歳をとるのが嫌だ、と思う。
それはきっと、とても自然な感情です。
体が思うように動かなくなること。
できていたことが、少しずつできなくなること。
鏡に映る自分が、少しずつ変わっていくこと。
誰だって、本音を言えば若いままでいたい。
選択肢が多くて、未来が広く感じられて、「まだ大丈夫」と思えていた頃に戻れたら、と。
「年齢を重ねるのは素敵なこと」
「老いは味わいだ」
そんな言葉を見かけるたびに、どこか置いていかれた気持ちになることもあります。
でも、老いが嫌だと思うのは、弱さではありません。
それだけ**"失うこと"を分かっている**ということです。
老いが怖いのは、死よりも「変化」かもしれない
老いが怖いのは、死が近づくから、というよりも、
自分が自分でなくなっていくような感覚が怖いのかもしれません。
役割を失うこと。
頼る側になること。
できないことが増えること。
それまで築いてきた「自分らしさ」が、少しずつ輪郭を失っていきます。
だからこそ、人は老いを拒みます。
それは、まだ生きたいという意思の裏返しでもあります。
嫌だと思っていい
老いを前向きに受け入れられない自分を、責めなくていいです。
怖いと感じるのも、寂しいと思うのも、当然のことです。
老いを美しく語れる人だけが、成熟しているわけではありません。
揺れながら、戸惑いながら、それでも今日を生きている人も、ちゃんと成熟しています。
老いは避けられない
老いは避けられません。
でも、老いに対する「まなざし」は、少しずつ変わっていくことがあります。
誰かの弱さに触れたとき。
親の老いを目の前にしたとき。
支える側になったとき。
老いは、奪うだけじゃありません。
関係を柔らかくすることもあります。
それでもやっぱり、歳をとるのは嫌だ
それでもやっぱり、歳をとるのは嫌です。
その本音を抱えながら、今日を生きています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。