こんにちは。人間形成の場、エンパワラボの有岐です。
皆様いかがお過ごしでしょうか?
やらなければいけないのに、動けない。
焦っているのに、体がついてこない。
そんな自分を、責めていませんか。
それは怠けているわけではありません。
むしろ、順番が逆なんです。
渇いた地面に、水をやらずに、
「もっと育て」と言っているようなものです。
あなたを動かしているその「やる気」が、
逆に、心を枯らしているのです。
心は、やる気では動かない。
こころは、「感じてから、動く」。
そう。
心は、押せば動くようなものではないんですよね。
「やらなければ…」と思えば思うほど、動けなくなるのは、
心の順番を、逆にしてしまっているからです。
「なんか違う」
「こっちじゃない」
そんな感覚を、どこかでもう感じているんじゃないでしょうか。
やる気を振り絞るほど、
焦れば焦るほど、思考は狭くなっていくものです。
これは、あなたの「意志」の強さの問題ではなくて、
「やる気」という力そのものが、そもそも長距離走には向いてないんです。
では—何があなたの深部の心を動かすのか。
それが、「こころの感触」です。
「こころの感触」。言葉にすると、こんなふうに言えるかと思います。
1つは、「気配」。
―頭よりも先に、体がとらえている感覚です。
そして、2つ目は「軸」。
―あなたという、人間の核にある中心です。
そして最後、3つ目が「動機」。
―誰かに言われなくても自然と内側から湧いてくるようなものです。
今からお話する、この3つの「心の感触」の中に、心のどこかが感じる「あなたの答え」がきっとあると思います。
川が高い方から低い方へと自然に流れるように—あなた自身が、本来向かいたい方向へ、自分の足が自然と向かう感覚。
今日は、そんな道筋をご一緒に辿っていきたいと思います 。
🌿🌿🌿
🟩「やる気が、心を枯らす」
「こころの感触」とは、どういうものか。
まず、一つの場面から見ていきましょう。
昨日、ある女性がこんな投稿をしたのを見ました。
話し合いをしようとすると、不機嫌になる夫。
黙る、どこかに行く。
ケンカしたいわけじゃない。冷たいわけでもない。
ただちゃんと話したかっただけ。
でも、どんなに優しく伝えようとしても、「伝わらない」とわかった時に、話すのをやめた。
だって、いつも「自分が正しい」の前提で話が始まるから。
話し始めた瞬間から、「でも」と話が遮られる。
ホントのことは、何も伝えられないまま、溝が深まるばかり。
ちゃんと聞いてくれる人の前だったら、ここまで飲み込まなかった。
話さない事が当たり前になってしまうまで、どれだけ飲み込んできたか。
私はずっと、あなたと話し合いたいだけなのに…
これは、家族や会社、パートナーに対して誰もが感じることではないでしょうか。
特に子供がまだ小さい時とか、仕事で自分が手一杯な時…
心配すること、やるべきことが同時進行で頭はいっぱいです。しかも、いかに速く、効率的に、そして、ちゃんとできているかを、 常に問われてしまいます。
そんな中で…
「やる気」は私たちを追い込むものとなってしまうんです。
「今までお前は何もやり遂げたことがないじゃないか。」
そう言われた事がありませんか?
何かをやり遂げた成功体験がないと「ダメなやつ」なんでしょうか。
違います。
世間や学校では、こう言います。
目標を考えて、計画を立てて、自分を追い込めば、前に進める。
つまり、
「自分の心を鞭で打って、やる気を振り絞れば行動できるんだ」って言うんです。
でも―そこに一番大事なことが入ってないんです。
「こころ」がそこに入ってないんです。
やる気を振り絞れば絞るほど、心は摩耗します。「やる気」―それこそが、こころを枯らしてしまう原因なんです。
こころを無理に押すと、緊張や自己否定が育っていきます。視野が狭くなって、判断が荒くなるんです。
やる気は、短距離を走る力であって、長い人生を走る力にはなれないのです。
そして、「こころ」は本来、外から強制されたら、逆に防御が強くなるものなんです。
私たちは、人は「考えてから動く」と思いがちですよね。
でも、実際は逆なんです。
心がまず感じて、そのあとで思考が、「納得できる理由」を後からつけているだけなんです。
こんな経験はないでしょうか。
お店に入った瞬間、目に入ってきた商品に「あぁ、いいなあ」と心が共鳴します。値段は高かったんですが、衝動的に買ってしまうんです。
その直後、やっと思考が動き始めます。
―「これは長く使えるし」「自分へのご褒美だし」「今買わないともう手に入らないし」そんな買った理由をものすごいスピードで組み立てるんです。
思い当たりませんか?
それこそが、「これが欲しい!」と、頭よりも先に、体がとらえている感覚なんです。
その感覚が、こころが感じている「感触」です。
🌿🌿🌿
私たちは、深い森の中を歩いています。
思考が『明かり』だとしたら、こころが感じる感触とは何でしょうか。
「心の感触」とは、「明かりが照らし出す前に感じる、森の湿った土の匂いや感触」。そんなふうに言えるかもしれません。
足の裏で感じている土の湿り気。肌にまとわりつく空気。―こころが感じる「気配」。
それは、あなたと言う人間の中心にあるもので、そこから「あなた」が生まれてくる「源泉(げんせん)」のようなものです。
なぜ焦るほど、失敗するのか
なぜこころが枯れて動けないのか
そのすべての答えが、「こころの感触」の中にあるのです。
では、ここからは、自分を無理に追い込むのではなく、こころの「感触」に沿って、人生を川の流れのように生きることができる、そんな秘訣をお話ししていきますね。
🟩こころは、感じてから動く
「本物」のワクワクと、「偽物」のワクワク
あなたが「ワクワク」することをするといい—そんな言葉を、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
「自分がワクワクすることって何だろう?」そんな風に考えたことがあるかと思います。
特に、苦しくて、何とか今の状況から抜け出したいと思った時。または、転職や進学のような人生の岐路に立った時、
「自分の心は一体何を求めているんだろう…」
ふと、そう思ったことがあるかもしれません。
ここで1つの物語をお話します。
🌿🌿🌿
この競争の社会の中で、私たちは気づかないうちに、
「このままじゃいけない、何とかしなければ…」、そんな怖れと不安のエネルギーで走る「人間という戦士」になっています。
そんな中、ある若い男性がいます。
暗記の量や、言われたことを正確にこなすことが評価になる—そんな教育や社会のシステムに、自分をはめることが苦しかったんです。
ある日、久々に会った友人にこんなことを言われました。
「オレ、今、夜の世界で働いているんだ。接客業って自分の力がそのまま評価につながるから、ホントにやりがいがあってさ…」
そう話す友人の目は、キラキラしていました。自分が持てなかったものを、すでに手にしているように見えたんです。
もともと社会の枠の外で自分を試してみたいを思っていた彼は、「一緒にやらないか」という誘いにのる事にしました。自分が思い浮かぶすべてのことを、時間もお金も投資して飛び込んだのです。
―でもどうしてもうまくいかない。
必死になって焦り、もがけばもがくほど沈んでいく。
「ファンを作らないと…」
いつも頭の中は、数字に追いかけられていました。
売上とお客の数。給料、評判、他人の目、損得…
その声は、とてつもなく大きくて、彼を押しつぶしていきました。
追いかけて、追いかけて…でも頑張れば頑張れ程、数字は逆に小さくなっていったんです。
―そしてある日、彼は動けなくなりました。
ゴミ溜めのような暗い部屋の中で、ベッドから動けなくなり、何日も何日も、天井を見ることしかできませんでした。
今まで…嵐のようだった自分の中が、一時停止のスイッチが入ったようにだんだんと静かになっていったのです。
ゆっくり、ゆっくりと……心の表面にあった波の「波紋」が、小さくなって…
ある時、やっと池の底の「石」が見え始めました。
—こころが「感触」を、静かに感じ始めたのです。
「何か違う。」
自分が元々求めていたものは、これじゃなかったんじゃないか…
そう。
「ワクワク」って実は曲者なんです。
表面的な「偽物」と、奥深くの「本物」がある。そこに大きな違いがあるんです。
それが、行って見ればこころが感じる、「感触」と「欲望」の違いです。
最初に友人を見て感じた「心から魅力的だ」という感覚
—これは本当に彼の魂の声だったんでしょうか。
ワクワクには、2つの種類があるんです。
1つは、魂が生まれつき持つ、静かで深く、変化しない「生の声」です。
自分の「中心」にあるもので、活用するための道具ではなく、そこからあなたの活力が湧いてくる「源泉」のようなものです。
そしてもう1つが、「なりたい自分へのイメージ」への興奮です。
キラキラした自分のイメージへの反応です。
これって、すごく強烈なんですよね。
違いはどこだと思いますか?
こころの感触は、
「自分が何者か」
から湧き出るものです。
一方、なりたいイメージの自分は、
「自分がどう見られたいか」
から沸くものなんです。
給料・評判・他人の目・損得…
つまり、「なりたい自分へのイメージ」への興奮は、外側にあるものへの反応なんです。
言い換えると、「鏡に映った自分への執着」とも言えます。
焦りばかりが前に出ている
やる気ではもう踏ん張れない
こころが「何か違う」と言っていても、頭が「だって、ここまで頑張って来たんだから」と押さえ込んでいる。
—そんな状態ではないでしょうか。
もし、自分が思い当たる所があるなら、
「やる気を出してもうひと踏ん張りしろ」と自分を奮い立たせるのではなくて…
今は、ゆっくりと「自分の輪郭を思い出す作業」が必要な時なのです。
今日は、ここまで。
次回、この続編は↓こちらから読んで頂けます。
「鏡に映った自分という影」
今日も最後まで読んで頂き、本当に有難うございました。
氣功師の有岐でした。