おはようございます。
早くに目が覚めて、胸が温かいので
そこから表現したくなりました。
一緒にいた人と離れて東京に来て
その人といて心地よく感じられたことが引き継がれています。
面倒だな・・・
そういう思いが湧きあがるけれど
ふとその時のことが思い出されて
トイレやお風呂、キッチンの使った後のお掃除も
自然にからだが動いて、きれいな様子に
小さな幸せが生まれます。
野草のお茶を教えてくれた友人のことが
ふと思い出されて
こちらで野草は採れないけど
今ではネットで販売してくださってる人もいるので
買わせてもらったりと。
野草のお茶を飲むとからだが喜んでるの感じて
幸せが生まれます。
出合った神さまのことばや様子が
サラさんの一部です。
毎日過ごす中で
”捧げます”
このことばが魔法のことばになっています。
面倒だなという湧き上がりも
捧げますと響かせると
す~っと溶けて、目の前のことに
からだが動きます。
自我さんのような
”私は”というような力みが溶けていくのです。
これが好き、これが嫌い
そのような湧きも
す~っと溶かされていきます。
振り返ると、捧げるということで
自我さんの苦しみは和らぐということ
今の幸せが生まれること
体験から教えてもらっていたようです。
捧げるということは
特別なことをすることではなく
この瞬間、騒ぎ出すような
意見したくなるようなその働きを
鎮めて、自然の様子に戻すような感じがしています。
過去の離婚という体験が与えられたときも
物申す隙がなく
やってきました。
親権もお金も何もないという形がやってきましたが
捧げなさい
振り返ってみると
そのような感覚がありました。
今のこのこの瞬間に差し出すというか
捧げるという感覚。
ご縁ある人がやってきて
一緒に住むというときも
その感覚がありました。
そこから離れてこちらに来るときも
その感覚。
でもその先には、”私が”という働きが
予想もできなかった経験を与えてもらえました。
今の過ごし方も予想できたものではないし、
なぜさせてもらえるのか?と考えると
怖くなる心地もあります。
この”私が”の働きではないということを
感じるからです。
捧げます
日常の中で、気持ちが重くなるとき
必ずといっていいほど
頭の中に入り込んでいるときです。
そんなとき、
胸に手を当てて、捧げます
そう響かせると
それらは溶けて、自らの光が現れてくるのを
感じられるかもしれません。
サラさんにとっての魔法のことばです。