不幸は自分で創っている
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こんにちは。
光の翼 ここみんです。
いつもブログをお読みくださり、
ありがとうございます。
しばらく
ご無沙汰しておりましたが、
その間、
着々と不食を
継続しておりました。
肉体は
まだ重くて
関節の節々が
ものすごくダル痛いですが、
不食期間に入った当初よりも
幾分マシに
軽くなってきましたが、
まだまだ
本調子ではありません…。
浄化は
続いています。
肉体って
エネルギー的に
壮絶に
重いのですね…汗
これまで私も
毎日の習慣として
ある超大手
有名な食品メーカーの
コーヒーを
好んで摂っていましたが、
そのコーヒーに
トップ10に入るような
危険度が上位の
身体に有害な
添加物が使われているという
ネットの
情報に辿り着き、
コーヒーの原材料を
確認してみると
トップ10入りの添加物が
2点も
表示されており、
買い置きストックを
全処分しました。
この衝撃な認識は
不食を
開始したからこそ、
初めて
気づけたことです。
不食をするまでは、
肉体に
節々の毒素が
これほどまでに
蓄積しているとは
想像すらも
できませんでした…。
もう、
先日始めた
不食をきっかけに
「私」の現実世界が変容し
真新しく
塗り替えられ始めています。
今後、
もう二度と
あの食品メーカーの
コーヒーを
口にすることはないでしょう…。
TVコマーシャルなどで
完全に暗示に
引っ掛かっていましたね…汗
「大手有名食品メーカーだから
間違いない。安心…。」
「値段も安いし、どこの小売店やスーパーでも
扱っているから、つい買ってしまう…。」
…というような、
安易で愚直な
観念は手放そうと
固く誓いました。
「皆が利用しているから、間違いない。」
「有名企業だから安心。」
たとえ、
日本国民の99.9%が
「名の知れた企業だから安心。」だと
言ったとしても
「私」は、
今現在の
日本国民のような在り方では
もはや
生きられません…。
誰かの真似をして
生きようとは
到底思えない。
誰かの生き方をして
今後どうなるのか、
エネルギーの法則からしても
カンタンに
見当がつくからです。
有名だから…とか、
皆が支持しているから…っていうような
ミーハー気質も
大概にしようよ…って
心底思う。
一般消費者が求めやすい
安価の価格帯
…っていうのも、
かなり
マズいですね…。
今後は、
「値段が安いから…。」
という動機で
物を購入する国民が
大部分を占め
経済衰退が
一層進行していく…。
「安い物しか買わない。」
というのは、
「これだけのお金ですべてが事足りる。」と
日々
コツコツと
無意識(潜在意識)が
認識するようになり、
必要以上の
ゆとりとなるような金銭が
入ってこなくなります。
まさに
マス・メディアは真実を
いとも簡単に
覆い隠します。
「私」たちが、
たとえ今後
その食品を摂取し続けたとして
もしも万一
身体に不調が
現れ始めたとしても、
大手食品メーカーが
その全責任を
取ってくれる訳ではありません。
根も葉もなく
何の根拠も
因果関係も無いと
突っぱねられるだけで、
悔しい思いを味わい
泣き寝入りする側は
間違いなく
一般消費者です。
在り方が
お人好し過ぎます…。
だから
一般消費者の「私」たちが、
目を覚まして
真実を見極める
確かな目を持って
「私」は、
「何を選択するのか…?」を
決めていく。
何でも
「私」が決めていることが、
世界に
反映しているのですから。
皆と同じならば安心、
皆と違うならば不安。
…という
物差しで決めない…。
これまでの経験や
それぞれの
考え方や
価値観も違うのに、
誰もが皆
同じ人生になる訳がありません。
だれもが皆違っていて
当たり前です。
「私」は、
「私」の個性を追求することで
皆と同じでは
到底味わえない幸せを
掴むことができるのです。
これからの
険しい世界を行きていくのに、
「働いてもいい。働かなくてもいい。」
「食べてもいい。食べなくてもいい。」
「どちらでもいい。」
…という在り方の
チャレンジを与えてくれた
宇宙に
感謝しています。
恐れがある間は
「どちらでもいい。」
とは、
到底感じることなど
できません。
「…しなければいけない。」
…と
無意識が
認識している間は、
「…しなければいけない」ことを
やり続けるのでしょう。
でもそれで
いいのです。
「私」の体験を通して
魂は学ぶのですから。
目の前の状況が
不幸なのではありません。
その状況を不幸だと考える
思考が
不幸を生み出します。
「私」の不幸を知る事によって
「私」の幸せを知ることができます。
不幸と幸せは
別々のものではなく
同じ1つのものです。
「え?次は、一体どうなっちゃうんだろう…?
こんな経験って滅多に
できないよね??笑」
…とその状況を
楽しんじゃうのも手です。
私はいつもそうしています。
本来は
どちらでもない
ニュートラルなものを
幸か不幸なのか
「私」が決めています。