こんにちは、効率オタクです。
ネタ動画だと思われますが、情けない事に引っかかってしまい考察してしまったのでそれを書いてみたいと思います...内容は部下の遅刻に対して上司が注意している場面です。
自分軸が生まれるのは他人軸を知ることができて生まれるものかなと思っています。他人軸に対しての理解がなければそれは自分軸ではなくただの自我ではないかとも考えています。
私たちの時代はよくあったことなのですが、学生時代に一部のルールを守れていない人に対して授業の初めに注意をしていました。あれって無駄ですよね、3分、5分授業時間減るんですよね。何より他の生徒の時間を拘束してしまっているんですよね。この動画も同じですよね、注意をしている上司だけでなく、同僚の時間も奪ってるんですよね。注意の仕方も勿論あるのですが、まずは他人の時間を奪っている、これには気づいた方が良い気がします。注意する側の立場になって考える、他の同僚の立場になって考えるって事です、大事かなと思います。
次に注意する側に対するものですが、我々の時代だと理にかなった事を伝える事が出来ていれば大半の人は上司の言うことはほぼ素直に聞いていたし、行動に移していましたよね。遅刻とかルールも守れていないと擁護できないんですよね、前例作ると組織の秩序が乱れるからです。言い換えればルールを守るのって自分を守る為なんです。これは会社の規則もそうだし、法律も同様ですよね。ルールを守らないのって損はあっても得がないのです。これもまた他人軸を持っているかどうかです。遅刻した側の立場になって考え、伝えれているかどうかなんですね。動画での上司は他人軸が足りていないかなと思えますね、自我の上司と自我の部下の構図かなと思います。
大学生時代に教育の格差を見せつけられた感があったのがこの自分軸を持っているかどうかでしたね、頭の良い人は早い段階でこれに気づけています。それは自我ではないんですよね。そしてこれ意外と難しいです。自分が一番であることは大事です。ただこの他人軸を考えている時というのは、その人の立場になってみる事であり視点を切り替える必要があるからです。
自分軸を持つということは、単に自分を押し通すことではなく、他者の存在を前提にした上で行動できることかなと思います。それができていない状態は、自分軸ではなく単なる自我ではないかと私は思います。