はじめに
2025/12/16 tbcラジオ(tbc東北放送)の『GoGoはみみこい ラジオな気分』の子育て相談コーナーを聞いていて、
「悪くない回答なのに、どこか噛み合っていない」そんな違和感が残った。
今回取り上げるのは、
成果主義・キャリア志向の環境で働いてきた親が、
子育てを「非生産的」と感じてしまう、という相談だ。
相談者の相談内容はとても整理されていて、
自分の状態も、価値観の由来も、すでにかなり言語化されている。
にもかかわらず、回答はどこか**別の方向**へ進んでいった。
この記事では、
- 相談内容(フェイク入り再構成)
- 専門家の回答(フェイク入り再構成)
- どこがズレていたのか
- もし別のアプローチを取るなら何があり得たか
を整理したうえで、
最後に **「子育てケアプラン」という考え方** を提案したい。
これは誰かを批判する記事ではない。
「相談の段階」と「回答の型」が噛み合わなかった一例として、
構造的に見てみよう、という試みである。
相談内容(フェイクを入れた再構成)
私は配偶者とともに、20代を通して成果主義の職場で働いてきました。
業務の成果は明確に評価され、空き時間は論文を読んだり語学を学んだりと、
「自己投資=成長」という価値観の中で生活してきました。
現在、1歳半になる子どもがいます。
子どもが生まれてから生活は一変し、
平日も休日も、ほとんどのエネルギーを子どもとの時間に使っています。
具体的には、
同じ絵本を何度も読む、
公園で遊び相手になる、
危険がないか見守る、
そうした時間の繰り返しです。
頭では、この時間が子どもにとって大切だと分かっています。
望んで授かった子どもですし、可愛いとも思っています。
育児も家事も夫婦で協力して行っており、現状に大きな不満はありません。
それでも、ふと周囲を見渡すと、
同僚たちは論文を書き、海外での経験を積み、
着実にキャリアを更新している。
そのとき、
「絵本を読んでいるだけの自分は、社会から置いていかれているのではないか」
という強い焦燥感に襲われることがあります。
これまで自己研鑽に使っていた時間は、
完全に子育てに置き換わりました。
この一年半、同じことを繰り返している感覚があります。
子育ての時間を「非生産的」だと感じてしまう自分を、止められません。
この手のかかる時期が、あと何年続くのかと思うと、
途方もない気持ちになることもあります。
そして、こう感じてしまうこと自体に、後ろめたさもあります。
周囲には、仕事を調整して子育て中心に切り替え、
楽しそうに育児に集中している人も多く、
この悩みを話すと引かれてしまいそうで言えません。
この「非生産的」と感じてしまう期間を、
自己嫌悪に陥らずに過ごすには、
価値の置き換え方やマインドセットをどう変えればいいのでしょうか。
専門家の回答(フェイクを入れた再構成)
子どもを産み育てるというのは、
どれだけ事前に覚悟していても、想像以上に大変なものです。
内省する時間や、自分のための精神活動の時間が取れなくなることもあります。
それが大きなストレスになる人もいれば、
そうでない人、徐々に慣れていく人もいます。
これは個人差であり、良し悪しや愛情の深さとは関係ありません。
家事や育児を非生産的だと感じること自体、
悪いことでも、母親として間違っていることでもありません。
キャリアを積み、成果を出してきた人ほど、
正直に出てくる感覚だと思います。
なぜなら、子育ては時間を使っても結果が見えにくいからです。
同じことを繰り返しているうちに、
気づけば子どもが成長している。
一方で、仕事や研究は成果が把握しやすく、
努力と結果の関係が見えやすい世界です。
優秀に仕事をしてきた人ほど、
「結果が見えないもの」を非生産的と感じやすいのは自然です。
ですから、自分の感じ方を反省する必要はありません。
子どもはおおよそ3歳頃から、
友だちと遊ぶ、自分の世界を持つようになっていきます。
今のように、親が多くの時間を費やす時期は、
ひとつの目安として3歳頃までと考えてもいいでしょう。
この時期は、
結果を求める仕事ではなく、
数年かけて石を一つずつ積み上げ、
土台を作る仕事だとイメージしてみてください。
子どもにとっての石とは、
心身の安全が守られている感覚、
大切にされているという感覚です。
それを積み上げている時期なのだと考えてください。
子どもと関わる時間を楽しめなくても、
非生産的だと感じても、後ろめたく思う必要はありません。
最近は、こうした本音を表に出してもよい時代になっています。
どうせやるなら、
子どもと過ごす時間の中で、
少しでも自分の知的好奇心を満たす工夫をしてみましょう。
子どもは大人が意図しない行動をします。
「なぜこんなことをするのか」と思ったことを記録してみる。
後で調べてみる。
絵本でも、どんな絵や話を好むのか、
そうしたことを書き留めてみる。
そうすることで、
子どもを見る視点が広がるかもしれません。
(以降、妊娠・出産を経験した女性は命に対する感受性が高まる、という話題に続く)
どこがズレていたのか
この回答は、決して的外れではない。
むしろ、主訴を言語化できない相談者に対しては、とても有効な内容だ。
- 非生産的と感じてもいい
- 後ろめたく思わなくていい
- それは社会構造の問題でもある
こうしたメッセージは、
「自分はおかしいのではないか」と悩む段階の人を、確実に救う。
しかし、今回の相談者はすでに一段階先にいる。
相談者は、
- なぜそう感じるのかを理解している
- 自分の価値観の由来を説明できている
- 「感じ方を許可してほしい」段階を超えている
この相談の核心は、
「非生産的であること」そのものではない。
「生産しているはずの結果が、自分には見えないこと」
ここにある。
石を積んでいる、という比喩は優しい。
だが、相談者にとってつらいのは、
その石が「どこに、いくつ、どう積まれたのか」が見えないことなのだ。
「後ろめたさ」は原因ではなく結果
回答では、
「非生産的と感じることに後ろめたさを感じなくていい」
という点が強調されている。
しかし因果関係を整理すると、こうなる。
- 石を積んでいる実感が持てない
- 自分が何かを生産している感覚がない
- その結果として「非生産的だ」というラベルが貼られる
- そのラベルに対して後ろめたさを感じる
つまり、「後ろめたさ」は問題の原因ではない。
評価できない状態に置かれていることの副産物なのだ。
もし別のアプローチを取るなら
ここで、ひとつ別の考え方を出してみたい。
介護の現場には「ケアプラン」というものがある。
- 目標を立てる
- 現状を把握する
- 介入内容を整理する
- 定期的に評価し、見直す
介護は、成果が見えにくいケアの連続だ。
良いケアほど「何も起きていない」ように見える。
実は、幼児期の子育ても構造はよく似ている。
「子育てケアプラン」という発想
ここで、ひとつ別のアプローチを提案してみたい。
介護の現場には「ケアプラン」という考え方がある。
本人が自分で目標を立てたり、成果を評価したりすることが難しい場合、
周囲が目標・介入・評価の枠組みをつくり、定期的に見直していく仕組みだ。
介護の特徴は、「やっていることの多くが成果として見えにくい」点にある。
良いケアほどトラブルが起きず、
結果として「何も起きていないように見える」。
実は、幼児期の子育てもこの構造とよく似ている。
ここで視点を少しずらしてみる。
親は、研究や仕事のように
自分自身が直接アウトプットを生産する立場にはいない。
その代わりに、子どもが「出来事を生産する主体」だと考えてみる。
たとえば、
- 子どもがうんちをした
- 子どもが何か言葉のような音を発した
- 子どもが初めて自分から歩いて行った
- 子どもが新しい遊び方を思いついた
これらはすべて、
子ども自身が生産した「出来事」と捉えることができる。
親は何もしていないわけではない。
親は、子どもがそれらの出来事を生産できるように、
- 安全な環境を整え
- 生活のリズムを維持し
- 必要なときに介入し
- 失敗や不安を受け止める
という、環境そのものを生産している。
つまり、
- 子ども:出来事の生産者
- 親:出来事が生まれる条件を設計・維持する人
という役割分担だ。
この考え方を、ケアプランの形に落とすこともできる。
たとえば、
- 目標:
子どもが安心して探索できる状態を保つ
- 介入内容:
絵本読み、公園遊び、見守り、生活リズムの調整
- 観察・評価:
・自発的な行動が増えているか
・感情の回復が早くなっているか
・新しい反応や表現が出てきているか
- 見直し:
月に一度、夫婦で振り返る
ここで、
評価の記入を「感想」ではなく「メモと数値」にしてみる
という工夫も考えられる。
たとえば、
- 新しい言葉のような発声:今週3回
- 公園で自分から移動した距離:昨日より長い
- 泣いた後に落ち着くまでの時間:5分 → 3分
このように、
完璧な数値でなくても構わない。
「比較できる形」で残すだけでいい。
こうしたメモや数値化は、
研究職や成果主義の環境で働いてきた人にとって、
観察・記録・仮説・振り返りという
慣れ親しんだプロセスを、子育ての中に持ち込むことになる。
「今日も同じ絵本を読んだ」
は
「今日もケア介入を実施した」
に変わる。
「何も進んでいない気がする」
は
「子どもが次の出来事を生産するための環境を維持した」
と言い換えられる。
親は成果を生み出す“作業者”ではない。
成果が生まれる場をつくる“設計者”であり“維持者”なのだ。
子育てを「非生産的」と感じてしまうとき、
それは何も生産していないからではなく、
生産の主体と成果の現れ方が、自分の慣れた形式と違うだけなのかもしれない。
おわりに
この相談と回答は、
「誰が正しいか」を決める話ではない。
- 相談者の段階
- 回答の型
- 媒体(ラジオ)という制約
それらが少し噛み合わなかった、という事例だ。
ただ一つ確かなのは、
この相談者は「子育てを否定したかった」のではない。
これまで培ってきた自分の生き方を、
子育ての中でどう生かせばいいのか。
その問いを投げていたのだと思う。
もし今、
子育てを「非生産的」と感じてしまう自分に
違和感や後ろめたさを抱えている人がいたら、
それはあなたが怠けているからではない。
評価できない環境に、急に置かれたからかもしれない。
評価軸を捨てる必要はない。
少し組み替えればいい。
子育ては、
成果がない仕事ではなく、
成果の現れ方が違うケアなのだから。
#ライフスタイル #子育て #非生産的 #子育てケア
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著者プロフィール:
AI時代の“AIへの問い方”を研究し、思考の整理や感情の言語化を支援しています。また、自作の「天文・占星術統合OS Stella.me」を通じ、占星術に科学的な構造を取り入れる試みを進めています。
介護福祉士/JADP認定メンタル心理カウンセラー/JADP認定ビジネスコーチ/統合型メンタル&アクションサポーター/AI×内省デザインサポーター/メタ認知コーチングサポーター
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