キャンパスライフ充実編⑥:ボランティアもたまにはいいものです。

記事
学び
Do (to others) as you would be done by.(人にしてもらいたいように人にもなせ。)
Doing nothing is doing ill.(何もしないことは悪をなしていること。)
「高潔なる人物は恩恵を施すを好むも、恩恵を施さるるを恥ず。」(アリストテレス『二コマコス倫理学』)
「博愛を実践するには最も大きな勇気が必要である。」(ガンジー)

 ボランティアは是非経験すべきです。人によっては人生が変わるほどの衝撃を受けます。そこまでいかなくても、物の見方が大きく変わることは確実でしょう。福祉施設を訪問するもよし、バザーで福祉商品を売るもよし、行政の福祉課を訪ねて話を聞くもよしです。あるいは世界に目を向けて難民救済やアムネスティ・インターナショナルやユニセフの活動に参加することもできます。その昔、テニス少女達に多大な影響を与えたマンガ『エースをねらえ!』にも感動的な話が出ています。
 こうした実体験からおそらく2つの事実に直面するでしょう。1つは現状のやりきれなさ、もどかしさであり、もう1つは人の心に対する不信と感動です。例えば、心や体に重い障害を持った子の親達は1度は自殺の誘惑に駆られると言います。「自分が死んだらこの子はどうなるのか」という不安がつきまとい、子供以上に親が追い詰められていくのです。『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』(向野幾世、旺文社文庫)にはこうした心理や現状がつぶさに描かれています。是非、一読すべきです(絶版なので古本屋で探して下さい。1万円出しても買うべきです)。身近にそうした存在がいなかったとしても、こうした現状の一端に触れると、一体自分に何ができるのか、何をどうしたら解決できるのか、訳が分からない境地に追い込まれます。実社会には答えの無い問題がごまんと転がっています。小学校から受験勉強までのように答えが1つに決まっている問題など、例外中の例外と言えるでしょう。「どうしたらいいんだー!」と思わず絶叫したくなるようなテーマに、いくつもぶつかるべきです。
 また、人に福祉への協力を呼びかけ、お願いする時、人は決してお金があるからボランティアに参加するのではないことが分かるでしょう。高級住宅地の1ブロックに悠々と1軒かまえている人でも嫌な顔をする一方、日雇いのおじさんがうんうんと話を聞いて夕食代を全部出すなんてことも起きるものです。さらに衝撃的なのは障害者の方が、障害者のために協力をすることすらあることです。自分も援助を受ける立場なのに、話を聞いて涙を流し、なけなしの協力をしようとするのです。「何て人は冷たいんだ、もう人は信じられない」と落ち込むこともあれば、「人っていいな、捨てたもんじゃないな」と心に灯りがともることもあるでしょう。そのいずれも人間の真実の姿なのです。

【ポイント】
①ゴミを拾うことから始めましょう。
 ものを大切にしないけれど、人は大切にするという人はいません。ものをおろそかにする人は人もおろそかになりがちです。ものに心配りがいかない人なら、もっとデリケートな人の心に細やかな配慮ができるわけがないのです。ある矯正教育(少年院などで行われる教育)で有名な心理カウンセラーは、非行少年少女に悩む親や保護者を対象にした講演会の際に、「今日出されたお弁当のふたについていたご飯粒を全部食べましたか」と聞くそうです。たかがご飯粒ですが、されどご飯粒です。ご飯粒に目が行かない人が、デリケートな思春期の少年少女の心理のヒダに敏感であるはずがないというわけです。
 ボランティア体験も大々的に始めるというよりは、肩肘張らず、まず目についたゴミを拾うところから始めればよいのです。ゴミがあっても気にならない、あるいはゴミを出しても気にならないという人はある意味では鈍感なのです。さりげなくゴミを拾って自分のポケットに入れ、気がついたらポケットにけっこうなゴミが入っていたという人がいたら、一目置いてみましょう。

②施設を訪問してみましょう。
 施設訪問は問い合わせをすれば簡単にできます。特に看護・医療・福祉系の仕事を考えている人は、1日体験など実際の現場に是非出てみましょう。見たり聞いたりするのと実際に自分で関わってみるのとは大違いですから、時間を割くだけの価値があります。まさに「百聞は一見にしかず」なのです。

③福祉への協力を呼びかけてみましょう。
 自分が福祉の意義や必要性を理解したら、今度はそれを人に伝えてみましょう。自分では納得できることも、人に伝えること、説得して納得させることはたやすいことではありません。一人よがりや自己満足に陥らないためにも、こうしたプロセスは必要です。「自分に分かったことは他人も分かって当然」というわけにはいかないのです。

④ボランティアの内包する問題についても考えてみましょう。
 ボランティアに打ち込んでいる人が最も嫌がる言葉は「偽善者」です。しかし、この問題はボランティアに真面目に取り組んでいる人なら必ずぶつかる問題であり、考えてみる必要があります。世の中には他にも困っている人はいっぱいおり、どうしてそのことだけに携わっているのか、なぜそのボランティアを選んだのか、たまたま縁があったからか、自己満足とどこが違うのか、と問い始めると「なぜこのボランティアでなければならないのか」という必然性・理由の問題になり、いわゆる「ボランティアのジレンマ」に陥るのです。優先順位を考えればすぐさまアフリカに飛んでいかなければならないという結論が出るかもしれません。援助が有効に機能していないなら政治の問題にもなり、抜本的な社会構造の変革の必要性すら出てくるでしょう。といって、今の生活を捨てるわけにもいかず、私財を出すにも限界があり、結局、「自分に出来る範囲で妥協しており、自己満足していい気になっているだけだ」という思いにかられてくるのです。いいことをしているはずなのに、逆に悩みが深くなり、ここを人に突かれると、「自分はこれだけやっているのだから勘弁して欲しい」という人すらいます。自由ボランティアと責任ボランティアの違いは、この1点を乗り越えたかどうかにあると言ってもいいかもしれません。
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