東日本大震災から14年の日、震災について考えたこと!(1)

記事
コラム
今日は東日本大震災から14年が経つ日です。
この日をきっかけに、あの大震災を元に現在考えていることを徒然に綴ってみました。

【自然災害への心がけ】

3月11日と言えば、現代の日本人なら誰しもが記憶に刻んでいる日だと思います。14年前の東日本大震災の衝撃は、14年経った今も頭を掻きむしるように鮮明に蘇ります。今年は、岩手県大船渡市で起きた大規模な山火事で住宅等を失くしてしまう人も続出し、悲劇がまたも東北を苦しめています。

大船渡市の大規模山火事もそうですが、2011年以後も多くの天災が発生しています。皆さんはその一つ一つをどれだけ覚えていますか?敢えてここでは一つ一つを思い出すことは止めておきますが、余り思い出せない人も多いのではないでしょうか?そうなってしまうのは、恐らく東日本大震災の衝撃に脳が支配されてしまい、その震災と比較して他の災害を無意識に評価してしまうので、他の災害の印象が薄れてしまうのだと思います。

物理学者で文筆家の寺田寅彦が言った「天災は忘れた頃にやって来る」とは、「天災がない年が続いて天災を忘れた時期に天災がやって来る」という意味ですが、「天災は忘れなくても慣れた頃に悲劇となる」とも言えます。震度2から4ぐらいの地震が頻発しています。たまに震度5弱や5強の地震があります。しかし人々はそれに慣れてきています。昨年の8月8日に日向灘を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生した時は、気象庁より南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が発表されました。日本全国が少し緊張しましたが、それでも全体的な印象は正当な緊迫感を持っていたとは言えないように思われます。中には、臨時情報を出すことで経済が混乱すると批判する人もいました。日本全体が何かよそ事のように様子を見ていた様に思えます。これはある意味、悲劇を生む天災への慣れを象徴する現象かも知れません。この油断を生む慣れから脱するためにどうすれば良いのか、今の日本人はもっと真剣に考えるべきでしょう。大災害への教訓を語り継ぐだけでは真っ当な危機感は生まれないと思われます。

私が言っている事は少し大袈裟に聞こえるかも知れませんが、これには理由があります。私の生まれ故郷は、南海トラフ大地震が発生したら日本一高い津波がやって来ると予想されている高知県黒潮町です。津波の高さは34.4m。私の実家は歩いて1分もすれば太平洋に浸かることができるくらい海の近くです。ひとたまりもありません。昨年南海トラフ地震臨時情報が出た時は、本当に青ざめました。恐らくこの様な緊迫感は、東日本大震災を経験している人と比べると数十分の一だろうと思いますが、それでも、来るべき天災に備えて、あの時の緊迫感を忘れずに普段の備えをしておこうと思っています。

【防災訓練について】

東日本大震災から防災への意識はとても高くなったと思います。ただ、防災訓練についてはそれほど変化していないという実感があります。自治体レベルでは変化があるのかも知れませんが、国民レベル、市民レベルではほとんど大震災前と変わってないように思われます。自治体が市民を巻き込んで行う大規模な防災訓練に躊躇しているような気がします。

9月1日が防災の日とされていますが、防災意識を高めるために、この防災の日をもっと増やすべきでしょう。例えば、阪神大震災が起きた1月17日、東日本大震災が起きた3月11日、雲仙普賢岳大規模火砕流が起きた6月3日、関東大震災が起きた9月1日、津波防災の日に当たる11月5日をそれぞれ「防災の日」に当てて、年間5回ぐらいやっても良いでしょう。

ここで示した日付は、だいたい2〜3ヶ月おきになっています。4月14日に起きた熊本地震なども防災の日に当てるべきでしょうが、3月11日から日が近過ぎることもあり適当ではありません。また、6月28日から7月8日にかけて起きた西日本豪雨も防災の日に当てたい所ですが、この期間はまさに梅雨末期の豪雨災害が起きる時期です。その前に豪雨に備える意識を高める意味でも、6月3日に防災の日を定めるのが良いと思いました。11月5日の津波防災の日は、1854年の安政南海地震による津波が和歌山県を襲った際の、「稲むらの火」の逸話にちなんで国連が定めた日です。この防災の日は、何も津波に限らなくても、豪雪に備えた防災の日に当てることもできます。

年に5回も防災訓練をやれば、費用もかかるし、防災訓練慣れしてしまって危機意識が薄らぐという意見もあるでしょう。しかし、5回の訓練を同じ内容で行うのはなく。その時期の状況に応じで費用と内容を違えて行えば良いです。何もやらずにいたら、自然災害に慣れて危機意識は薄まるでしょう。防災訓練を頻繁にやれば、正当な危機意識を持って備えていくことに慣れていきます。危機意識が薄らぐのではなく、油断を安心に変えてゆく危機意識が生まれるのです。年に5回の防災訓練は確かにやる必要はないかも知れません。それなら、これに匹敵するほどの防災意識改革ができるものを実施するべきです。その理由は、昨年の能登半島地震における防災の現状にあります。東日本大震災から13年。防災の点で何が変わったのでしょう?何一つ変わってないし、僻地だという理由で救助はままならず、復興さへ予想以上に遅くなっている実情があります。もし同規模の震災が関東で起きていたらどうでしょうか?迅速な救助と復興が可能であることは火を見るより明らかです。国は地方の防災と救助・復興というテーマを未だに置き去りにしているように思えてなりません。

ともかく、明らかに東日本大震災から14年の間で、日本の防災施策はほとんど進化していないと言えるでしょう。その証拠は、台湾の防災施策と比較したとき顕著なものとなります。昨年の4月に台湾で起きた地震では、地震が発生して、1時間で、市や各支援団体を結ぶLINEグループが立ち上がり、必要な物資の情報交換が始まりました。2時間後にはテントを設置、3時間後には被災者を受け入れ、4時間後には、設備がほぼ整いました。被害が大きかった花蓮市内の避難所は、冷房完備、簡易ベッドが備えられたプライバシーに配慮したテントが設置され、女性専用や特別支援者専用の寝室も設置されました。食事は、魯肉飯(ルーロ-ファン)や魚の練り物、焼きアユ、丼物や麺類、ドリンクも用意されるという徹底ぶりでした。

この被災地に向けた迅速で手厚い援助を成し遂げたシステムは、台湾の人々が東日本大震災の教訓から作り上げたものです。災害が起きた際、行政が各ボランティア団体、協力団体に支援要請をします。災害時に備えて、日ごろから官民協力の仕組みができていルのです。この連携の背景には、自治体と各ボランティア団体が頻繁に顔を合わせ、災害時の避難訓練や研修を実施しているという努力があります。

翻って日本に目を向けるとどうでしょう?奇しくも、昨年の元旦に起きた能登半島地震の被災地支援と台湾の地震の被災地支援が比較されたことで、日本の防災支援の情けない現状が浮き彫りとなりました。本当に官民が一体となった防災訓練や被災地再生を真剣に頻繁にやっていかないと、日本の地方が急速に衰退していくように思えてなりません。

(次回に続く)

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら