私は会社員時代に「優秀社員賞」をいただいた経験があります。
開発系における技術開発及び発表の内容が評価されたものでした。
裏側には、誰よりも探究し、誰よりも成果を積み重ねる強い意思がありました。
当時の私はエンジニアであり、同時にデータサイエンティストとしての顔も持っていました。
領域が広く、独自の探究性が強く、さらにギフテッド的な特性もあったため、幅広い課題に対応できました。
AIが台頭し始めた時期とも重なり、私は追い風の中で誰よりも成果を残していました。
しかしその結果、周囲からの評判は決して良いものではありませんでした。
直属の上司からのパワハラ、仕事を与えてもらえない、情報を共有されない。
「尖って見える」「考えが深すぎて嫌だ」「エースと呼ばれる人より効率的に動くのが気に食わない」──
そんな理由で組織の中では常に除け者扱い。
チームを組ませてもらうこともなく、ただ一人で課題を拾い、ヒアリングし、解決策を考え、納品する。
会社員でありながら、まるで個人事業主のような働き方をしていました。
その孤独を埋めるように、私は新しい技術を開発し、特許を出願していました。
上司からの評価はなく、自己満足にすぎなかったかもしれません。
けれど、それでも自分を証明する唯一の手段だったのです。
## 打たれる杭の気持ち
ここでお伝えしたいのは「打たれる杭」の気持ちです。
成果を出しているからこそ目立ち、だからこそ打たれる。
でも、その気持ちを想像したことがあるでしょうか。
### 打たれる杭は「頑張りたい」だけ
私はただ本気で取り組み、本気でぶつかりたかった。
仲間と共に切磋琢磨し、成果を分かち合いたかった。
けれど現実は「変な人」と避けられ、孤独に閉じこもる毎日。
事務所に居づらく、会議室で一人仕事に没頭していました。
周囲がチームで議論している姿を横目で見ながら、寂しさを感じることもありました。
けれど議論に加わっても、深く掘り下げすぎて嫌がられる。
スピードも合わず、気づけばまた孤立する。
そしてまた「変わり者」と烙印を押される。
### 本当は一緒に戦いたい
誤解してほしくないのですが、打たれる側の人間は「一人でやりたい」わけではありません。
孤独を好んで選んでいるのではなく、結果的にそうならざるを得なかっただけなのです。
私自身もそうでした。
ただ一緒に議論し、切磋琢磨し、同じ目標に向かって働きたかった。
自分の知識や経験を共有し、仲間とともに成果をつくりたかった。
でも現実には、それを受け入れてくれる環境がなかった。
孤独な作業の裏側には、常に「本当は一緒にやりたい」という気持ちがありました。
会議室の隅でひとりパソコンに向かいながらも、耳の片隅ではチームの笑い声や議論の声が聞こえてくる。
その度に「自分もあそこに入りたい」「共に考えたい」と強く思うのです。
けれど、もし加わっても話の深さやスピードで浮いてしまうことがわかっている。
だからあえて距離を置き、ひとりで黙々と成果を積み上げていく。
それは決して「孤高」でも「強さ」でもありません。
むしろ心の奥では、誰よりも人と一緒に働きたいのです。
本気で働く仲間と出会い、同じ熱量で議論を交わし、互いに学び合いながら前進すること。
それこそが「打たれる杭」と呼ばれる人たちの、本当の願いなのです。
## 打つ側は気づいていない
打つ側の人は「尖っているから仕方ない」「特別だから」と軽く言います。
でも、その一言がどれほど孤独感を強め、誠実に働こうとする気持ちを削るのか、気づいていないのです。
忠誠心を持ち、真剣に取り組むからこそ、成果を出すからこそ、組織の中では浮いてしまう。
その皮肉さに、どれだけ苦しむ人がいるか。
## 最後に
もしあなたの周りに「打たれる杭」のような人がいるとしたら、その人を排除する前に一度立ち止まって考えてみてください。
その杭は、実は組織にとっての「宝」かもしれません。
打ち続けることで、あなたの目の前から本物の才能が失われてしまうかもしれないのです。
そして、もし自分の隣にそういう人がいたら──
あなたはどう接しますか?
支えるのか、それとも打つのか。
その選択が、組織の未来を大きく変えていきます。