〇〇世代という括りがあります。
日本人は昔からその年代に生まれた人を括ることが好きですね。
私はあまり好ましく思いません。
何を隠そう私は小学校の頃から「ゆとり世代」と呼ばれて育ちました。
何かにつけて「今の若者はゆとりだから」「ゆとり教育出身」という、自分達で頼んだわけでもない教育要領の変更によって幼き頃から謎の偏見を持たれていました。
今の若者(主に2000年台生まれ)のことをメディアはZ世代と括りますね。
私には歳の離れた弟がおり、まさにZ世代と呼ばれる年齢なのですが、当の本人はZ世代という自覚は全く持っていないそうです(当たり前だと思いますが)。
今の若者は私たちゆとり世代よりも一層個人の志向が多様化しており、とても世代という言葉で括るには無理があると思います。
それでも旧態依然としたメディア、マスコミは「Z世代に大人気」とか「Z世代は映画を倍速で見る」とか、主語を拡大して報道します。
分類したい、分類しないと気が済まないというより、括ってターゲットを大きく見せないとマーケティングもしにくい世の中なのでしょう。
一人一人を見れば全く違うのに大きく括ればボヤッとした傾向が見えてくる。
以前は国民全員に受け入れられる映画や音楽があったかもしれません。
ヒットしたCDが200万枚売れる時代であればマスが大体同じものを志向しているのである程度括ることができたかもしません。
ただ、それを今の時代に当てはめるのはちょっと無理が出てきました。
十人十色、百者百様の生き方をしている時代に世代論はナンセンスになっています。
「Z世代」というワード自体も当の本人たちから見れば鼻で笑うような、無関係の概念になっていることでしょう。
さまざまな面でこういった実態とマスコミ報道の差が顕在化した結果が今のテレビ離れだとか新聞離れと言われる状況にも繋がっていると思います。
多様性、個人一人一人の尊重ということを謳いながら「〇〇世代は〜だから」と決めつけるように報道する古い価値観はもう時代に合ってないと認識しなければなりません。
そのために自分も気をつけるべきことを肝に銘じています。
〇〇世代に対して自然と括って判断してしまう瞬間があるかもしれませんし、「マスコミは〇〇だから」という、同じ様な価値観を逆に向けてしまっては本末転倒です。
物事、人の本質は自分の目で見定めて判断する目を持っていたいものです。
「最近の若者は映画を倍速で見て、見た気になっているらしい。けしからん!」
少なくとも自分はこういうことを思わない人間でありたいと思います。
若者じゃなくても倍速で見るおじさんだっています。
本人がそれで満足ならそれでいいと私は思います。
他人が口出ししてとやかく言うことじゃない。
目に見えない塊に向かって放たれた言葉は文字や音になって誰かに届きます。
「そういう人もいる」のであって全員に当てはまることではない。
当たり前なのに見過ごしがちな世代論をアップデートすることも令和的メディアリテラシーのひとつなのかもしれません。