末期がんでも痛みを感じない幸せな認知症

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 認知症になることは、世間一般的にはマイナスなイメージが付きまといます。例えば、本人としては記憶が無くなってしまうことの恐れや悲しみがあり、家族としては今までとは別人のような人格に変貌してしまったことへの驚きや、それを受け入れることができない葛藤から必要な治療が遅れ、暴力や介護困難状態に陥り、どうにも手におえないといったこともしばしば見受けられます。
私も10年以上老人施設でそのような認知症の方を多く看てきましたが、
一つだけ認知症になるといいなと思えたエピソードを紹介します。

 良く認知症の人は痛みを感じないといわれますが、事実アルツハイマーで脳委縮が進んだ方は、転んで大腿骨の頸部を骨折しても、「足が動きずらいのよね…」程度で立ち上がろうとしたり、足を引きずりながらも歩いて来ます。普段からその方の行動パターンや歩き方などから”これはおかしい”と思って整形外科を受診すると、レントゲンには見事に折れている骨が写っていて、驚かされることもしばしばです。普通は痛みで足を動かすこともできないと思うのですが、”痛い”という認知機能が失われるとここまで感じないものかと、本当に驚かされてしまいます。

 がんの再発が起こりましたました。はじめは小さなしこりだったのが、みるみるうちにこぶし大になりました。一般に高齢になると癌の進行は遅くなるといわれています。それは痛みや副作用で食も細くなり、栄養状態が悪くなるため癌細胞も自ずと元気がなくなり進行が緩やかになることも一つの誘因かもしれません。しかし、進行した認知症の場合は、食欲が落ちるほどの痛みを感じないのか、お腹がいっぱいになってもそれを認知できないためか、出された食事はすべて食べつくしてしまいます。そのためか皮肉にも癌細胞が成長を続けてしまうのです。

 家族と医療者で今後の方針を幾度も話し合いました。入院をして手術をすることを含めた積極的な治療も検討しました。しかし高度の認知障害があるため、入院をしての治療(拘束を含めた)や知らない場所(病院という新しい環境)での生活を送ることが果たして幸せな選択なのか、まして最後の場所になる可能性もあることを考えると悩みました。結果、医師から麻薬も含めた痛みのコントロールでこのまま温存で対処療法が良いのではないかという提案がなされました。家族も私たちも、たとえ手術をしても見知らぬ人の中で、拘束は必至とわかっている環境で寂しい思いをさせるのは可哀そうという思いでその意見に賛成しました。
 そうして、最期を迎えたわけですが、癌細胞が増大して普通ならこれほどの末期症状であれは痛みで発狂しそうな状態でも、ほとんど痛みを感じていないように見えました。私達に”そう見えただけかもしれない”と思うこともありますが、私が知っている癌の末期で痛みに歪んだ人の苦痛の表情を、見ることはありませんでした。
 ある日からピタリと食事を食べなくなり、その後数日で息を引き取りました。
もちろんその間も、余分な延命はせず、酸素にも点滴にも繋がらず、家族とスタッフの見守る中で、静かに眠るように平穏な最期を迎えました。

 この時、私は癌になったら認知症が幸せだなと思いました。





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