こんにちは。『徒然なる世界』の管理人リュードです。
今回は私の過去を含めたお話をしようと思います。
私は学校時代、典型的ないじめられっ子でした。
まいにち訳も分からずいじめられ、みんなからのけ者にされ、なにをしてもバカにされる毎日を強制されてきました。
誰も私を認めてくれない。誰も私を褒めてくれない。
そんな中、学校生活になんら楽しみを見出せなくなってきました。
それでも、両親に心配をさせたくないという思いから、学校には一応行っていました。
ただ、それでなにか得られるものがあったか、と言われると、全くなかった、というのが正直な感想です。
社会人になり、仕事を持つようになって、ようやく人並みの扱いをされるようになりましたが、私の心にはいつも学校時代のいじめが不安となって渦巻いていました。
いつか、また自分はいじめられてしまうのではないか。あのような理不尽ないじめに耐えなければならない日々が来てしまうのか。そういう不安と隣り合わせの日々を過ごしていました。
そんな中出会ったのが創作活動でした。
自分の稼ぎでパソコンを買い、インターネットを契約し、そこで様々な人たちが自分の作品を思い思いに発表している光景を目の当たりにしました。
折しも個人サイト隆盛の時代。これなら自分も輝けるかも知れないと思い、私も創作活動を始めました。
小説を書いている時はとても楽しいという思いが自分の心を包み込んでいました。
嫌なことを忘れ、自分の世界に没頭することがこれほどに興味深いものだったのかと、今まで味わったこともない感覚に心地よささえ覚えました。
そして、いつしか創作活動は私の中で大きな比重を占めるようになっていきました。
これが本当の私なのだ、小説を書いている自分こそ私自身でいられる時間なのだと、そこにある種の生きがいを見出すようにさえなっていったのです。
そこで、私は自分にとって邪魔なものを捨てることにしました。
私にとって一番邪魔なもの。それは学校時代のことを思い出させるもの全てでした。
だから、私はそれらを一切合切捨て去ることにしました。
教科書もノートも資料集も、果ては卒業アルバムでさえなんの躊躇もなく捨てました。
それこそ、学校時代を思い出させるものは私にとって無用なものであるとして、一つも自分の手元に残さないようにしました。
今、私の手元には学校時代の思い出はありません。
それどころか、学校時代そのものを自分の中から「捨てて」しまっているのです。
私にとって学校時代は「なかったもの」「存在しないもの」として、一切取り扱わないことにしています。
今の私には創作活動があります。そして、それを充実させるためならばどんなことでもする覚悟があります。
人生を豊かなものにするためには、時に自分にとって邪魔なものを捨てる意思も必要なのです。