「副業でライターを始めました」
「誰でも簡単に文章で稼げます」
「スキマ時間で月5万円」
そんな言葉を目にするたびに、どこか置いていかれるような感覚を覚えたことはないでしょうか。
文章を書くことは、誰にでもできる。
だからこそ、そこに「価値の差」などないのではないか。
そう思ってしまう瞬間が、誰にでもあるはずです。
しかし、昨日、私はその“常識”が、いかに表面的なものだったかを改めて思い知らされる出来事に遭遇しました。
異物として立っていた私のブース
昨日、私は企業とライターをつなぐビジネス展示会に出展していました。
私は編集者です。
もちろんライティングもできますが、本質的な仕事は「書かれたものを成立させること」です。
これまで、この種の展示会に出展する機会はほとんどありませんでした。
だからこそ、今回、あえて自分の立ち位置を確認する意味も含めて出展を決めました。
会場には、実に多様な人々が集まっていました。
医療に特化したライター。
IT分野を専門とするライター。
映像制作の専門家。
企業PRを請け負うコンテンツ制作者。
それぞれが、自分の専門性を武器にブースを構えています。
その中で、私の「編集者」という肩書きは、明らかに異質だったと思います。
ライターではなく、編集者。
つまり、「書く人」ではなく、「成立させる人」。
来場者の多くは、最初は少し戸惑った表情を浮かべます。
しかし、名刺を渡し、これまでの経歴を簡単に説明すると、空気が変わりました。
「編集できる人を探しているんです」
驚いたのは、その後の反応でした。
大手新聞社の関係者。
出版社の担当者。
編集プロダクションの役員。
彼らの多くが、同じ言葉を口にしました。
「編集できる人を探しているんです」
ライターではなく。
編集者を。
これは、正直に言って予想外でした。
ライターを探している企業が多いのは当然だと思っていました。
しかし、実際には「編集者が足りない」という声の方が、圧倒的に多かったのです。
編集者が育たなくなった時代
理由は明確です。
編集者を育てる環境が、消えてしまったからです。
かつて、編集者の多くは雑誌編集部で育ちました。
最初は雑用から始まり、先輩の仕事を間近で見ながら、徐々に編集という仕事を体で覚えていく。
その過程の中で、
企画とは何か。
構成とは何か。
文章の「良し悪し」とは何か。
そうした感覚を、時間をかけて身につけていきました。
しかし、その雑誌が、今はほとんど存在しません。
休刊が相次ぎ、編集者を育てる「現場」そのものが消えてしまったのです。
書籍の編集は、さらに入口が狭い。
いきなり現場に入ってできる仕事ではありません。
マニュアルで習得できる仕事でもありません。
膨大な読書量。
優れた構成への感覚。
言葉の微細な違和感を見抜く力。
そして何より、
「何を削り、何を残すか」を判断する力。
これらは、時間と経験によってしか身につかないものです。
「書ける」と「成立させられる」は、まったく別の能力
展示会に立ちながら、私は改めて強く感じました。
文章を書くことと、文章を成立させることは、まったく別の能力だということです。
ライターは、言葉を生み出します。
編集者は、その言葉に「意味」と「方向」を与えます。
どれほど優れた文章でも、構造がなければ読者には届きません。
どれほど熱量があっても、編集がなければ価値として成立しません。
編集とは、見えない仕事です。
しかし、すべてを決定づける仕事でもあります。
「副業でライター」という言葉の軽さ
だからこそ、私は違和感を覚えます。
「副業で簡単にライターになれる」
「誰でも文章で稼げる」
そうした言葉が、あまりにも軽く消費されている現状に。
もちろん、文章を書くこと自体は誰にでもできます。
しかし、価値を生み出す文章は、偶然には生まれません。
そこには、構造があります。
意図があります。
そして、それを支える編集の視点があります。
展示会で、編集者を探している人々の切実な声を聞きながら、私は逆説的な安心感を覚えました。
まだ、この仕事は必要とされている。
まだ、表面的な言葉だけでは成立しない世界が存在している。
そう確信できたからです。
これから、本当に求められる人
AIが文章を書く時代になりました。
誰でも、一定水準の文章を生み出せるようになりました。
だからこそ、問われるのは「何を書くか」ではなく、
「それを、どう成立させるか」です。
書ける人ではなく、
成立させられる人。
その違いが、これから決定的な差になるでしょう。
あなたは、「書く人」で終わりますか。
それとも、「成立させる人」になりますか。