こんにちは。
人間形成の場、エンパワlaboの有岐です。
いかがお過ごしですか?
11月に入り、急に年末ムードを感じる季節になりました。
ちょうど今は、「今年の実り」を貯蔵する時期です。
今日はこんな問いかけから始めさせてくださいね。
あなたはいま、「他人の世界」に生きていないでしょうか?
他人の目を気にすればするほど、“あなた”という存在は少しずつ薄れていきます。
そして、ある日ふと気づくのです。
「誰の人生を生きているのだろう」
「何のために生きているのだろう」と。
実は、人とは「隠すことで安全を保とうとする」本能を持っています。
子どもが不登校になったこと。
思春期に荒れて不良仲間とつるむこと。
仮面をかぶったまま家庭を保っていること。
家庭に障がいがあること。
学歴が低いこと。
経済的に困窮していること。
家族の引きこもり。
仕事の問題。
アルコールや薬物への依存。
恋愛への依存。
――誰も口にしない、隠していること。
人は、恥や哀れみ、そして尊厳を傷つけられることを恐れて、
自分の弱さや「異質さ」を外に見せないようにします。
「このことを話したら、世間に批判されるかもしれない」
「知られたら恥ずかしい」
そう思って、誰もが心の奥に口を閉ざしたまま、
自分だけの痛みや葛藤を抱えているのです。
――では、あなたは「自分のこと」をどんなふうに見ていますか?
ここでいう“自分”とは、外側に向けて演じている「仮面の自分」ではなくて、
内側のあなたの目が見ている、本当の「あなた」のことです。
人は誰しも、自分を「不十分な存在」だと感じています。
自分は弱く、何かが欠けている――そう思い込んでしまうんです。
他の人が自分よりも立派に見えたり、
自分だけが何か足りないと感じて苦しむことはありませんか?
今日の話は、その“苦しみ”の根底にある構造――
恐怖によって支配されている世界の仕組みを見つめて、
そして、そこから抜け出すための「鍵」を探すものです。
読み終えたとき、
あなたの中にある“恐れ”の正体が見えて、
心が少し軽くなるかもしれません。
では、ゆっくり読んでくださいね。
💎「承認」と「向上」―2つの生存戦略
人類の進化の歴史を振り返ると、
私たちは何万年という時間で、生き延びるために2つの本能を磨いてきました。
それが、「承認」と「向上」という特性です。
私たちは、長い人類の歴史の「最前線」に立っています。
つまり、「承認」と「向上」という特性を、より強く持つ人間が遺伝的に生き残ったということです。
そして・・・その末裔が、今を生きる私たちなのです。
「承認」と「向上」という2つの遺伝子の特性は、私たちがこれまで生き延びてこれた、生命が刻み込んできた“生存の智慧”と言えるかもしれません。
そして、それが今の私たちを苦しめる遺伝子装置ともいえるのです。
では、少しずつ解説していきますね。
🌿「承認」――孤立を避けるための本能
群れの中で生きる私たちにとって、仲間に認められることは命の保障でした。
だから人は、他者の目を気にし、「受け入れられる存在」であろうとします。
すなわち、「孤立」を避けようとするのです。
「いじめ」はその典型的な例です。
集団の中でヒエラルキーの上位にいる者が、誰かを排除しようとすると、
周囲の“日和見菌”のような人々は、自分を守るため――つまり「受け入れられる存在」であるために――その排除に加担します。
これは、人間が本来持つ特性なんです。
だから、学校や会社で表面的に問題を処理しても、残念ながら、根本的な解決にはならないんです。
この構造が存在するという「事実」を、
まず“知る”こと。
すると、誰かを裁く事で問題を収束しようなんていう「小手先の処理」でなくて、
「物事の本質は何か」を見るようになります。
それが、私たちの意識を変える、大切な1歩なんだと思うんです。
🌿「向上」――進化のエンジン
もう一つの本能は、「向上」です。
これは“進化のエンジン”とも言えるものです。
「もっとよく生きたい」――
その欲求があったからこそ、人類は火を使い、道具を生み、言葉を紡ぎ、文明を築いてきました。
でも、この「向上」はそれと同時に、ひっくり返すと
「もっと」、「まだ足りない」そういう衝動でもあるんです。
つまり、人間の遺伝子には“不足感”が深く刻まれているのです。
かつて生き延びるために必要だったこの能力は、
現代では“強迫装置”となって、私たちを追い立てています。
💡💡💡
「承認」は他者の評価を求め恐れる心へと変わり、
「向上」は終わりのない比較と競争へと姿を変えました。
以前、氣功の生徒さんがこんなことを言っていたのを思い出しました。
それは・・・
「連休の間、ネットを見てゴロゴロしていました。すると、なんだか自分が生産性のない無価値な人間に思えて苦しいんです。」そう言われたんです。
遺伝子に組み込まれた「承認」の装置は、
「何をしたか」
「どう評価されたか」
―この時だけ「自分は存在していい」と感じさせる構造になっています。
裏を返せば、
「何もしていない自分=価値がない」とあなたの無意識は信じているんです。
私たちには皆、同じ遺伝子がもれなく備わっています。
だから、何かをする事で存在を証明しようとするんです。
そこには、「承認を外からもらわないと自分が消えてしまう」
そんな深い「恐れ」があります。
その構造は、あなただけではなく誰の中にもあります。
その“強迫装置”の正体こそが、
私たちの中に刻み込まれた「承認」と「向上」の遺伝子なのです。
📚🦉📚
では、「自分の存在」について少し触れさせてください。
「死」というものは、現代では物理的な距離としては遠く感じますよね。
けれど、精神的な距離はかつてないほど近くなっていると思いませんか?
精神的距離――それは、「自分が存在する意味」の距離です。
今の時代、食べ物も、衣服も、住む場所も、容易に手に入ります。
私たちは今、
物理的な「生存の恐怖」からはほとんど解放されています。
飢えで死ぬことも、夜に獣に襲われることも、ほとんどない。
けれど――
その豊かさの中だからこそ、物理的な死ではなくて、
人は“精神的な距離で感じる死の感覚”、
たとえば、
・誰にも必要とされない
・社会の中で自分の居場所がない
・自分の存在が価値のないものに感じる
こうした“見えない恐怖”があるんです。
この正体は、言い換えると「存在の承認を失うことへの恐怖」です。
古代の人は「命」を奪われることを恐れました。
その恐怖は、今の私たちにとっては、
自分が存在の「意味」を得られない、または、認められない、
そういうことが、死と直結する精神的恐怖だと思うんです。
あなたの「自分が存在する意味」。
あなたが心の奥底でずっと求めている「それ」は何でしょうか?
精神の死の恐怖から自由になる―大切なのは、
「生き残る」ではなく、「存在を感じる」ことなんです。
それは、
「誰かに認められて生きる」ではなく、「いのちそのものを感じて生きる」こと。
社会の「良い」「悪い」とか、点数という外側が決めた基準なんて放っておいて、
自分がやってみたい、生きてみたい、表現したい。
そんな感覚で、実際に何か小さいことを始めてみるんです。
🎨🎨🎨
スペイン画家のピカソの話をさせて下さい。
ピカソの生涯の絵の遍歴は、まさに彼の精神や内面の写し鏡なんです。
皆さんが知る「ゲルニカ」や抽象的な絵は晩年のものです。
実は、若い頃の彼の絵は写実的で、技術的にもまるで写真のような完璧な描き方だったんです。
それは、外側に認められ、世界を支配する力を求めた時期だったのだと思います。
そこから「青の時代(1901~1904年頃)」――
孤独と内面の闇への旅が始まります。
「孤独」「貧困」「死」「悲しみ」というテーマを描き、
彼の絵の色彩は青色に染まっていきます。
それは、外側の世界から内なる心にある「不足感」や「孤独」への探求の現れ。
彼は「内面にある自我の痛み」を、描くことを通して表現し続けたのだと思います。
ピカソは「内面にある自我の痛み」を、描くことで昇華していったのだと思います。
続く「赤の時代(1904年~1906年頃)」では、
人間の温かさ、愛、共感が描かれます。
サーカスの人々など、哀しみを抱えながらも懸命に生きる姿。
そこには、人間の愛の心の循環が在るのを感じられます。
私は思うんです。
太極図のように、光と影はひとつの円。
私たちはつい、光だけを見たがりますが、影の中にいる時にこそ光が見えるんですよね。
ピカソのように、人は自分の中の影と対面した時期を超えた後にこそ、
苦しみを通して‟人の美しさ”が見えるんだと思うんです。
光と影でひとつの「円」。
私たちの中の光と影はそもそも分かれてないんです。
悲しみの中からこそ生まれてくると思うんです。「優しさ」が。
少し長くなりますが、もう少し書かせてください。
次に「キュビズムの時代(1907年~)」が来ます。
キュビズムとはキューブ、つまり正方形のような視点。
写実で始まった描き方は、ここで「ものを一方向から見ること自体が”幻想”だ」と気づくんです。
「現実とは何か?」「見るとは何か?」――
哲学的な問いがここから始まりました。
すごいですよね。
出来事はただ‟ある”。
自分のこりまった「主観の眼鏡」で、それを一方向から見ている‟幻想”に過ぎない・・・
まさに意識の覚醒が始まった時期だと思います。
そして・・・1937年のゲルニカ。
私は学生の頃、もう30年以上前にマドリードで実物を見ました。
壁一面に広がるその絵に、静かな圧倒感を感じました。
そこには、今までの自己の表現を超えた「世界そのものの叫び」がありました。
芸術家は、魂の覚醒を「叫び」として表現する存在なのだと思います。
✨✨✨
「誰かに認められて生きる」ではなく、
「いのちそのものを感じて生きる」
―完璧さなんかまったく必要ないんです。
正しさや評価も関係ないんです。
自分が「納得」してるだけでいいんです。
「完璧を捨てて、納得で生きる」
それだけを握りしめていたらいいんです。
ピカソだって、その時その時の自分の精一杯を書いているだけ。
生涯で自身の中身が変化している様を、一生かけてただ表現しているんだと感じます。
完璧なんて捨ててしまおう!
自分の「納得」でいいんです。
自分が世界に生み出す「何か」。
小さくてもいい、誰にもしられなくてもいい。
あなたの心が話す「何か」を聞いて、実践してみて下さい。
初めはほんの些細なことでいいんです。
でも、その「心に従ってした小さなこと」を積み重ねるうちに、
「今日もできた」「今日も少しでもできた」――
その実績が、自分への信頼に育っていきます。
やがて、だんだんと自分を心の奥から信頼できるようになっていくんです。
「誰かに認められて生きなくてもいい」
「自分のままで存在することで充実を感じられる」
🌿🌿🌿
それが、精神の死の恐怖感が不思議となくなっていく方法なんです。
「生き残る」ためではなく、
「存在を感じる」ために、生きるということなんです。
今日は、昔息子が5年生の時、
「ママ生きるって大変なんやね」
と泣きながら言ったのを思い出して、今の私がその時の彼に向って
伝えたい言葉を書いてみました。
今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
あなたの感想、お待ちしています!
氣功師の有岐でした。