コラム94 被爆者が受け継ぐ平和の思い(コラム11もご参照ください)

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 2024年12月、日本被団協にノーベル平和賞が授与されました。このニュースを聞いたとき、医師としてだけでなく、一人の人間として強く胸を打たれました。戦後79年。核兵器廃絶を訴え続けてきた被爆者の声がようやく世界に届いたのです。
 私の外来では、戦争中の体験談を伺うことがよくあります。疎開や東京大空襲、防空壕での記憶、沖縄での壮絶な経験など、生々しい話は数多く聞いてきました。けれども、被爆者の体験を直接聞く機会は、残念ながらこれまでありませんでした。それでも、患者さんが語る「戦争の記憶」には、いつも重みと説得力があり、聴いている私まで心が揺さぶられます。 ある方は、東京大空襲の夜、母親と一緒に防空壕で息を潜めていた記憶を話してくださいました。「空が真っ赤に染まるのを見て、生き延びられるかどうかわからなかった」と。当時の恐怖がまざまざと蘇るような語り口に、こちらも息を飲みました。別の方は、沖縄戦での体験を話してくださいました。あと1日戦争が長引けば、零戦で特攻する予定だったという話を聞いたときは、戦争の非情さを改めて痛感しました。 
 日本被団協の方々が訴えてきたのも、まさにこうした戦争や核兵器の非人道性です。私自身、被爆者の話を直接聞いたことはありませんが、その声がもつ意味の重さは、他の戦争体験談と同様に感じ取ることができます。核兵器の恐ろしさは、爆発そのものだけでなく、その後の長期間にわたる放射線被害や社会的偏見、さらには被爆者自身の精神的苦痛にまで及ぶものです。そうした苦しみを背負いながらも、被爆者の方々は「核兵器のない世界」を訴え続けてきました。それは、自分たちのような苦しみを次の世代には決して味わわせたくないという強い思いからです。 今回のノーベル平和賞受賞は、そんな彼らの声がようやく国際社会に届いた結果と言えます。でも、このニュースを聞いて安堵しているだけでは、彼らが託した思いを未来へつなぐことはできません。戦争体験を語る人々は年々少なくなり、被爆者の記憶を直接聞ける機会もほとんどなくなりつつあります。だからこそ、今生きている私たちが、その記憶を次の世代に伝える「橋渡し役」になる必要があるのです。患者さんたちが語る戦争の記憶を聞くたびに感じるのは、「話すこと」そのものが彼らにとって癒しであり、未来への希望でもあるということです。誰かがその話を真剣に聞き、共感し、語り継ぐ。それが、平和への第一歩になるのではないでしょうか。 
 私自身も、日々の外来で耳にする戦争体験を記憶に刻み、それを人に伝えていくことで、平和を願う思いをつないでいきたいと思います。そして、今回のノーベル平和賞が、日本や世界中の人々にとって、平和について改めて考えるきっかけになることを願っています。核兵器のない世界。それは決して夢物語ではなく、私たち一人ひとりの行動から始まる現実の目標なのです。 

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