごの日みたいな恋

朝イチの電車 ちょっと眠そうな君
「甘いの好き?」なんて 今さら聞かれて
ハウスの中は 春みたいな空気
もぎたての香りで 距離が近づく

白い練乳やチョコソースよりも
君の笑顔が先に溶けた
指先についた 赤いしるし
それだけで 胸がきゅっとした

今がいちばん ちょうどいい
寒すぎず 暑すぎず
この季節みたいに
私たちも バランス中

ストロベリー・トリップ♡
恋は食べ放題
甘いだけじゃない
少しの酸味が クセになる
噛みしめるたび 好きが増える
ねぇ 時間制限なんて
なければいいのに
今日の「いちご」みたいに

一番おいしい 今を生きたい
フェス会場は 赤とピンクの波
パフェにクレープ どれから行く?
限定って言葉に 弱い私たち
並ぶ時間さえ デートになる

小さなステージ
いちごソムリエの話
知らない世界を
君と一緒に かじってく

写真フォルダに
増えてく 赤い思い出
背景よりも
君の横顔ばかり見てる

ストロベリー・マジック♡
恋が熟してく
小粒でもいい
ひとつひとつ 大事にしたい
規格外だって 愛せるよ
春が来たら
少し変わるかな
それでも 今のこの味
忘れたくないよ

人混みの中で
手を引く君
「迷子にならないで」
その一言で
胸の奥まで 甘くなる

季節が進んでも
形が変わっても
今日の赤は
ずっと消えない

ストロベリー・トリップ♡
恋のピークは今
でも終わりじゃない
何度だって 来年も
同じ場所で 笑えたらいい
フェスが終わっても
日常に戻っても
君となら 毎日が
いちご色になる

いちごの美味しい この季節
「また来ようね」って
約束が増えた
赤い恋は
まだ 続いていく

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