七夕の日に、引き続き、上賀茂神社の水辺で神仏達との談笑をしていたら、目の前の木が突然光を放ち、よくみると、木の中にイエスさまがいらっしゃいました。
イエスさま『全てのものの中に私を見なさい』
私『それは、愛を見なさいという事ですか?』
イエスさま『喜び。』
『喜びのために生み出された事を知りなさい。』
『川の流れをつかまず、後に残さず』
『その水面に反射する光の粒、変化し続ける一瞬のきらめき、その流れ中にいる感覚の喜びを。
それは、永遠の流れの中でその瞬間、確かにそこに在り輝いてる、それが我ら魂であり、それそのままの美しさを讃え、喜んでいなさい。』
『今こそ全てにかえりなさい。』
その様におっしゃっていました。
『全ての中に私(イエスさま)を見なさい。』
という言葉と、『全てにかえりなさい。』
この2つは、角度が違うだけで同じ事を指し示しています。
もともと1つの光が、『自分を知りたい』と、もう一つ生み出し2つになって、『体験をしたい』と言って3つになり、その様にして可能性の探求のために無数に生み出されたのが今の私達です。
それを今、『全てにかえる』意識とはまさに統合ですが、全ての存在、物質、そして地球も、そのありとあらゆるものは、源の光が生み出したものであり、自分達は親(源)を通して全てが同じ根源を持っているならば、自分の内なる光は、目の前の人の内にも宿っており、人も、木も、水も、源が自分のあらゆる可能性を探求した結果であります。
そして、全てを生み出した源の想いとは、『喜び』なんだよ。ということ。
私達という存在は、喜ばれて、愛されて、幸せのために生み出された。
だから自分自身も、自分の目にうつる存在も、物質の全てが、お互いを大切に、尊重され、喜ばれて、幸せになるのが当たり前なんだよ。という事を思い出してほしいと、おっしゃっています。
私達は、自分自身をとがめ過ぎています。
自分をいじめる意識、葛藤は、現実に争いをうつしだしていきます。
ですから、まずは自分から、自分を害する意識をやめていくのです。自分を罪人にする意識をやめていくのです。私達はあらゆる可能性を探求する自由をゆるされています。
その自由を罪人としての探求に使うも、幸せな人としての探求に使うも、ただの選択です。
そして、自分自身が幸せになる選択と、全ての在り方を尊重し、全ての中に、相手に、自然に、内に宿る喜びを見出し、自分がそこに溶けてゆく様な感覚、これがこれからの調和を体現するための大切な意識だとかんじます。
さて、この時イエスさまとお話した意味がこの後、賀茂別雷大神さまとのお話で明らかになりました。長くなるので、また次回に。
ありがとうございます。