バレエ人生のパワーの源

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ここでは、ロシアバレエ留学→海外バレエ団就活→ツアーカンパニー→国立バレエ団→現役引退→バレエ留学生コンサルティングでの経験をもとに、私の思いを綴ります。

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私が小さかった頃、生まれ育った北海道の富良野には、バレエ教室が一つしかありませんでした。

先生が地方から来てくれていた事もあり、レッスンは週に一度だけ。

2歳からずっと同じ先生に指導してもらっていたのですが、その先生のことが大好きで大好きで、多分バレエよりもその先生が好きでレッスンに通っていました。


そんな私がバレエに目覚めちゃったのは確か小学5年生の頃。

バレエ教室の発表会の合同リハーサルでのことです。


私が通っていたバレエ教室は本部スタジオが大きい街にあって、富良野はその支部スタジオでした。

そして支部スタジオは富良野の他にもう一つ、違う街にもありました。


当時、富良野のスタジオでは私と同学年で習っている子が少なかったので、私は優しいお姉さんや大人リーナの方々にチヤホヤされていたのですが、他スタジオとの合同リハーサルに行ってびっくり仰天。

同学年の子達がわんさかいて、しかもみんなとっても上手!

それもそのはず。
私は週1回のレッスンでしたが、他の街のスタジオの子達は週2〜5回レッスンをしていました。

「あれ?もしかして私…下手くそなのか?」

小さい頃の私は負けず嫌いで、とっても上手に踊る同学年の子達を見て

「こんなんじゃダメだーーーーーー!」

と思ったのを覚えています。笑



今考えても不思議なのですが、なぜだか、「自分はここでもんのすごく頑張らなくちゃいけない」と思ったのです。



それから私は、地方スタジオのレッスンにも通いたい、と母にお願いしました。

本部ではなくて、本部より近い方の地方スタジオです。

週に2回、富良野からJRで往復2時間の1人旅。

両親が持たせてくれたオレンジ色のガラケーを首から下げ、レッスン道具、飲み物と夜ご飯が入った大きなリュックを背負ってのレッスン通いです。

しばらくするとコレだけでは物足りず、本部スタジオのレッスンにも行きたいとお願いしました。

本部の街までは、JRで一度乗り継ぎしなくてはいけなくて、街に着いたらレッスン場までバスと地下鉄を使わなくてはいけません。

片道約3時間半。

両親の心配なんてつゆ知らず、私は地元と地方支部のレッスンに加えて、週末には本部のレッスンにも通うようになりました。

金曜日、学校が終わる頃に母が迎えに来てくれて駅に直行 → JR乗り継ぎ込みで3時間、髪はJRのトイレで結って → 地下鉄 → バスに乗りレッスン場へ。

本部では2クラス続けてレッスンさせてもらっていたのですが、最終のJRに間に合うよう、2クラス目はちょっと早めに切り上げさせてもらって、JRの駅までは全力ダッシュ、富良野に着くのは23時半。

往復約7時間のレッスン通いに慣れた頃、金曜日のレッスン後は本部がある街に住むおばあちゃん家に泊まる事になりました。

翌日の土曜日は、おばあちゃん家から昼間のレッスンに行って、それから富良野に帰る。

こんなスケジュールだったのが確か小6の頃です。



あれよあれよという間に、田舎に住む小学生がバレエ漬けの日々を送る事になったのですが

今思うとレッスンはかなり辛いものでした。

まだ子供なので体力的なしんどさは感じませんでしたが、精神的には結構しんどかった気がします。

本部のスタジオには、2歳からお世話になっている大好きな先生はいませんでした。(この先生は地方担当だった)

レッスンは私にとっては難しくて、先生方も厳しかったですし、周りについていけない自分に腹が立つこともありました。

振りを覚えられないこと、できなくて怒られて泣いちゃったこと、帰宅路は1人で反省会をする小6…



そんな思いをしながらも、遠出までしてレッスンに通った理由はもちろん

バレエが好きだったから

ですが、今思い返すと実はバレエよりも

バレエの友達が大好きだったから、な気がします。

バレエでできた友達は、学校の友達とは少し感じが違いました。

周りがドン引きするほど泣き虫だった私は、レッスンでよく泣いていましたが、バレエの友達はみんな優しくて、寛容で、同年代なのにとても大人でした。

私が怒られた事、泣いた事に触れるわけでもなく、無視するわけでもなく、なんかこう、ふわっと私を受け入れて仲良くしてくれました。

そして気が付けば、さっきまでスタジオで泣いていたはずなのに、帰りの地下鉄ではおしゃべりしながらお腹抱えて笑っていたり。

私はそんな彼らといるのがとても心地よくて、彼らに会いたくて、彼らと一緒に踊りたくて、レッスンに通っていたと思います。



上手になりたくて地方にも通うようになったのに、思いの外精神的に厳しいレッスンで、何のために頑張っているのか、自分でもわからなくなっていたような。

まだ11歳や12歳だったのに、なぜあんなに悩んだり、我慢したりしてまでバレエを続けたのか、今の私には本当に理解できないのですが 笑


おそらく、バレエの友達と会い、休憩時間にお話ししたり、寄り道したり、そして一緒にバレエを踊ることが私にとって一番楽しい時間だったのだと思います。


バレエを続けられたのは支えてくれた家族のおかげ

プロの道の可能性を広げてくれたのは恩師たちのおかげ

そして、今の私へと導いてくれたのは

毎週3時間半かけて会いに行った、バレエのお友達のおかげです。

辛い時もその倍の楽しい時間をくれて、バレエってやっぱり楽しいよね、って常に思い出させてくれた彼らがいたから、私はレッスンに通い続けて、留学をしバレリーナになる事ができました。

彼らが私のパワーの源だったと思うのです。



私はこれまでバレエの世界で生きてきて、色んな人に出会いました。

バレエ界というのは個性が集まる場所ですから、それぞれにそれまた個性的なドラマがあり、パワーの源があります。


ここ数年は仕事で留学生と接する事が多くなり、留学生たちもまた、それぞれのドラマを抱えています。

私が彼らのパワーの源になるのは到底無理でしょうが、それぞれが自分のパワーの源を見失わずに真っ直ぐ努力できる環境にいてほしいし、その一部に私もなれたら、と思います。

自分のドラマ、背景の中で一生懸命バレエに打ち込む彼らを丸ごと受け止めてサポートできる存在になるために、私は私自身のパワーの源を決して忘れません。



seika


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