わたしたちを見守る「守護霊」は一体、どのような視点で物事を見つめているのか?
今回は『幸福』をテーマに、とある「宮女」のスピリットにお話をうかがってみました。
◯ お話を聴かせてくださった守護霊
朝鮮王朝後期の尚宮級宮女で、王妃や王族女性の身支度を支えた内殿近侍だった女性。
Q:「幸福」というものをどのように捉えているのか?
幸福の在り方というものが、私どもが現世を生きていた頃とは随分変わったように感じております。
たとえば、私どもの世においても当然、富める者、貧しき者はおりました。
いつの世であっても、それは不変にございます。
しかし大きな違いがあるとすれば、私どもの頃というのは、貧しき者の中にも相応の幸福があったように思うております。
しかし、あなたがたが生きる今の世は、食うことにも生くることにも困りはしない。
少なくとも、飢饉で命を落とす者はおりますまい。
それほどまでに、あなたがたは飽食の世を生きておられる。
にもかかわらず、人はみな口を揃えて「貧しい、金がない」とおっしゃる。
一体 これ以上 何を求めるのにございましょう?
一体 いかほども財があれば、あなたがたは貧しくないと感じるのでありましょう。
それが私どもからみると、実に滑稽であり、哀れでなりませぬ。
Q:ではどうすれば、人は「幸福」たり得るのか?
己にとっての「幸福」というものが一体、どれほどのものなのかを知らずして、幸福を手に入れようなどと思うことそのものが、甚だおかしなことなのです。
かつての人々にはみな「今日」という日を生きながらえねばならぬという確固たる目的がございました。
しかし、今のあなたがたにはそれがない。
多くの人々が苦労をせずとも、日々を死なずに過ごすことができてしまっているではありませぬか。
このすでに満ち足りた日々にこれ以上の何を求めるのです?
水が一杯の水瓶に水を注ごうと思ったとて、水は入りませぬ。
裏を返せば、そもそも必要のない「水」を求めているのだということです。
渇いておらぬ大地に水が浸み込むことはございません。
真に「幸福」たりたいのであれば、まずは己の「渇き」が何たるかをしかと見つめることです。
渇いておらぬ以上、水を求めたとて、水が見つかるはずもないのですから。
・・・
今回の守護霊はこういった見解でしたが、全く同じ質問でも、守護霊が異なれば当然、異なる見解になるのが非常に興味深いところ。
なので今後も引き続き、霊視/霊聴による対話の様子をお届けいたします。
ところで…
◯ 守護霊が照らす “人生の突破口”
私たちが生きている限り、数多くの「問題」に出くわすことが、やはりあります。
しかしこのとき、多くの人が「悩んで」しまうのは、往々にして〝視野の狭さ〟から来るもの。
そういった意味でも、守護霊が普段〝どのような視点で〟ものごとを捉えているのかを知ることは間接的に、あなたにとって〝思いもよらぬヒント〟になることもあるわけです。
さらに、自分の守護霊を知るということは、あなたが今後の人生を生き抜いていく上で、
「天は見てござる」
といった具合で、心強い〝後ろ盾〟を実感すると共に、一種の〝腹括り〟にもなるのではないかと。
というわけで近日、新しい試みを発表いたしますので、是非フォローして楽しみにお待ちくださいませ。