Two heads are better than one.(2つの頭は1つの頭にまさる。「3人寄れば文殊の知恵」)
A friend in need is a friend indeed.(まさかの時の友こそ真の友。)
Out of sight, out of mind.(去る者、日々に疎し。)
「友情は世界を一つにする唯一の結合である。」(ウッドロー=ウィルソン)
「友情は魂の結びつきである。」(ヴォルテール『哲学辞典』)
「順境にて友を見つけるはたやすく、逆境ににてはきわめて難し。」(エピクテトス『語録』)
人脈、人的ネットワークというものは実に貴重な、得難いものです。例えば、「情報」というものに非常に意識の高い、ハイレベルな人が自分と同レベルの10人の友人を持っていたとします。その人達の友人についての話でも、「実はこういう話を聞いたことがある」とその情報を自分のものにすることができます。直接情報源は10人でも、間接情報源としてさらに100人のネットワークを持っているようなものです。さらにその10人の友人達が自分と同じように間接情報源を使いこなす人物であったら、その人達が持つ10人の直接情報源と100人の間接情報源すらも、自らの情報源とすることができます。こうなると、10+100+1000人の情報源があるということになります。「人の交友範囲は年賀状の数で分かる」と言われますが、多い人で大体200~500枚です。当然、年賀状を出すだけのレベルもいるわけですが、もしこの知人ネットワークが情報ネットワーク化したら、空恐ろしいことになるわけです。欧米ではこうした交流関係の形成が盛んですが、これは無形の財産作りと言ってもよいでしょう。
こうした利害得失はともかく、友人の有無・質はその人の人生を作用する大きな要素となります。大学時代にできる友人は一生モノなので、いい友人にめぐり遭いたいものです(そのためにはまず自分を磨かなければなりません。「類は友を呼ぶ」という原則は生きています)。夜通し語り合う友人の1人や2人いなければ、少々寂しいと言えるでしょう。「親友は何人いますか?」と聞かれると、「親友ってどのレベルの友達ですか?」と聞き返されることがありますが、これは「親友」がいないからです。「仲のいい友達」「遊び友達」「バイト仲間」はすぐにどこでもできますが、「親友」は簡単にはできません。まだいない人は「親友」を得ることを目標とすべきです。すでに「親友」ならいるという人なら、親友を超える人間関係もあるということも知っておきましょう。もちろん、異性間なら恋人も該当しますが、同性・異性を問わず、親友を超える人間関係は存在します。黒人なら「ソウル・ブラザー(魂の兄弟)」、東洋の伝統にある「義兄弟」、あるいは「世界は一家、人類は兄弟」というスローガンがそれに近いかもしれませんが、人種・民族・宗教・文化・歴史の壁を超える人間関係の実現は一生のテーマとするに足ります。
ちなみに人間関係の基本は「家庭」にあります。人は本来、家庭の中で必要なことを学んでいくのですが、その足りない部分を学校や社会で補っていくわけです。兄や姉がいない人なら積極的に先輩との関係を築くとよいでしょう。何でも教えてもらい、相談し、頼れる人をたくさん持つべきです。逆に弟や妹がいない人なら後輩の面倒を見てあげましょう。愛されることも重要ですが、愛することもまた重要です。また、父親・母親と生別・死別した人なら、親代わりの人がいるに越したことはありません。人間は根本的には理性によって生きるのではなく、情によって生きているので、「情は情でしか埋められない」のです。特定の情的関係の欠落や歪みは、その他のものでごまかすことはできても、埋め合わせることはできません。あのマザーテレサがたくさんのインドの孤児達を養子に出すに当たって、「親にはかなわない」ともらしたことは印象的です。どんなに献身的に尽くしても、養親が養子を懸命に育てる愛情がまさるというのです。これは自分が本当に求めているものを、本人も自覚せず、表面上は別なもの(たいていは恋愛です)を求めてしまうという悲劇も起きるという原因にもなっています。
例えば、男性遍歴の豊富なマリリン・モンローがいますが、彼女の不幸な生い立ちから実は「父親」を求めていたことが知られています。ところが彼女に接する男性達は当然のことながら、恋人として、あるいは夫として接していくため、やがて彼女の無意識の要求に耐えられなくなっていくのです。彼女は自分でも父親を求めていることに気づかず、満たされない思いを抱えて、次から次へと男性遍歴を重ねていきました。本当は彼女に必要だったのは恋人ではなく、「父親的存在」だったのです。同じように妻子ある男性との不倫にばかり走る女性もいます。ところが、その男性が離婚を決意し、その女性との結婚を決意するとなぜか冷めてしまい、また次の妻子ある男性に走るということも起きます。これも恋愛ではなく、本当は「父親」を求めているためで、相手が「父親」でなくなった途端に情がいかなくなってしまうためです。無意識の欲望を知ること、自分の本当のニーズを自覚すること、まさに「汝自身を知れ」ということが、人間関係を通した自己形成においても決定的に重要となるのです。
【ポイント】
①人の心には3つの扉があると言います。
第1の扉は簡単に開いて、誰でもその中に出入りすることができます。いわゆる「知人」レベルのフィールドでしょう。第2の扉は少々固くて、何人かの少数の人しか入ることができません。「友人」、場合によっては「親友」のレベルもここに入ります。ところが、最も奥にある第3の扉は開けたこともなく、開けたいとも思わない、さびついた扉だとされます。人は誰しも解放されない、満たされない思いを抱いているものですが、その最終的解決はこの扉が解き放たれた時になされるというのです。これは自分だけでもがいてもどうしようもないことで、やはり「天の時」「地の利」「人の和」の全てが必要なのでしょう。
②老若男女を問わず好かれる人が理想的です。
同性ばかり付き合いがある人、異性ばかりモテる人、いずれも偏りがあります。おじいちゃん、おばあちゃんと疎遠な人、おじさん、おばさんが苦手な人、ちっちゃい子の扱いが分からない人、これまたいずれも円満さに欠けます。一朝一夕にはできませんが、幅広い人間関係の構築を目指すとよいでしょう。