おはようございます。
朝早くに、”夜勤明けに優しいわんちゃんと遊んで
小さな幸せを感じていました”
というメッセージを頂いたのですが、ほっこりしました*^^*
そういえば、この間道を歩いてて、
『幸せはなるものではなく、気づくもの』
そう表現されてるのが目につきました。
幸せになりたい・・・
そう感じていたこともあるけれど
そのときは、外へ外へ意識が向いて
今が足りないと、今ある幸せや奇跡を感じられずにいたのでした。
その当たり前の中の奇跡に気づきはじめたのは
ふとコーヒーを飲んでいた時に
指の一つ一つが 間違いなく
コップを持つ動き、
熱さを確認して火傷しない温度で
口に運ばれる様子、広がる味わいの感覚・・・
そういう完璧な働きに触れて、
深い至福感が広がったことがありました。
からだの一つ一つの働き感じていくと
その完璧な様子に
安心しかないな・・・そう感じました。
1つ1つの指が助け合ってバランス取ってるみたいに
すべてがね、そのような働きの中にあるのです。
もっともっとだったり、都合が強ければ強いほど
見えないもの。
気付けないことって、たくさんなのでした。
昨日もね、何気ない中で
外国人の方や空港のグランドスタッフの方とのささやかな交流が
あったけれど、
”同じいのち”という感覚が深まってる中で生まれたものなのかもしれないなと
感じました。
指が支え合うみたいに、必ずそれは
目の前で起きてるけれど、個人的主観があれば
スルーされてしまうこともあるのかもしれません。
スルーが起きたらそれも間違いない働きなのですけどね^^
支え合えたり、分かち合えることでも
幸せに気付くことができる・・・
最近はいのちそのまんまを感じられるからの出合い
なのかなと感じることがあります。
幸せに気づく感度が深まれば深まるほどに
色眼鏡が外されて、ご縁ある人のそのまんまを
味わえるのかもしれませんね。
そしてね、気づきの感度が磨かれるごとに
幸せを感じる感度も繊細になるように感じるのでした。