二元性

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コラム
ある意識にフォーカスすると、強烈な感情を引き起こすことがある
例えば「被害者意識」
何らかのきっかけでこれにスイッチが入ると、猛烈な怒りや悲しみや憎しみ、批判の嵐に引き込まれドラマの中にどっぷりと浸かることになる
そして「自己」を見失う

例えば「加害者意識」
これにフォーカスすると強烈な罪悪感やいたたまれなさ、自信の喪失感や後悔に苛まれることになる
あまりにもその感情が辛いから「自分の方こそ被害者だ」と主張して、その苦しみから逃れようとすることすらある
そしてやはり「自己」を見失う

被害者意識も加害者意識もその意識を持ち続けている限り、どちらの側であっても安らかな気持ちに辿り着くことはない
これらはセットであり、同じコインの裏表のようなもの
鳥になって、空から地上を見下ろせば見える
そのような視点から見てみると分かる
自分を「被害者だ」と思った瞬間、加害者を創造してしまう
何故なら加害者なき被害者は存在しないからだ
自分が何かの被害者だと思っているなら、誰かしら他の人を加害者と思っていると言うことだ
表面の自覚できる意識ではそう思っていなくても、もしも心の奥底にこの被害者意識がシコリになってあり続けていると、常に誰かが加害者に見えてしまったり、言い換えると加害者を引き寄せしてしまうこともあるかもしれない

何故ならこの世の中はふたつでセットだから
三次元であるこの世界は、「二元性」と呼ばれるセットやペアや対で出来ている
でもそれは何も悪いことではない
「悪」ですら「善」と対のコトバ
これはコトバ遊びでなく、表がなければ裏は存在しないし、良いも悪いも超えたところに私達の本質=自己はある、という話し

何かの出来事や感情をきっかけに、私達は片方だけにフォーカスしてしまいがちだけれど、必ずもう片方が存在している
そして鳥になって地上を見下ろすかのように、被害者意識も加害者意識も、悪も善も両方同時に見ているというか、そこを超越しているのが本来の私達の視点=自己

元いたワンネスの場所からあえてこの地上に、二元性の三次元世界に降りて来て、片方にフォーカスすることでより深くを知ることができた
私達のこの旅はそろそろ終盤を迎えつつあり、もうターンして本質の自己へ戻る人もいる
そう、意識の上昇、アセンション

ここにいながらも、この二元性の三次元世界に留まりながらも、片方にフォーカスすることをやめられれば戻ることが出来る
自分を被害者だと思うことをやめれば、誰も加害者ではなくなる
瞑想をしたり、過去の未消化な感情のシコリがあればそれを溶かしたり、あるいはそこを超えている人と接したりすると波長が同調し、気付きが起こることがある

癒しもそう
癒しは起こすものでなく、起こるもの

二元性を超えた目で自分や物事を見たとき、涙や暖かさや安堵感が溢れてくること
ああ、そうだったのか と。
時間がたった時に、「あのときのあのことが、今のここにつながるのか、ではあれは必要な経験だったんだ」とわかる場合もある
そのときは最悪に思えても、今ここにいてこうしているのは、あのことがあったからだ」と
そうすると、「最悪」は「最悪」でなくなる
その時、ずっと握り締め続けていた「この怒りや悲しみはどうしたら良いのか?誰がこの責任を取ってくれるのか?」と思っていた気持ちはもはや存在しなくなる


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