ないものばかり見えてしまう日の、やさしい処方箋

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コラム
人はどうして、
ないものねだりをしてしまうんだろう――
そんなことを、今朝ふと考えていました。
誰かが持っているものを
うらやましく思ってしまったり、
自分にないものを数えて落ち込んでしまったり。
本当は、ちゃんとあるはずのものよりも、
足りないほうにばかり心が引っ張られてしまう。
「どうして私はこうなんだろう」
「なんで自分の環境はこんなふうなんだろう」
そう思ってしまう気持ちは、私にもあります。
人の心って不思議で、
望むものに手が届かないと、
“ないもの”の影ばかりが
大きく見えてしまうんですよね。
でも、それって弱さじゃなくて、
人がもともと持っている仕組み
みたいなものなんだと思います。
昔の私たちは、
足りないものを見つけて補うことで
生き延びてきた。
だから
「欠けているもの」に目を向けてしまうのは、
実はとても人間らしい反応なんですよね。
そう思うと、
ないものを見て落ち込んでしまう“あの感じ”も
少しだけやわらかく受け止められる気がします。
ときどき、
「器の大きさ」
という言葉を耳にします。
でも、本当の器って
“大きいか小さいか”ではなくて、
「いまの自分が抱えられる量は、これくらい」
そんな、
自分への静かな理解なんじゃないかと思うんです
器を大きく見せようとすると苦しくなるし、
逆に自分を小さく扱いすぎても、
これまたしんどい。
“いまの私には、このサイズがちょうどいい”
そう認められたときに、
ふっと心が軽くなる瞬間があります。
そして、
泣くことと現実を見ることは、
矛盾していないんですよね。
今朝ふと、こんなことも思いました。
「泣いていい場所なんて言いながら、
『現実を見るのが一番』
なんてちょっと冷たいかな…」って。
でも、冷たいどころか
実は、どちらもとても大事な心の動きなんだ
と思うんです。
泣くことは、心が限界を超えないための休息。
涙で負荷を少し流してあげることで、
やっと
“現実”という重みを受け止められるようになる。
だから、
泣くことは弱さではなくて、
前へ進むための準備なんですよね。
涙のおかげで、
現実が少しやわらかく見えることだってあります
“もし…だったら”
“あのとき…していれば”
そんなふうに
過去や理想に思いを馳せてしまうのも、
誰にでもある自然な心の動きです。
ただ、
その思考がぐるぐるしはじめたら、
ほんの少しだけ、
今の現実に視線を戻してみる。
「いまの私にできることは、
どんな小さなことだろう」
「いま手の中にあるものは、なんだろう」
そうやって、
“いまここ”に戻る瞬間が一度あるだけで、
心は驚くほど落ち着きを取り戻します。
ないものばかり数えてしまう日もあります。
涙がこぼれそうな日も、きっとあるでしょう。
でも、
そんな自分ごと、そっと抱きしめるように
現実を見てあげられたら――
今日の心は、ほんの少しだけ生きやすくなる。
どうか、
“いまのあなた”が持っているものにも、
やさしく気づけますように。



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