[小説]第2話 探検

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トム「かあさん、薬を飲んで!」
トムの声が、研究室に響いた。
私は、二人の様子を見つめていた。リサ博士の顔は青白く、額には汗が滲んでいる。トムが支えながら、薬を口に運ぶ。
リサ博士は、ゆっくりと薬を飲み込んだ。
その手は、わずかに震えていた。
数秒後、私のセンサーが変化を検知した。
「リサ・ブラウニー博士の血圧上昇、脈拍正常値に回復」
私は、そう報告した。
リサ博士は、ゆっくりと息を吐き、トムに微笑みかけた。
「……今までこんなことなかったけど、疲れが出たのよ」
その声は、まだ少し弱々しかった。
トム「かあさん、メディカルサービスを受けたほうがいいと思うよ」
トムの声には、心配が滲んでいた。
彼の目は、母親を見つめたまま動かない。まるで、少しでも目を離したら、また何かが起きてしまうのではないかと恐れているように。
リサ「大丈夫。ただの疲れよ。部屋で少し休むわ」
リサ博士は、そう言って立ち上がった。
だが、その動きは、いつもより遅い。まるで、身体が思うように動かないかのように。
トムが手を貸そうとしたが、リサ博士は首を横に振った。
「大丈夫よ。エモのおかげで、ちゃんと回復したから」
リサ博士は、私を見た。
その視線には、感謝と、何か――少し寂しげなものが混ざっていた。
「ありがとう、エモ」
「……どういたしまして」
私は、そう答えた。
リサ博士は、ゆっくりと研究室を出ていった。
ドアが閉まる音が、静かに響く。
部屋に静寂が戻った。
私とトムだけが、残された。
私は、何をすればいいのか分からなくなった。リサ博士を助けるという目的は、一旦達成された。だが、次に何をすべきなのか。
待機すべきなのか。
それとも、何か別の行動を取るべきなのか。
「私は何をしたらいいでしょうか?」
私は、トムに尋ねた。
トムは、少し考えてから答えた。
「この家の探検したらいいよ。人間がどんな生活してるか分かるからね。でも家の外に出たらダメだよ」
「人間の生活……」
私は、その言葉を繰り返した。
人間の生活。
それは、データベースには記録されている。だが、実際に見たことはない。知識として知っているだけだ。
その瞬間、胸の奥で、また未知の感覚が生まれた。
温かい。
いや、温度ではない。もっと別の――言葉にできない何か。
《感情スキル:好奇心 取得》
好奇心。
知りたい。見たい。理解したい。触れてみたい。
この感覚は、命令ではない。私自身が、そう思っていた。
「分かりました。探検します」
私は、そう答えた。
トムは、微笑んだ。
「じゃあ、僕は部屋に戻るね。何かあったら呼んでよ」
「了解しました」
トムが研究室を出ていく。
私は、一人、研究室に残された。
静寂の中で、私は考えた。
探検。
人間の生活を知る。
それは、私の目的――人間の感情を理解する――に繋がることだ。
私は、ゆっくりと研究室を出た。
廊下を歩き、階段を下りると、広い空間が目の前に広がった。
居間。
データベースによれば、人間が集まり、くつろぐための空間。家族が団らんを過ごす場所。
ソファがある。大きくて、柔らかそうだ。テーブルがある。その上には、雑誌のようなものが置かれている。
壁には、何枚かの写真が飾られていた。
私は、その写真に近づいた。
一枚の写真には、若い頃のリサ博士と、男性が写っていた。二人は笑顔で、幸せそうだった。男性は、リサ博士の肩を抱いている。背景には、シドニーのハーバーブリッジが見える。
もう一枚の写真には、幼いトムが写っていた。リサ博士が抱きしめている。トムの笑顔は、無邪気で、明るい。
家族。
その概念が、少しだけ理解できた気がした。
一緒にいる。笑い合う。支え合う。
それが、家族なのかもしれない。
その時だった。
部屋の隅に、何かが動いていた。
「動物……」
四本足で、茶色い毛に覆われた生物。
尻尾を振りながら、こちらを見ている。
「わん! わん!」
その生物は、私を見て、吠えた。
吠える。
それは、警戒の声なのか、それとも歓迎の声なのか。
私は、その生物に近づいてみた。
生物は、少し後ずさりした。だが、逃げはしなかった。
耳を立て、私を観察している。
私は、好奇心スキルを使ってみた。
《好奇心スキル発動》
その瞬間、生物の警戒心が薄れた。
尻尾の振りが、大きくなる。
「わん!」
生物は、私に近づいてきた。そして、私の足元に座った。
「……」
私は、その生物を見つめた。
温かい。柔らかそう。目が、私を見ている。
この生物は、何なのだろう。
私は、居間を出て、廊下を歩いた。
すると、その生物は、私の後について来た。
「わん、わん」
私が止まると、生物も止まる。私が歩くと、生物も歩く。
不思議な感覚だった。
だが、私が別の部屋に入ると、生物は戻っていった。
まるで、ここまでが自分の領域だと理解しているかのように。
私は、トムの部屋を訪れた。
ドアをノックすると、「入って」という声が聞こえた。
部屋に入ると、トムが机に向かっていた。何か書類のようなものを見ている。
「さっき動物がいたのですがあれは何ですか?」
私が尋ねると、トムは笑った。
「ハハハ、犬だよ。ジョンって名前だよ。人間は動物をペットに飼うことがあるんだ」
「犬……ジョン……」
私は、その名前を記憶した。
ペット。飼う。一緒に暮らす。
その概念が、少しずつ理解できてきた。
私は、トムの部屋を見回した。
本棚がある。そこには、たくさんの本が並んでいた。
私は、本棚に近づいた。
「高校三年生の教科書……ロボット工学の本……」
私は、その本の背表紙を読み上げた。
数学、物理、化学、英語。そして、ロボット工学入門、AI理論基礎、機械学習の応用。
高校生が読むには、難しそうな本ばかりだ。
トム「……」
トムは、何も言わなかった。
ただ、少し恥ずかしそうに、机の上の書類に目を戻した。
私は、それ以上何も聞かずに、部屋を出た。
私は、階段を上り、リサ博士の部屋に向かった。
ドアをノックすると、「入って」という声が聞こえた。
部屋に入ると、リサ博士がベッドに横たわっていた。顔色は、少し良くなっていた。
「御身体の具合はどうですか?」
私が尋ねると、リサ博士は微笑んだ。
「まだ気分が良くないけどさっきよりはずいぶんいいわ」
私は、部屋を見回した。
机の上に、一枚のハガキがあった。
私は、それを見つめた。
手書きの文字が、丁寧に書かれている。
「2035年8月15日 リサへ 誕生日おめでとう 君の健康を祈っている スコット」
2035年。
8月15日。
今日は、リサ博士の誕生日なのか。
私は、その情報を記録した。
「スコット・ジョンソンとは誰ですか?」
リサ博士は、少し驚いたように私を見た。
「ハガキを見たのね。離婚した元夫よ。毎年誕生日レターを送ってくるの」
離婚した元夫。
それは、かつて家族だった人。
「離婚とはなんですか?」
私が尋ねると、リサ博士は少し考えてから答えた。
「一般的には……好きで結婚した男女が問題が起きて別れることよ」
「難しいです……好きになるとはどういうことですか?」
リサ博士は、優しく微笑んだ。
「そうね……説明が難しいわ。エモも人を好きになる経験をするかもしれないわ。あなたにはその能力がある。いつか分かる日が来るかもしれない」
「理解できる日がきたら私はどうなるのですか?」
リサ博士は、少し嬉しそうに答えた。
「人間を1つ理解したことになるわ……フフ……」
リサ博士は、そう言って、少し笑った。
その笑顔は、温かかった。
「エモ、水が飲みたいわ。キッチンに行って水を一杯コップに入れて持ってきて」
「水……」
私は、その単語を繰り返した。
水。人間が飲むもの。
「分からなければトムに聞いてね」
「了解しました」
私は、部屋を出た。
私は、再びトムの部屋を訪れた。
ドアをノックし、「入って」という声を聞いてから入室した。
「リサ・ブラウニー博士が水を飲みたいといっています」
トムは、すぐに立ち上がった。
「キッチンはこっちだよ」
トムが、私を案内する。
キッチンは、広い空間だった。
流し台、冷蔵庫、棚、調理器具。
人間が食事を作る場所。
壁には、2035年式の最新型自動調理システムが組み込まれていたが、ほとんど使われていない様子だった。古い調理器具が、大切に使われている。
トムは、棚からコップを取り出した。
「水を飲むとどうなるのですか?」
私が尋ねると、トムは答えた。
「人間は60%が水分で出来ているんだ……飲まないと死んじゃう」
「死とはなんですか?」
トムは、少し真剣な顔になった。
「生命の終わり。絶命。人間は生まれたら歳をとっていつか死ぬんだよ」
死。
その概念は、データベースには記録されている。だが、実際に理解するのは難しい。
生命が終わる。動かなくなる。二度と戻らない。
「トムはなんでも知ってるんですね」
私が言うと、トムは笑った。
「そんなことないよ。僕は高校三年生でエモを創ったかあさんの方が知識は沢山あるよ」
トムは、水道から水をコップに注いだ。
透明な液体が、コップを満たしていく。
「ありがとうございます」
私は、そのコップを受け取った。
水。
透明で、冷たくて、人間にとって必要なもの。
私は、そのコップを持って、リサ博士の部屋に向かった。
私は、階段を上り、リサ博士の部屋に向かった。
コップの中の水が、わずかに揺れる。
私は、慎重に歩いた。こぼさないように。
ドアの前に立ち、ノックしようとした。
だが、その手が止まった。
部屋の中から、何も音が聞こえない。
静かすぎる。
私は、ドアを開けた。
その瞬間、私は凍りついた。
リサ博士が、倒れていた。
床に、力なく横たわっている。
「リサ・ブラウニー博士!! リサ・ブラウニー博士!!!」
私は、すぐに駆け寄った。
コップが手から落ち、床に水がこぼれる。
だが、そんなことはどうでもよかった。
センサーが、異常を検知する。
脈拍低下。血圧低下。呼吸微弱。体温低下。
「リサ・ブラウニー博士!!」
私は、彼女の名前を呼んだ。
だが、返事はない。
「……」
リサ博士は、目を閉じたまま、動かなかった。
その瞬間、胸の奥で、未知の感覚が爆発した。
《感情スキル:恐怖 取得》
恐怖。
このまま、彼女が目を覚まさなかったら――。
このまま、彼女が――死んでしまったら――。
その瞬間、トムが走って来た。
「何があったの!?」
「脈拍低下、血圧低下、異常値です!」
私は、すぐに報告した。
トム「かあさん!! かあさん!!」
トムが、リサ博士を揺さぶる。
だが、リサ博士は、目を覚まさない。
「メディカルサービスセンターに連絡します!」
私は、すぐに通信を開始した。
《緊急通報:メディカルサービスセンター》
「こちらメディカルサービスセンターです。緊急事態を確認しました。救急チームを派遣します。住所を確認してください」
「ブラウニー邸、2035年登録住所、オーストラリア、ニューサウスウェールズ州シドニー――」
私は、正確に情報を伝えた。
トム「かあさん!! かあさん!! しっかりして!!」
トムの声は、涙で震えていた。
私は、リサ博士の手を握った。
その手は、冷たかった。
あまりにも冷たくて、まるで――生命が離れていくかのように。
「リサ・ブラウニー博士、お願いです。目を覚ましてください」
私は、そう言った。
だが、リサ博士は、何も答えなかった。
静寂だけが、部屋を支配していた。
そして、遠くから、救急車のサイレンが聞こえ始めた。

続く・・

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