私たちの本質

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コラム
自身と向き合うごとに、深い気づきに包まれる。

見えるものは、意識の中の求める答えだ。

なんて有難いのだろう・・・

自分のような相手。
そのような存在に私も出会っているからよくわかる。

そのような存在をこの世から亡くした方との向き合いの中で
一つ私なりに行き着いた感覚がある。

言葉で表現できるだろうか・・・

この私という感覚は、体を持つ分離した”私”とはまた違う。

それは生まれて物心ついた時から
いつも共にあった感覚。

長く生きてきた中で、思考に包まれた私でその感覚が隠されている。

いつもこんなにも当たり前にここにあるのに・・・

やっとその感覚に気が付いたんだ。

それが、愛そのものであり、光であり、また神でもある。
そんな表現として人は現すのだろう。

自分のような存在。
自分との境目が分からなくなるくらいの存在。

そこに真実の愛を見る。
相手を通し、その本質を感じる。

いつか天に還った彼と一緒になりたい。
それは本質、純粋な愛に還りたいという想いなんだと思う。

本質の自分、その感覚に気が付けば
天に還った存在ともいつも共にあるのだと感じる。

離れてる相手だと思う存在とも・・・

真実の愛とはそういうことなんだ。

死もなく生もない・・・

それを超えたところにある、全てを包む意識。

体を持ったまま、死を体験するとはそういうことかもしれない。

全体でありながら、個の私を生きること。

まだまだ続いていく。
まだまだかどうかもわからないけれど・・・

”私が神を見る目と、神が私を見る目は同じ。
私の目と神の目は一つの目、一つの見る経験、一つの知る経験。
そして一つの愛”

この言葉に心から惹かれているのも、そういうことだろう・・・

これは、あくまでも私の感覚であり、
皆さんの正解とはまたちがうかもしれません。

感じるままに・・・

湧き上がるままに・・・

共にそれぞれにとってオリジナルな道を通り
愛に還っていきたいですね*^^*

読んでくださりありがとうございます♡
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