普通ってなに?

普通ってなに?

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コラム
重度の精神障害者施設の精神保健福祉士が言っていた。
「“普通ってなに?”って聞かれて、うまく答えられなかった」
支援者が無意識に持つ“普通”という基準が、利用者を苦しめてしまうこともある。“その人にとっての普通”を守るのが支援。
そのとき、ふと考えた。「じゃあ、普通って何?」
誰もが当たり前のように口にする「普通」という言葉。
でも、それが誰かを深く傷つけていることがある。
この記事では、“普通”という言葉の重さと、それをどう受け止めてきたかを、重度精神障害者施設で働く精神保健福祉士としての立場から、僕なりに考えてみたい。
“普通”という言葉の残酷さ
「普通に働ける人」「普通に暮らせる人」「普通の家庭」
社会には“普通”のテンプレートがあって、それに合わない人は“異常”とされがち。
それと比べたら僕が働く施設では、その“普通”から大きくはみ出して生きている人たちがいる。
彼らの多くは、「普通になりたい」と願ってきた。でも、“普通”という基準にすがるたび、自分を責め、傷つけ、追い詰めてしまう。
普通に働きたい、恋人が作りたい、結婚がしたい。同年代の人たちと比べて「普通」ではないとわかっている。
一番の問題は、「普通」が実は誰にも定義できないということ。
“普通”という幻を追い続ける苦しさ
ひとりの利用者は、統合失調症の診断を受けて10年以上が経っていた。長期入院の経験もあり、家族との関係も途切れている。
それでも彼は、「普通に働いて、普通に結婚して、普通に暮らしたかった」と何度も言っていた。
そのたびに僕は思う。 “普通”は本人の願いではなく、社会が刷り込んだ幻想なのではないか。大多数がそうなることで良い国になっていることは間違いはないし社会は悪ではない。
が、反面うがった見方をした時に僕には牙をむいているように見える。
施設で働いてると“普通”とは「誰かが勝手に作った枠」でしかない。そして、その枠からこぼれた人を“異常”と呼ぶ仕組みの名前なのだと骨が軋む音のように毎日感じる。
僕がみてきた「普通じゃない豊かさ」
僕が関わってきた人の中には、「普通の人生」から大きく逸れた人が多い。でも、その中には“普通じゃない美しさ”や“普通じゃない優しさ”があった。
たとえば、他人の気持ちに敏感すぎて働けなくなった人がいた。その人は、言葉にはできない感情の揺れに、鋭く気づく力を持っていた。
一方で、“普通に生きてる僕”は、他人の苦しみに鈍感だ。だから僕は大学を卒業してから現在に至るまで22-30歳の間“普通じゃない”人から学ぶことの方が多かった。人生を使ったとても輝かしい体験。
一番大事なこと、「普通」に代わる言葉を持つ
僕がこの記事で一番伝えたいのは、
“普通”という言葉を無意識に使わないという選択が誰かを守るかもしれない
ということだ。
「普通にできないの?」という一言は、「あなたはダメ」という意味に変換されてしまう。
だからこそ、現場では、「普通」という言葉をできるだけ使わないようにしている。
代わりに僕は、「あなたにとっての“ちょうどいい”」を探すようにしている。
生活のちょうどいいペース
コミュニケーションのちょうどいい距離
働き方のちょうどいい量
それは“普通”という他人の基準ではなく、「本人にとっての生きやすさ」から始まる支援になるから。
普通になりたい」にどう応えるか
現場では、こんなふうに言われることがある。
「どうすれば普通になれますか?」
「普通に生活できますか?」
「あの人と見たいになれますか?」
そのとき僕はこう答える。
「“普通”にはなれなくても、“自分らしく”はなれると思う」
“普通”とは目指すものではなく、他人と自分を比べてしまう苦しみのスタート地点である。
そして、“自分らしく”は、どんな状態でも今からでもつくれる。
「普通」という言葉をやめたその先にあるもの
“普通”を否定するのではなく、“普通”に代わる言葉を持つこと。
それは僕が「普通」とはかけ離れた施設で働いているからでなく、誰かと関わるすべての人に必要な姿勢だと思う。
最後に、施設で関わったある人の言葉を紹介したい。48歳だった。
「僕は普通じゃない。でも、“いまの僕でいい”って言ってくれた人がいた。それだけで、これからの生活にワクワクしてきた。」
「普通ってなに?」という問いの答えは、人の数だけある。
でも、「あなたが“あなたでいていい”と思える世界」こそが、“普通”の正体。
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