「我慢は美徳じゃないと知った」

「我慢は美徳じゃないと知った」

記事
コラム
「我慢」という言葉には、
私たちが思っている以上に
深い背景があるのだと知りました。

それは、ただ“耐える”という意味ではなく、
自分の心を見つめ直すきっかけになる言葉でした。

仏教でいう「我慢」という言葉には、
もともと“慢心”という意味があったのだそうです。

強い自己意識から生まれる、
「自分のほうが正しい」
「自分のほうが上だ」といった思い。

静かに胸の奥でふくらんでいく、
そんな心のあり方を指していました。

けれど、私たちが日々口にする「我慢」は、
少し違った響きを持っていますよね。

悲しいことやつらいこと、人に言えない気持ちを
ぎゅっと握りしめて耐えること。

どこかネガティブで苦しい状態なのに、
「我慢できる人は立派だ」と、
まるで美徳のように扱われることも
少なくありません。

同じ「良くない心」から来ている言葉なのに、
その印象は大きく違います。

仏教の「我慢」は
自分を高く見てしまう心で、
日常の「我慢」は
自分を小さく押しつぶすような心。

真逆のようでいて、でもどちらも
私たちの中に静かに居座ってしまうものです。

「私が我慢すれば丸く収まる」

「言いたいことを飲み込めば波風は立たない」

そんなふうに、自分を抑え込むことが
優しさだと思い込んでしまうこともあります。

けれど、よくよく内側を覗いてみると、
その奥にはほんのわずかに、
“自分が耐えれば状況はよくなるはず”
という慢心が潜んでいることもあります。

私自身も、「私さえ我慢すれば」と
自分を犠牲にするような気持ちに浸ったことが
何度もあります。

当時はそれが
「思いやり」や「責任感」だと信じていました。

けれど、振り返ってみれば、
その裏には「私がなんとかしなきゃ」という
小さな誇りのようなものが
あったのかもしれません。

我慢という美徳に隠れてしまう心。

耐えることでしか
関係を保てないように感じてしまう心。

でも、

“ただ耐えるだけでは、
 誰も幸せにならないのかもしれない”

そんな思いが、
胸のどこかでふっと芽を出しました。

これからは、我慢する強さではなく、
自分の気持ちを大切にする強さを
育てていきたい。

相手を尊重しながら、
自分の声もそっと拾い上げる。

「対等であたたかな関係」を
目指したいと思うのです。

我慢という言葉に縛られるのではなく、
心の対話を大切にしながら、
自分と人をやわらかく抱きしめていけるように—

今は、そんなふうに感じています。

我慢を手放すことは、
わがままでも弱さでもありません。

ただ、ほんの少しだけ
“自分の心に正直でいる” という選択です。

その小さな選択が、これからのあなたを
やさしく守ってくれますように。


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