高校で国語教員を20年以上勤める中で、志望理由書や小論文の添削を長年行ってきた。そういう立場から、生成AI時代の志望理由書、小論文作成について考えてみたい。
まず、生成AIを使用すると、簡単なメモからでも整った志望理由書を瞬時に作成してくれる。しかも、構成や表現も整ったものが作成され、大学の情報も自動で収集して、一見しただけではAIによるものとは分からない精度になってきた。小論文についても同様だ。必要なデータを入れれば、いかにも高校生が書きそうな小論文を自動生成してくれる。
大学側もこのような現状がわかっているから、AIチェッカーなどを使用して、人間が書いたものかどうかをチェックしているという。このまま進むと、もしかすると、AIが作成したものを、AIがチェックするという状況が当たり前になるのかもしれない。
生成AIを使用することの弊害で最も問題なのは、あたり前なことではあるが、本人の考えを全く反映していないため、作成されたものが本人の考えの表出となっていない点だ。
昨年あたりから、生徒から依頼される志望理由書添削や小論文添削を行った際に、「実はAIに作成してもらったんです、、」という生徒が急増してきた。このような場合、添削を行っても、自分が作成したものではないので、なぜそのように書いたのかを本人が説明できない。
提出書類として、志望理由書や小論文があり、その後に面接試験がある場合は、ほぼ100%、志望理由書や小論文の内容についてのつっこみが入る。その場合、AIが作成したものに対してつっこまれても、本人はまともな答えができないだろう。
また、AIが作成した文章は、部分部分はたしかによく書けているが、内容に深みが無く、無味乾燥とした印象を受けることが多い。一般論をまとめあげている印象だ。
よく言われていることだが、志望理由書や小論文の作成にAIを使用すると、能力のある生徒の場合は、AIを使用しなかった場合よりも完成度が下がるのは間違いない。AIを使用することで、思考の範囲が狭まってしまう場合が多いからだ。
今の生成AIの能力を考えると、自分の添削力は、まだまだ負けない自信があるが、今後、さらにAIが進化することを考えると、教員という仕事がAIに奪われてしまう日もそう遠くないかもしれないと思う。そうならないためには、教師の側も、常に変化に対応する柔軟性と学ぶ意欲を持ち続けなければならないと自戒を込めて思う今日この頃だ。