「徳を積む」ことで満たされていく心

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こんにちは、咲良です。

このところ、ふと「徳を積む」ってなんだろう、と心の中で繰り返すようになりました。忙しい毎日の中で、自分の心がちょっとギスギスしているなと感じたとき、私は意識的に人に優しくしてみるようにしているんです。

そうすると、ふしぎなことに、心の奥のほうがふっと温まって、「ああ、これが私にとっての幸せの一部なんだ」と思う瞬間があるんです。

小さな行動にこめた思い
今日の咲良の徳をご紹介します。
今朝、地下鉄に乗ったときのことです。ドアが開いた瞬間、足元がおぼつかないご高齢の方が乗り込んできました。車内はそこそこ混んでいて、座っていた私は一瞬だけ迷ったんです。でもすぐに立ち上がって、「どうぞ」と声をかけました。

その方は「あら、ありがとうねぇ」と笑顔を返してくださって、その笑顔がもう、心に染みるようで…。

ほんの短いやり取りでしたが、その後の私は、ずっと気持ちよくいられました。たぶん、誰かのためにちょっとだけでも心を動かすと、自分が自分でいられるような、そんな感覚になるんですよね。

そして、午後にはこんなこともありました。道を歩いていたら、前を歩いていたおばあさまが何かを落とされたんです。見ると、杖を持って両手がふさがっている…。すぐに駆け寄って、「落としましたよ」とお渡ししました。

お礼を言ってくださるその姿に、私はまた静かに幸せをもらいました。

「誰かのため」は、自分のためでもあるって気が付きました。
「徳を積む」という言葉には、少し昔ながらの響きがあるかもしれません。だけどその本質は、今の時代だからこそ、もっと大切なのかもしれないなと思います。

人のために何かをする。それは時として、疲れていたり余裕がなかったりすると、後回しになってしまうものです。だけど、その「ちょっとしたこと」が自分の心を守ってくれることもある。

誰かの笑顔を引き出すことで、自分の心にも笑顔が戻ってくる。それが、私の感じる「徳」の力です。

神様は、ちゃんと見てくださっている
私、よく思うんです。こういう小さな親切って、誰かが見ているわけじゃない。拍手もされないし、称賛の言葉もない。だけど…神様はちゃんと見てくださっているんじゃないかなって。

不思議と、優しくしたあとには心が晴れて、その日一日がスムーズにいくことが多いんです。それって偶然かもしれないけど、私は信じていたいんです。見えないけれど、どこかで「よくやったね」と見守ってくれる存在がいると。

「積む」という言葉に込められた、咲良なりの意味
「徳を積む」というのは、何かを与えるようでいて、実は自分の心に貯金をしているようなもの。それは「自分を整える行為」なのかもしれません。

たとえば、誰かに冷たくされたとき、つい心がすさんでしまうことがありますよね。でも、そのときに自分が優しくいられたなら、心は傷つかないままでいられる。

それって、すごく強くて、すごく優しいことなんです。

あなたにもきっとできる、小さな優しさ
このブログを読んでくださっているあなたも、きっと毎日の中でたくさんの優しさを持っているはずです。誰にも見せていないだけで、誰にも言わないだけで。

それは、コンビニで「ありがとう」を伝えることだったり、バスの中で場所をつめることだったり、SNSで誰かをそっと励ますコメントだったり。

そんな小さな行動ひとつひとつが、あなたの中の「徳」として、ちゃんと輝いています。

咲良から、あなたへ
今日、少しだけ心が疲れていたり、自信をなくしている方がいたら、そっと伝えたいです。

大丈夫。あなたがしている小さな優しさは、誰かの心を救っているかもしれません。私も今日、誰かの小さな笑顔に救われました。

徳を積むことは、幸せを探す旅のようなもの。そしてその旅は、誰かと手をつなぎながら歩けたら、もっとあたたかくなる気がします。

だから、一緒に積んでいきましょう。今日も、明日も。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

🌸咲良

           読んでくださった方に感謝です。
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