こんにちは。
今また胸の温かさを感じているので
そこから生まれるものを表現してみよう。
今朝は自転車で街中を通り抜けて、買い物にいってきました。
頬にあたる風がとても気持ちよく
清々しい心地が生まれました。
生きてるな~っていう実感と一緒に
幸せに包まれていました。
過行く人や景色、車も
人の観念を外したところでは
生きているという
生命の戯れで
それらの様子もまた愛おしく感じられます。
私たちに必要な努力というのがあるのだとしたら
愛で在る努力だけではないかな
そんな風に感じています。
この努力は喜びから生まれます。
愛は私たちそのものだし
皆の内に宿るもの
よく似た感性の人たち、自然の中にいることも
素晴らしいけれど
同じように
違う感性の人たち、自然の少ない場所でも
観念の無いところからは
変わらず愛そのものなので
そこに現れる苦しさや違和感は
”私”から生まれるものでもあること
愛は教えてくれてる。
そこに光を当ててあげる。
するとそれら愛の中に溶けていき
”私”が少しずつ解かされ溶かされて
私が捧げられて
愛、神さまが主導権を握るようになっていく
神さまが人を生きるようになるんだな。
皆同じ愛で神さまだよ。
内なるそれを見出してあげたいね。
そんな時に目の前に現れた表現
先人の言葉
『神は”私”として輝く真我の本性のままハートの中に宿っています。
聖典は 「想念自体が束縛であり、最高の修練は、”私”という想念を
”彼”(神、真我)の中に溶解させたあと、”彼”を忘れることなく静寂の中に
とどまることだ」と宣言しています。
これがすべての聖典の究極の教えです。』
今日も意識的に、愛で在る努力の中に存在していたいと感じています。