24歳の私は、よく泣いて、よく笑って、よく誰かの心配をしていた。
その頃の私は、まだ“優しさ”という言葉の本当の重さを知らなかった。
自分自身もボロボロで、夜中に何度もため息をついていたのに、
パソコンを開けば、そこには「助けて」という文字が並んでいた。
知らない人たちの心の叫び。
それを放っておけなかった。
気づけば私は、夜通しキーボードを打っていた。
「大丈夫だよ」「あなたのせいじゃないよ」
そんな言葉を、自分にも言い聞かせるように打ち続けていた。
あの頃、私は自分の痛みを使って人を支えていたんだと思う。
人を救うことで、ようやく自分が生きている気がした。
でも、いつからかそれは“優しさの暴走”になっていた。
全部の人を助けようとするあまり、
自分の心の居場所を失っていった。
それでもあの24歳の私は、必死だった。
そして、必死なまま、ちゃんと生き延びた。
49歳になった今、私は“優しさ”の使い方をようやく覚えた。
誰かのために生きるんじゃなくて、
「自分が生きぬいて、誰かを想う」という順番に変わった。
昔は「全員に届く言葉」を探していた。
今は「目の前の一人に届く言葉」だけを探している。
私はたくさんの人と話すのが得意ではない。
同時に何人も相手にすると、心が迷子になる。
でも、それが“欠点”じゃないって今はわかる。
私は「一人と深く向き合う人」なのだ。
その人が安心して心を開けるまで、
寄り添い・見守り・時々笑わせる。
そういう関わり方が、私の“優しさの形”なんだと思う。
若い頃の優しさは“広さ”だった。
今の優しさは“深さ”になった気がする。
あの頃は、太陽のように誰もが笑顔になれるよう照らしたかった。
今の私は、スポットライトのように、一人の心をそっと照らしたいと思う。
それは退化ではなく、進化。
優しさの形が変わっただけだ。
24歳の頃から、私には一つだけ変わらない信念がある。
「私の考えはこうだけど、決めるのはあなた自身だよ。」
どんなに心配でも、相手の人生を背負えるだけの力は私にはない。
だから私は、自分の意志を通すのではなく、
相手の心の中にある答えを導きたい。
それは、24歳の私が生きる中で学び、
49歳の私がちょっと照れくさいけど、誇りとして持っていることだ。
私の人生は波乱万丈。
それは今でも、たぶん変わらない気がする。
愛されたり、裏切られたり、泣いたり笑ったり。
でもどんな日も、不思議と腹は減る。
そう、波乱万丈でも腹は減る。ハラだけに笑
だから、生きるってそういうことなんだと思う。
悲しみも喜びも、全部ルイボスティーと一緒に飲み込んで、
それでも明日もちゃんとお腹が空く。
だから私は今日も、ルイボスティーを淹れて誰かの話を聞く。
そして自分の話も、少しだけしたいと思う。
優しさを前より上手く使えるようになった気がする。
24歳の私がいたから、49歳の私がいる。
あの頃の「全部抱えた私」も、
今の「ひとりに集中する私」も、どちらも本物の優しさだ。
優しさは変わる。
でも、優しさが私を生かしてくれたという事実だけは、
これからもずっと変わらない。
───これが、私の優しさ進化論───