清らかな心

記事
コラム
おはようございます。


お散歩コースの神社では茅のわがおかれていました。
心身を清めて厄災を払い、無病息災を祈願するもの。
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祓い給え、清め給え、神かむながら守り給え、幸ききわえ給え

お祓いください、お清めください、神さまのお力により、お守りください、幸せにしてください。

こんな風に唱えることが多いようです。


最近のサラさんは神さまとひとつになれますように・・・
そういう祈りの中で過ごせることが喜びでもあることから
そうするにはこうしてみてねと
届け教えてくださってるようです。


心の穢れを落として、清めるということも
自ら向き合うこと。
神さまならどういう風に見られるだろう、聴かれるだろう・・・
そんな風に、そこで神さまの力をお借りするという
感じがしています。


六根清浄という表現も以前は堅苦しくて
あまり感じられなかったのですが、
最近よく目にしていた表現だったのでした。


以前老師さんとお会いしていた時も
よく表現されていました。


『五感(眼、耳、鼻、舌、口)五境(もの、音声、香り、味、感覚)
五感というものは正直なものですから、その時その時、その縁を縁のまんまに
受けるんです。
只、ある、そのまんまに正受です。
それで大丈夫です。
ところが、今の私たちはそこまで本当にいかないのだから
縁に触れるとそれにすぐ心がついて動いてゆく。
そういう憂いがあるから、そういう点を大いに警戒しなくてはいけない。
只思い切って、縁のままに生きる事です。
思いをいつまでぐずぐずやっておるのじゃ。』と伝えてくださってました。


☆六根清浄☆
アマテラスオオミカミがお告げになった
人間は地上に現れた神の子、神分霊である
常に全宇宙の実相を静観するべきである
本当の心こそ神と神の子の大本である
本心を裏切らないように生きなければならない
だから肉体の目にたくさんの汚いものを見ても、実相の心では汚いものを見ない
現象としての耳にたくさんの汚いものを見ても、実相の心では汚いものを見ない
現象としての鼻にたくさんの汚いニオイを嗅いでも、実相の心では汚いニオイは嗅がない
現象としての口にたくさんの汚い言葉を発しても、実相の心では汚い言葉を
発しない
現象として身体にたくさんの汚いものに触れても、実相の心では汚いものに触れない
現象としての心にたくさんの汚い考えが浮かんでも、実相の心では汚い考えを浮かべない
この時に心は清く澄みきって実相が現れてくる
多くの現象は影で映像のようであって実体ではない
もともと清いのだから汚れようがないが論理に走るとそのことがわからない
すべて美しい花から実がなる
だからわが身は六根清浄(実相円満完全)である
六根清浄だから五臓に宿る神さまは安寧である
(=わが身は健やかである)
わが心身は健やかであるから天地の神さまと繋がることができる
天地の神さまと繋がることができるから万物の霊と一体になることができる
万物の霊と一体となるのであるから願うものはすべて成就できる
至上の霊的な宝 神さまのおおいなる力
。。。

以前なら堅苦しく、感じてはダメなのか?というように
受け取っていたけれど
そうではなくて
目も耳もすべて静かで何も言っていません。
何か物申したくなる心の動き
どんな心の動きがあるのか
注意深く観てみるあげるということです。
そうすることで
光があたり溶けていく。
神さまのあるがままを見る目が養われていく。


正直に心と向き合っていくことなのだなって。


この春まで一緒に過ごしてくださった存在と居るとき
それをさせていただけたみたいです。
聖人病で、本心が隠されていたのでした。
表面上だけ良い人。


”窮屈野郎~~~~!”
なんて表現がでていたみたいです。
笑われました。
涙も怒りもいっぱいでました。


そういう表現がでた。
本当にそうなの?と動いた心を丁寧に見てあげる。


個人的なフィルターがあることに気づいていくという表現も
できますね^^


向き合う中で、少しずつ感覚の変容も起きるようで
今まで理解できなかったことが
不思議と理解できるようになる。


少しずつ自らの内に
清らかな心が生まれますように・・・



















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