大学を卒業して、22歳から働きはじめた施設。
宿泊型自立(生活)訓練施設。
重度の精神障害者が生活を継続するために「自立」できる部分はなるべく自分でこなしつつ、難しいところはサービスを活用して今後、地域で継続して「生活」を続けていくように自立訓練をする施設です。
今年で僕は30歳。
8年間ずっとこの仕事に関わってきたことになります。
「自立」を支援する。
最初の頃は、自立とは「できないことができるようになること」だと、素直に思っていました。
「自分でできるようになること」も自立ではあり、まちがってないです。
しかしそれだけだと「生活」を見ていくうちに、自立の解釈は窮屈と感じるようになりました。
歯磨きができるようになる。お風呂に入れるようになる。自炊ができるようになる。これらのひとつの「できること」を積み重ねていくのが「自立」です。これは間違いないです。
でも、8年間、毎日、誰かと「生活すること」に向き合い続けてきた今、
「自立」に対する解釈は窮屈で狭かったんだなと学ばせていただきました。
今、僕はこう思っています。
「頼ること」は自立
自立とは、「自分で全部やること」じゃない。
頼れるものを上手に頼りながら、それでも「生活を続けていく」こと。
だから「頼ること」も大きなポイントになります。厳密にいうと「頼り方」や「関わり方」が大切です。
常々思うことは人はひとりではできることは限られています。
またひとりで生活することは寂しいです。
だから「関わり」、「頼る」
これらができないと生活していくのはつらくなります。
これは間違いないです。「孤独」や「寂しさ」は静かに心とカラダを蝕んでいき、気づいたときにはボロボロになっています。
だから「頼る」、だから「関わる」んです。
それらも自立です。
ひとりで生きるのは、ほんとうに難しい
これは、8年間現場にいて強く感じることです。
ひとりで生活するって、ほんとうに難しい。
そして、もっと言えば
ひとりで生活するって、寂しいんですよね。
ある程度、身の回りのことができるようになっても、
話す相手がいない、誰かに気にかけてもらえない、
そんな暮らしは、時間をかけて人をむしばみます。
いま「関わること」を選ぶという勇気が必要です。
支援の現場では、ときに「自分でなんとかしようとする人」に出会います。
困っているのに「大丈夫です」と言ってしまう。
誰にも迷惑をかけたくない、頼ったら申し訳ないと思っている。
自分でなんとかしようとして、うまくいかず、取り返しがつかない状況。よくあります。
ひとりでできる範囲は、人によって違います。
得意なこと、苦手なこと、それぞれ違います。
だからこそ、自分の限界を認めて、他者と関わるという選択をする。
それはとても勇気がいることだけど、本当に大切なことです。
働けば働くほど、『生活』に対するハードルが低くなる職業です。制度的にも働いていれば詳細に理解できるようになり、それだけで日本は素晴らしい国だなと感じます。
生活って、完璧でなくていい。
「今日はこれだけできた」でも、「今日は無理だった」でもいい。
毎日、誰かの“生活の瞬間”に立ち会っていると、
どこかで自分の中の“生活の理想像”が、ほどけていきます。
「もっとちゃんとしなきゃ」
「ちゃんとした大人にならなきゃ」
そんな呪いのような言葉から、少しずつ解放されていく。
良くも悪くも人は「比較」しがちです。
それは自然と
「自分の悪いところ」と「相手の良いところ」です。
そんなの負けるに決まってる。
これはこの仕事をしてきたからこそ得られた感覚で
同時に、人の生活を見つめることで、自分の生活も楽になるという感覚でもあります。みんな生活を維持できているのは素晴らしいなと思います。
僕はこれからも、「生活」と向き合う仕事を続けていくと思います。
でも、それは誰かを支えるというより
「協働」していくことなんじゃないかとふわっとおもってます(゜-゜)
支えるでも、支えられるでもなく、
関わり合いながら、頼り合いながら、生きていく。
それが、本当の意味での「自立」なのかもしれません。