『美月ちゃんお疲れさま、今日はどうだった?』
と麗子ママが美月にそっと近づいて猫撫で声で囁いた。
麗子ママは最初に会った時から感じていた。
この子は、ただの女の子じゃない。
夜の世界で、何かを残す女だと直感で感じていた。
『ええ、緊張して何がなんだか分からなかったです』
本当はワクワクしていた自分がいたのに何故か言えなかった。
『お給料も今の倍にするから美月ちゃん考えてみてよ』
『えっ、倍ですか!』
急に目の前の川に黄金の橋がかかって渡ってみようかと思った。
『ママさん私、働いてみます!』と思わず言ってしまった。
『良かった!分からない事は私が教えるし店長にも頼んであげるからね。
早速、明日から来てね。あっ、そのママさんはなしね。ママだけでいいのよ』
『はい、宜しくお願いします』
なんて単純なのかと思ったが当時実家から独立したかったのでお金が欲しかったのだ。
そして次の日、
『おはよう!』
『あっ!おはようございます。よろしくお願いします』
『ママから聞いてると思うけどうちは厳しから覚悟しておいてくれ』
大塚店長は鬼塚と言われるくらい厳しい人だが人情味もある店長だった。
『はい!』
『じゃ、注意事項をいくつか』
『まず禁止事項!』
『あ、はい!』
『遅刻は厳禁!人間として守らなきゃいかん』
『次!足組んだり肘をテーブルについてもダメだ!そんなのを見たら客の前でも注意するからな』
『次!客の前でつまみは食べるな、おい!聞いてんのか』
『はい、聞いてます』
『次!同伴は8時半まで。1分でも遅刻したら給料から引くからな』
『次!』
言葉は短く、鋭かった。
そのたびに、美月の背筋が伸びる。
こんな調子で延々注意事項が続いた。
夜の世界も見た目ほど楽じゃない。
この『クラブ風花』は駅から1分という好立地にあり大きなビルの2階。
階段にも装飾が施されお客様の期待感を盛り上げる。
50坪という広い店内は毎日、洪水のようにお客様が来店され賑わっている。
そして生バントと共に夜毎、在席50人程の女たちの戦場でもあった。
まず入口に入るとフロント兼キャッシャーがあり左右の入口に分かれている。
左は川上チーフのいるカウンター席でどっしりとした革張りの椅子はかなりの幅があり、
この高級感がお客様の優越感を満足させるようだ。
毎回このカウンター席を指定する人もいるくらい居心地がいい。
その奥は調理場でシェフがクラブとは思えない程の本格的な料理を作っている。
フロントから右へ進むと、
そこはもう現実から切り離された甘美な世界だった。
贅沢に配置されたテーブル席。
華やかに笑う女たち。
そして、
見えない駆け引きが、静かに始まっている。
一番奥まった席はVIPルームと呼んでいて
邪魔にならないほどの目隠があり重要人物の接待用に使われている。
こうしてデビューが決まった。
それが、美月のすべてを変える夜の始まりだった。