4月に新しい仕事に転職してから、少し時間に余裕ができたのを機に、ついに料理を始めることにしました。忙しい日々の中でも、少しでも自分のため、そして家族のために手を動かし、食事を作るという行為に何か特別な意味を見出したかったのです。特に、念願であった中華鍋を手に入れて、まずはチャーハン作りからスタートしました。中華鍋は想像以上に奥深いもので、まず「素焼き」といって、表面のコーティングを焼き切る儀式から始まります。そして、使用後は洗剤を使わずにタワシでゴシゴシ洗うという今までに経験したことのない作業。これがまた、道具との向き合い方の学びの一つです。こうした些細な作業が、料理における「丁寧さ」や「手間」の本質なのだと、早くも実感しています。
料理をしてみて一番驚いたのは、ただの作業ではなく、驚くほど頭を使うことです。例えば、ご飯を炊いて、炒め物、目玉焼き、納豆といった簡単なおかずを用意するだけでも、タイミングを見計らって動かなければなりません。あと何分でご飯が炊き上がるのか、それに合わせてどのタイミングで炒め物を始めるのがベストなのか。食材を投入する順番や火の通り具合を考えながら、ちょうどいい塩加減を見つける。目の前にある一皿の料理が、思ったよりも複雑なプロセスの積み重ねだということに気づかされます。しかも、失敗したとしても、自分が作ったものを自分で食べるしかないというプレッシャー。これもまた、料理の醍醐味の一つだと感じています。
これまでに挑戦したのは、チャーハン、鯖缶の卵とじ、野菜炒め、ベーコンとネギのつまみ、ペペロンチーノ、鯖のパスタ、目玉焼き、若鶏の照り焼き、鳥の唐揚げ、そして酢豚(ただし鶏肉だったので「酢鳥」?)などです。特に、野菜炒めはシンプルな塩胡椒味付けが好みで、ピーマン、オクラ、シシトウ、ブロッコリー、ネギ、玉ねぎなどを炒めるだけでも十分な満足感を得られます。もちろん失敗もありました。例えば、鯖のパスタは鯖を一缶丸ごと使いすぎてしまい、バランスが崩れたり、照り焼きは中まで火が通る前に焦げてしまい、てんやわんやの大騒ぎ。それでも、そんな失敗があるからこそ、次こそはもっと美味しく作れるようにと、料理の腕が磨かれていくのです。
料理を始めてから、感じたことがあります。それは「料理は、自分自身との戦いである」ということ。毎回の食事が小さなチャレンジであり、そしてその過程で自分の成長を実感できるのです。失敗しても諦めず、改善策を探し続けるその姿勢は、日々の医師としての仕事や投資家としての判断にも通じるものがあります。料理という行為は、ただ美味しいものを作るだけではなく、自分を鍛え、精神を研ぎ澄ませてくれる貴重な体験だと感じています。
最近では、各種動画配信サービスのおかげで、料理のレシピやテクニックを瞬時に学ぶことができるという素晴らしい時代になりました。ふと「今日の夕飯は酢豚にしようかな」と思ったその瞬間、スマートフォン一つで無数のレシピが目の前に広がります。専門家が細かい手順を説明してくれるのを見るたびに、料理の深さと、その奥に広がる可能性を感じざるを得ません。40代になって始めたばかりの私にとって、料理は単なるボケ防止のための手段以上の価値を持つものであり、もっと早くから取り組んでいればよかったと感じるほどです。若いうちから自分の食事に責任を持ち、手作りすることの素晴らしさを知ることは、人生をより豊かにする一つの方法かもしれません。
これからも料理のレパートリーを増やしながら、新たな発見や挑戦を楽しんでいきたいと思います。また新たな料理が完成したら、ぜひ皆さんにご報告させていただきます。