抽象的なことを言葉で説明できるってすごい能力ですよね。
今、ワールドシリーズでドジャースvsヤンキースの試合が放送されていますが、野球の上達法についてはノウハウがあれば、言語化できると思います。
コーチが選手の動きを見て「もっとこうした方がいいよ」と言葉で説明できます。また、選手自身も映像を見て客観的に自分の動きを見て修正することもできます。
一方でメンタルの持ち方は一つ抽象度が上がっているので野球の上達法より少し難易度が高いと思います。
「プレッシャーがかかる場面でどのようなメンタルを保てばいいか」についてはコーチと選手自身の経験を掘り起こし、「こういう時はこんなメンタルになりがちだよね。そんな時はこうしたら楽になるよ」と、実体はない感情について打開策を見出します。
さて、宇宙の目に見える部分(生物や星、それを構成する元素)は5%ほどしかないと言われています。95%は基本的には目に見えない領域だそうなので、抽象概念の方が圧倒的に多いことがわかります。
目で見て言葉にできることってほんの一部でしかないんですね。
自分の中でうまく言語化できたとしてもそれを他人に説明するのはまたもう一つレベルが高いことです。
お釈迦様が説いた内容やキリスト教の聖書が今まで残っているのは、その抽象的な概念を言葉に残して伝えられてきたからです。
普通の人は考えも及ばなかった抽象概念を言語化してきた始祖たちは今も大きな影響力があります。
宇宙の大部分を占める「抽象の泉」から概念をすくい取って、人類の共通言語に変換して他人に伝える。
その概念は全て感覚の世界だから、人によっては盲信に繋がり、また別の人よっては猜疑に繋がる。
私のブログもどちらかというと目に見えない概念に対して言及する内容が多いです。脳の働きなんかは科学的に解明されている部分はありますが、既知の領域を半歩出ればそこはもうオカルトでスピリチュアルでトンデモ科学と表裏一体。
今の人類では完璧な言語化ができない世界がそこにあります。
ただ、わかっていない領域だからといって「そんなものはない。信じる奴はバカ」と切り捨てるのは傲慢ではないかと思います。人類が数千年、近代で言えば数百年で築いた知識の塔はまだまだ未完成で宇宙の数%をやっとのことで解き明かしたに過ぎません。
この塔から見える景色がこの宇宙の全てと言い切るのはちょっと人類を過大評価しすぎな気がします。
何事も信じ過ぎてはいけないし、信じないのはつまらない。
私も抽象的な気づきが頭を掠めることがよくあります。
その気づきがもしかしたら人類の新たな叡智につながるかもしれない、なんてことを考えながら目にみえない泉から汲んだ概念を言葉に変換する作業を頑張っていきたいと思います。
わけわからん記事ですいません。
大谷の打席見ながら降りてきた言葉をそのまま書いてみました。
これからもよろしくお願いします。
私はいつだって呼んでくれるあなたの味方です。