愛への誘い

記事
コラム
おはようございます。


今お話していて感じたこと・・・


どのように見えても
この様子は全体(神、愛)から現れた様子


知識や教えはたくさん溢れているけれど
そこを目指す、そうなろうとすると
その知識や教えも制限になってしまいます。


様々な表現で伝えてくださってることは
すべてひとつから生まれる
表現の違い。


私たち人も
その全体の働きから生まれたものに対して
個人的な自分の都合を握っているということは
生命からすればとても不自然なことでもあるので
(個人的な自分も苦しいという感覚に包まれます)
自然に戻そう戻そうという働きも
起きてきます。


その働きがささやかな気づきでもあって
その気づきが深まるごとに
感覚の変化も起きて
そこで、今まで見た知識や教えが
なるほどなと
はじめて理解へと腑に落とされていく。


そのまま存在していれば
その元に戻ろうとする働きは
ここに自然に起きてくる。
これはどう?
これはどうだ??
というように、全体へと誘われる


焦らなくていいし、
考えなくてもいい。
(考えなくていいなら、考えないようにする!ということとはまた違い)
必要なら考えもまた自然に起きる。


ただこの様子とともにいてあげる
この様子はどこから生まれているのか・・・
それだけ・・・


苦しいときは苦しい
腹立つときは腹立つ
寂しいときは寂しい・・・


その様子が今間違いなく全体から
起きてるのだから
その様子のままでいい。


サラさんの場合は
『すべてを捧げます』


この感覚が自分という個人的なエネルギーが
全体の中へ溶け込まれ
全体の働きと一致し
そこから見える感覚へと移り変わるような感じです。


私が神を見る目は、神が私を見る目と同じひとつの目
ひとつの愛


サラさんの好きな表現です。
全体、神さまの目が養われていく。
愛の視点でもありますね。


今この瞬間、自分の都合から生まれる雲に
少しずつ気づいていけたら・・・と
祈りが起きてくるのでした。


愛への誘いは私たちにいつも届けられてる




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