(1)問題
次の設問1,設問2の両方に答えなさい。
設問1以下の文章は,1980年に出版された未来学者アルビン·トフラーの著作「第三の波』の一節である。この著作で,トフラーは,1万年前の農業のはじまりによって引き起こされた第一の波,産業革命によって口火が切られ,瞬く間に地球上を席巻した第二の波に次いで,またもや新しい文明が出現し,大変革の波(第三の波)に洗われる時代が到来していると主張した。
以下の文章を読み,第二の波によって家族や教育がどのように変化したか,著者の意見をまとめなさい。次に,第二の波で出現した家族や教育のあり方は,現在までにどのように変わったか,あるいは変わらなかったかについて,あなたの考えを述べなさい。(横書き600字以上,800字以内)
① 第二の波の技術体系には,この体系にふさわしい,同じように画期的な社会体系が必要だった。つまり,技術が,産業社会というまったく新しい形の社会組織を要求したのであった。
② 産業革命以前,たとえば家族形態は,地域によってさまざまに異なっていた。しかし,農業を主体とする地域ならどこでも,おじ,おば,義父,義母,祖父母,いとこなど,幾世代もの家族がひとつ屋根の下に暮らし,経済的にも,みんながひとつの生産単位としていっしょに働く大家族主義が一般的だった。インドの家父長制による大家族,バルカン半島諸国家に見られた家族共同体ザドルーガ,西ヨーロッパで一般的だった数世代を含む縦の複合家族である拡大家族などの例をあげることができる。そして家族は移動せず,土地に根を張っていたのである。
③ 第二の波が第一の波の社会を席巻するようになると,家族は変容を迫られることになった。各家庭の内部で第一の波と第二の波が衝突し,家庭内の紛争,家父長の権威への挑戦がはじまった。こどもたちと両親の関係が変わり,礼儀作法についての新しい考え方が生まれた。経済的な生産の場が田畑から工場に移ると,家族はもはや,ひとつの生産単位として,いっしょに労働するということがなくなってしまった。働き手を工場労働に送り出してしまうことによって,家族が持っていた重要な機能は,それぞれ専門的な機関に分割されたのである。こどもの教育は学校にまかされた。老人の世話は救貧施設や老人ホーム,養護施設などにまかされた。そして,なにより特徴的なことは,新しい社会が働く者に移動することを要求したことである。この新しい社会では,仕事の必要に応じて,点々と移動する働き手が不可欠だったのである。
④ 年老いた近親者,病人,障害者,そして大勢のこどもをかかえ込んだ拡大家族は,とても移動どころではなかった。そこで,さまざまな家庭悲劇をくりひろげながら,家族構造が次第に変化しはじめた。都市への移住によって別れ別れになったり,経済的な嵐にもまれたりしながら,家族は負担になっていた親族を切り捨て,小規模になり,移動性を獲得し,新しい技術体系に適応していったのである。
⑤ わずらわしい親族を切り離して,両親と二,三人のこどもだけで構成される,いわゆる核家族が,資本主義社会,社会主義社会を問わず,あらゆる産業社会において,標準的な「近代的」家族のモデルとして,社会的に是認された。祖先崇拝によって,家父長が異常なほど重要な役割を果たしていた日本ですら,親子が三代も四代もいっしょに暮らしていた団結心の強い大家族が,第二の波の到来とともに崩壊していった。次第に核家族が多くなっていったのである。要するに,石炭や石油といった化石燃料や製鉄所,チェーンストアーが第二の波の社会を第一の波の社会からはっきり切り離したと同じように,核家族は第二の波によってもたらされた社会に共通するまぎれもない特徴となったのである。
⑥ 労働の場が田畑や家庭から工場へ移行するにつれて,こどもたちは工場労働に適合する教育を受ける必要がでてきた。「いったん思春期を過ぎてしまった人間は,農業から転業した場合でも手工業から転業した場合でも,工場の有能な働き手になることは,むずかしい」と,1835年にアンドルー·ウールが書いているが,産業化したイギリスでは,初期の鉱山や工場経営者がまずそのことに気がついた。若年層があらかじめ産業のシステムに適合するように育っていれば,後年,産業社会で生きていくための訓練を受ける際に直面する困難は,大幅に軽減されるはずであった。その結果出現したのが,すべての第二の波の社会に共通な,もうひとつの主要な構造,大衆教育である。
⑦ 工場をモデルにして設立された大衆教育の場では,初歩的な読み書き,算術を主体にして,歴史やそのほかの課目もごく簡単に教えられた。これはしかし,表向きのカリキュラムだった。実はその背後に,目に見えない,かくれたカリキュラムが存在し,この方が,はるかに産業社会の基盤として,重要だったのである。このカリキュラムは三つの徳目から成り立っていた。というより,大方の産業主義国家において,現在もこの三つの徳目が存在している。それは,まず第一に時間厳守ということである。そして,第二が服従,第三が機械的な反復作業に慣れる,ということである。工場労働者にまず要求されるのは,定められた時刻に出勤することであり,とくに流れ作業の要員の場合がそうである。そして上司である管理者の命令に,文句も言わずに従う労働者であること。また,男も女も機械あるいは事務机に向かって,まったく機械的な反復作業を飽きもせずに,こつこつやっていける忍耐力の養成が必要とされたのである。
⑧ こうして一九世紀の半ば以降,第二の波が押し寄せた国では,教育制度が過酷なまでに次から次へと発達した。就学年齢はどんどん切り下げられ,在学年数は長くなる一方だった(アメリカでは1878年から1956年の間に,35パーセント増になっている)。そして,義務教育年限も当然延長された。
⑨ 公立学校における大衆教育は,明らかに,人間らしく生きるための前向きのものを持っていた。1829年,ニューヨークのある機械工と職工のグループが宣言したように,「教育は生命と自由に次いで,人類に授けられた祝福である」と見なされてきた。しかし,第二の波が到来して以降の学校は,幾世代にもわたって若い人びとを規格化し,電動機械と流れ作業に都合のよい,画一的な労働者を育成してきた。
⑩ 核家族と工場労働者向けの教育は,若い人びとが産業社会で有能な役割を果たすための,総合的な準備体制の一環として機能した。この観点からも第二の波の社会は,資本主義社会であれ共産主義社会であれ,北であれ南であれ,すべて似たようなものであった。
アルビン·トフラーの著作『第三の波』日本放送出版界,1980,一部改変
(2)解答例
農業から第二の波の産業社会へと転換し、そこで求められる技術が変わることで、家族は拡大家族から核家族へ、教育は工場をモデルにして設立された大衆教育の場では,初歩的な読み書き,算術を主体に歴史やそのほかの課目もごく簡単に教えられた。これに加えて、三つの徳目からカリキュラムが構成された。すなわち時間厳守,服従,機械的な反復作業に慣れることである。
こうした教育は日本では高度経済成長期に顕著なものとして行われていた。大量生産の産業構造に対応して、工場の流れ作業に対応できる労働者の育成を目的とするものであった。事務職でも定型化された業務を的確にこなす能力が期待され、画一的なカリキュラムの下、一斉授業が行われた。
しかし、第三次産業が隆盛し、AIが発展した高度情報化社会と原発事故や新型感染症の流行など、不確実で予測困難な現代社会のなかで、時代に適応できる人材を育てるには、従来の第二の波の産業社会型教育ではそぐわないという判断が下され、文科省は学習指導要領を改定し、「主体的・対話的深い学び」を核とする方針に切り替えて、新たなスタートを切ったばかりである。
こうした教育の大転換の一環としてセンター試験の廃止、共通テストの導入により、考える力を養う方向にシフトする流れが出来つつある。しかし、大半の私大入試は定型的な知識の暗記と再現を主とした旧態依然の詰め込み式から脱していない。共通テストと私大入試を両方受ける受験生の負担はかえって高まるばかりである。
率直に言うと、教育改革は迷走している。高校卒業後の進路として大学受験以外の多様なルートを社会は用意し、生徒自らが主体的に進路を選択できる仕組みを構築することができれば、第二の波の型に対応した旧態依然の教育から抜け出すことができると考える。(780字)
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