(どんな感情も自分の味方です!)
「怒り」は、問題に立ち向かうための感情!
「不安」は、危険を察知し離れるための感情!
「後悔」は、自分が成長するための感情!
「悲しみ」は、心の辛さを浄化するための感情!
「嫉妬」は、自分の理想を知るための感情!
「違和感」は、シンプルに考え直すための感情!
どんな感情も「自分の味方」
この感情があってくれたから、自分は守られて活かされてきています。
この感情が、「自分の味方」とわかると、その感情に振り回されなく
なるのです。
どんな感情も自分の本心を教えてくれているという事です。
どんな感情も自分が前に進むための原動力になっているのです。
どんな感情も突き放さずに丁寧に向き合っていきましょう。
(自分の未来、素晴らしい未来を信じることです。きっとよくなる!)
人生でもがき苦しんだ場面を思い返してみてください。
最悪の事ほど人生を好転させるきっかけになっているはずです。
どんなに運のいい人でも、長い人生の間に一度や二度は、思ってもみなかった
不運に見舞われたり、苦境に陥るものなのです。
そんな時、人間という生き物は、つい自分の運の悪さを嘆きたくなるのです。
人間の道理です。ところがです。
のちの人生に必ず役に立つとわかっていれば、少しは、楽にやり過ごせるはずです。これが大切な事なのです。
(不都合がなければ、かえって不満がたまるものです!)
現代は、誰もが甘やかされたお嬢様、お坊ちゃまのような時代では
ないでしょうか!
昔は、おもちゃ屋の前で「これが欲しい」と”だだをこねて”も
なかなか買ってもらえなかったのです。
それは、親の方には、お金がなかったからです。
もっと昔は、物もなかったのです。
今は、物があふれるようになりました。
たくさん見れば、欲しいものもたくさん出てきます。
「これ欲しいー、これ買ってー」という子供の状態です。
しかも昔のように「ダメ!お誕生日まで我慢しなさい」という親は少ないはずです。お金があるから買うはずです。
考えてみれば、物があってお金があれば、
そうなるのが当たり前のはずです人間。
「我慢する」「先延ばしにする」のは、お金がないから、必然的にそうしていただけなのかもしれません。
ところが今は、我慢する必要が薄れてきて当たり前の時代?
欲しいものはすぐに手に入る、こだわらなければ!
24時間あいているコンビニもあります。
24時間の店ができた時には、私は、こういう店続くのだろうか?と
疑問に思ったことが思い出されます。
大学に通っていた頃です。もう40年以上になります。
要するに自然と我慢する必要がなくなってきているという事です。
つまり、世の中は、「我慢しないでどんどんほしいものを手に入れて下さい」と言っているのです。
そこで、我慢できない人、甘やかされたわがまま坊やのような大人が
たくさん出てきたのです。
”衝動で行動する”という事です。
挫折に弱く、なかなか立ち直れないのです。
ストレスに弱い人間が大量生産されているという事です。
しかし、なんでもかんでも欲望通りにやっていたら、大変なことになります。
ちょっと気にいらない人間がいたらすぐイジメるというような感覚です。
こんな時、多少、世の中が不景気になるのはいいことかもしれません。
俗にいう「バブル崩壊後」(人生の不都合期)の状態です。
つまり、バブル期というのは、人間的には最も人間らしくあった時期なのです。ところが、何にしても借金してまでもお金を使うという行為が優先になったからです。こういうお金の面がなければ、人間的にはベストのはずだったのです。
儲からなければ我慢の必要が出てきます。
「欲しいものではなく、本当に必要なもの、事にお金を使いましょう」
「実現したいことがあれば辛抱強く準備していきましょう」
「多少の不都合はなんとか工夫してやりくりしましょう」
人生の不都合期は、忍耐力を養い、自分をコントロールすることを覚える期間でもあります。
甘やかしてダメになってしまわないように、父親に厳しく躾けられていると思えばいいのです。
その期間(バブル崩壊後)が終われば、幸せもレベルアップして、もっと可能性がひろがって行くに違いないのです。
どうでしょう今は???
(あれもこれも手にいれると、自分の居場所が作れないのです!)
物がない時代は、「物があったらどんなに幸せだろう」と思いました。
我慢しなければならないことが多ければ、
「何でも思うように実現できたら、どんなにうれしいだろう」と思います。
しかし、本当に物のあふれる時代になってみると、実はそれほどバラ色でも
ないと感じている人がたくさんいると思います。
何でも手にいれられるとなると、「脈絡」がなくなってしまうのです。
例えば、部屋のインテリアです。
アール・デコ調の椅子を見て、「ステキ」と思います。
オモチャのような原色のテーブルを見て、「これがいいわ」と買います。
エキゾチックなアジアの敷物を見て、つい欲しくなってしまいます。
こんなふうに、なんでもかんでも手にいれていたら、統一感がなくて
ごちゃごちゃな部屋になってしまいます。
そんな部屋で落ち着いてくつろげるでしょうか?
なんでも買える余裕がなければ、本当に好きなものを吟味して選びます、
人間というものは!
一個一個選ぶのに時間をかけて考えれば、自分の好みがはっきりしてきます。
「こういうものが好きで、こういうものが嫌い」とわかってきます。
選ぶ物にもより統一感が出てきます。
こうして自分の趣味でまとめた部屋は、自分の場所であると感じられて
安らぐことができます。
何でも手に入らないこそ、自分であれこれ工夫する想像力が発達します。
あなたは、こんな脈絡のない部屋の状態になっていないでしょうか?
「あれもある、こんな職業もいい、こんな生き方もしてみたい」という
あれもこれもでは、自分にとって本当にくつろげる居場所が作れないはずです。なんでも選べて自由なようでいて、とても不安になってしまうのが人間なのです。
もしもあなたが、不自由な状態に陥っているならば、今こそ、もう一度
自分の好みや生き方について考え直す時です。
そして、あなたのオリジナルな想像力が楽しめるときでもあるのです。
不自由な状態を悲しまず、頭と体を使って工夫してみましょう!
それができれば、自分なりの安定した居場所を形作っていけると思うのです。
そのためには、一度くらいとことん落ち込んで何がなんだかわからなくなってみるのもいいと思うのです。
ルソーの「エミール」の中の言葉に
「子供を不幸にする一番の確実な方法は、いつでも、何でも手に入れられる
ようにしてやること」
いつでも、なんでも手に入らない、あなたの方が確実に幸せになれると
断言します。それが人間というものなのです、矛盾していますが.....!
(立ち止まった自分を信じて、「なりたい大人」になりましょう!)
最近の若い人たちは、以前に比べて子供っぽくなっています。
大人になりたがらないのです。
なぜ、いつまでも子供でいたがるのかといえば、その方がメリットがあるからだろうと思うのです。
昔は、「子供がやってはいけない」ことがたくさんありました。
子供には、禁止されていること、子どもは、足を踏み入れてはいけない場所
大人になったら許されること。
子供は、それを見て、「大人はいいなあ、早く大人になりたい」と
思ったものです。
子供は、不自由で大人になったら自分の責任で自由にいろいろな事ができるからです。子供は軽く扱われて、大人の方が格好良く見えたのです。
ところが、今はどうかと言うと、子どもは、いろいろな事を自由にしています。お酒もタバコもコソコソ隠れもせずに、堂々とやっているケースもあるようです。あれでは、「二十歳になった。ああ、これで晴れてタバコを喫える身になった」という感動もないと思うのです。
お金もたくさん持っている子が多いようです。
数千円のお小遣いをやりくりしていた頃と違って、高校生が何万円もするブランド物のバックを持っていることもあります。
我慢しなければならない退屈なこともありますが、それは大人になっても延々と続くものです。
「大人はしょぼくれていてカッコ悪くて、ちっとも楽しくなさそうだ。」
こんな絶望的なことはありません。
それなら、子どもでいたほうがまだしも自由です。
少なくとも責任逃れができます。
子供たちは、「大人はいいなあ!」と思えなくなってしまったようです。
そして小さい子供は、子どもらしくなくなり、小学生が異様にマセています。
まるで大人のような口の聞き方をします。
「大人」と「子供」のメリハリが失われてきたようです。
大人の方も「私たちのやり方は、間違っていたのではないか?」
「これでは方向が違うのではないか?」とうすうす感じています。
不安感、無気力、ストップ状態は、これ以上悪い方向へ進まないための歯止めなのかもしれません。
足踏み状態になっている人は、無理に今まで「よい」と思われていた方向に
進む必要はないという事です。
きっとその方向は、「よくない」から進めなくなってしまったのであり、
自然に足が止まったのです。
足を止めた自分の感覚に自信を持ちましょう。
子供にうらやましがられるカッコイイ大人になるために、
ちょっと考えてみるのもいいのではないでしょうか!
(心のひだを折りたためば、いろんな出来事が楽しめます!)
「心のひだ」という言葉があります。
「ひだ」というのは、細かく折りたたんだシワで、英語で言えば「プリーツ」です。
ひだがあると、見た目の面積より、布地は、ずっと広がります。
また、ひだが細かい程、その服を着た時、体にピタっとフィットします。
細いところは細いままに、太い所は、体に合わせて広がります。
どんな形にも柔軟に合わせられるのです。
心のひだが細かく折りたたまれている人は、見た目よりずっと許容量が大きいのです。他人に対する包容力もあります。
どんな出来事がやってきても、心のひだが拡がったり縮んだりして
柔軟に受け止める力を備えています。
悲しい時は悲しいなりに悲しみ、うれしい時はうれしいなりに喜びます。
心のひだが細かく豊かであればあるほど、さまざまな出来事を内面で受け止めていけます。
また、さまざまな出来事を経て、こころのひだは、細かく折りたたまれていきます。実際の出来事を深く体験することが、心のひだを作っていきます。
しかし、必ずしも実体験だけではありません。
小説を読んだり、映画を見たりすることも、心のひだを発達させます。
自分の人生だけでは、経験できないことはたくさんあります。
誰もがロミオとジュリエットのような恋をしたり、
波乱万丈の一生を送るわけではありません。
誰もが王様になったり、お姫様になったりするわけでもありません。
しかし、小説や映画の中では、いろんな立場の人生を想像で体験できます。
自分が実際に体験したことしか想像できないよりも心のひだがずっと広がります。「こういう人生もあり」と受け止める心の許容量が少し増えれば
何か起こった時のあわてぶりも少しは違ってくるはずです。
いいや、慌てずに済むはずです。
あなたが、今、悩んでいることと似たようなシチュエーションの小説を
読むのもいいでしょう。
同じような状況に立たされている主人公の人生を一緒に体験するうちに
何かが変わるかもしれないのです。
たとえ状況が変わらなくても、心のひだが増えて、今より少し気持ちが
楽になるはずです。心にもまたひとつ、シワが増えるからです。
昔は、ちっとも面白いと思わなかった小説に、年をとったら
共感できるようになることがあります。
悩んだ挙句には、そういう楽しみもあるという事です。
(「マイナス思考はいけない」というマイナス思考!)
ある人は、「プラス思考」が人生を幸せに変えると信じています。
何事も明るく前向きに、いい面をみて生きていこう。
悪い言葉やマイナスの言葉は、口に出してはいけない。
口にだすと、マイナスのパワーを引き寄せて不幸になるといいます。
大変すばらしい考え方ですが、周囲の人は、いっしょにいると気を使って
疲れてしまいます。というのも、何か悪いことや、後ろ向きの事を言ったり
マイナスの事をしゃべると、いちいち注意されるからです。
「昨日のニュース見ましたか?殺された〇〇さん」というと
たちまち、「殺すなんて言葉を使ってはいけませんよ。マイナスのことばかり
考えたり、話題にしていると、どんどん不幸を生みます、
もっと明るい話をしましょう!」
いつもこの調子なので、みんな「あれを言ってはいけない」
「これを話してはまずいかも」とびくびくして、言葉を選んでいます。
グチのひとつもこぼすと、「マイナス思考だ」としかられるので
みんなにこにこ、ポジティブ・シンキングです。
そして、ぐったりと疲れて帰っていくのです。
結婚式のスピーチで、「きれる」「離れる」などの忌み言葉を使ってはならないといいます。
もちろん、おめでたい席でわざわざイヤなことを言おうという人はいません。
しかし、うっかりひとつくらい忌み言葉が出てしまっても、のびのびと楽しい
スピーチを聞ければ、避難する人はいないはずです。
ましてや普段の会話で「マイナス思考」を忌み言葉のようにされたのでは
たまりません。ちっとも楽しめずマイナス時間になってしまいます。
プラス思考を勧めることこそ、マイナス思考を生み出す元凶になっているということです。
「マイナス思考をしてはいけない」という、その「してはいけない」という発想が、まさに「マイナス思考」になってしまうのです。
本当のプラス思考とは、プラスのときもあればマイナスの時があってもいいのです。プラス思考をしてもよいし、マイナス思考をしてもよい。
つまり、この「してもよい」というゆるやかな発想が、本来のプラス思考なのです。
うっかり忌み言葉を口にして取り返しがつくのがプラス思考というものです。「マイナス思考するべからず」のマイナス思考に縛られないように
プラスやマイナスにあまりこだわり過ぎないことです。
(ほめ上手の自分が、自分を作るのです!)
「今日は、忙しくて、お化粧もしないで、出てきちゃったわ」というと
「えっ、それなのにそんなにきれいなのかい」
「この服、スーパーで二千円だったのよ」というと
「君は、似合うものを探すのがうまいね。とても二千円には見えないよ」
ある女性のご主人は、とても誉め上手なのです。
「口がうまいんですよ!」と言いながらうれしそうなのです。
夫婦がうまくいく秘訣は、こんな簡単なことにあるのでは......!
ほめ上手な人は、いっしょにいて気持ちがいいのです。
誰だってけなされるより、ほめられる方がうれしいに決まっています。
お世辞とわかっていても、相手の好意を感じるから気分がいいのです。
気持ちがいいから、またその人に会いたくなるのです。
特に元気をなくしている時に、ほめ上手な人に合う事は励みになるのです。
ほめられるとやる気が出てくるのが人間です。
気分が沈んでいると行動するのもおっくうですが、
気分がうきうきしていれば、体も軽く動いてくれます。
ほめ上手な友人をたくさん持つといいし、
自分自身他人を上手にほめる人になりたいものです。
他人をほめるばかりではなく、自分で自分をほめることも上手になりたいものです。
「自分で自分をほめてあげたい」という言葉が、新鮮に響くのは、
自分で自分をほめることが苦手といえると思います。
「ほめる」のは他人で、自分は謙遜するのが当たり前と思っているからともいえると思います。
しかし、どういうわけか、ほめればやる気が出てくるのが人間なのです。
転んだ時には、自分で自分をほめて、立ち直らせてやりましょう。
「アメとムチ」。いい時にはほめて、悪い時には叱る。
アメばかりでは、甘やかすし、ムチばかりではやる気が出ません。
今日からさっそく、自分のほめ上手の練習をしてみましょう!
あなたは、あなたのどんなところがいいと思っているのでしょうか?
眠る前には、一日を振り返って「よくやった」と思うところをほめてみましょう!
朝起きたら、鏡に向かってほめる!
自分に誉めてもらったところで、うきうきと気分よく一日スタート!!!
(悩む役目の人もいます。ちゃんと役目を果たしましょう!)
世の中には、お巡りさんがいれば学校の先生もいます。
八百屋さんがいれば医者もいます。
みんな、それぞれの役割があって、その役割を果たしているからうまくいっています。
今日は、お巡りさんが学校にきて、算数を教えるという事はないし、
お巡りさんが病院で手術をすることはありません。
人間にもいろいろな人がいますが、みなそれぞれに役割があって、
その人の役割を果たしているのではないでしょうか!
たとえば、すぐにくよくよと悩む人は、「悩む役目の人」なのです。
街に、「おまわりさん」という役目があるのと同じで「お悩みさん」なのです。お悩みさんは、悩み役なのだから、毎日悩むのが仕事です。
あなたは、きっと悩むのが役目なのだから、「悩まずに生きよう」などと
あがいてもムダな事なのです。
「これが私の役目だ」と信じて、一生懸命に悩んで見て下さい。
毎日、悩むことに関して少しずつでも精進して、りっぱにお役目を果たせるように向上してみてはどうでしょうか⁈
お悩みさんは、周りの人が、あまり悩んでいない場合は、
特にたくさん悩みますが、それもしかたがないことなのです。
周りの人が掃除しない人ばかりだったら、誰かが掃除を一手に引き受けるはめになります。それと同じで、一人で悩み役の重荷を背負ってしまうわけです。
ちゃんと所定の「悩む」分量をこなす人が、必ずいるのです。
「そんなに悩んでばかりいてどうするの、もっと明るく生きなさい」
という人がいるかもしれません。
しかし、そんなに誰しも明るくなってしまったら、
「悩むのは、誰がやるのか?」
「悩むは、どこへ行ってしまうのか?」
「悩むという単語があるからには、悩みはある」あるのだから、
悩んでもいいのではないでしょうか!おおいに悩みましょう!
しかし、お巡りさんも、一日中お巡りさんをやっているいわけではありません。家に帰れば、仕事から解放されます。
お悩みさんも、一日中やっている必要はないはずです。
友人や家族とおしゃべりをして笑ったり、テレビを見たり
悩む以外のことをやっている時間もあるはずです。
お悩みさん役の時は、全力を尽くして悩み、その後はすっきり他の役を
するのがいいのではないでしょうか....!
(柳に風の如く、ストレスを受け流しましょう!)
ある女性は、新入社員の頃、上司にひどく説教された思い出があります。
その頃は、仕事が楽しかった。覚えることがたくさんあって
決して楽ではなかったが、目の前の目標につぎつぎと取り組むことに
充実感がありました。
朝も早めに出社していたし、同期入社の同僚たちと、仕事をスムーズに
するアイデアを出し合い工夫をしました。
ところが、ある日、課長と飲みに行ったときえんえんと説教をされました。
「仕事は、遊びではない。そんなに上っ調子で楽しくやっていたのでは困る。
俺たちの頃は、血涙を流して仕事をしたものだ」と。
この女性は、自分の仕事ぶりのどこをどう直せばよいのか、
さっぱりわからなかったのです。
特にミスをしたことをしかられたわけでもなく、仕事が進んでいないわけでもない。新人なのだから、まだまだ完ぺきではないが、上司の説教は、そうした具体的な事ではない。ただ「仕事を楽しそうにするな」という事なのである。
これは、セクハラです。
つまり、この上司は、具体的な仕事云々を考えて、いわなくてはいけないことを言うのではなく、ただ単に自分の感情・感覚をいっているだけ
それを上司という立場を利用している、セクハラです!
聞く必要はないことを、職場だからと言って考えてしまうところに
問題が生じてしまうのです。職場内で公にする必要があります。
何も聞く必要のないことです。人権侵害です。
”心を侵食されてしまうキッカケの事柄なのです”
上記のことをしないならば、
上司の前ではつまらなさそうにして、カゲでこっそり楽しく仕事をするという
テクニック(面従腹背)を身に着けるべきです。
考えたって答えの出ることではないからですし、時間ももったいないからです。
気まぐれでいっているのと同じなのですから。
こういうことを職場以外では、自然と無視してしまうことがらのはずだからです。どんな方法がいいのか?その見分けをつけることも大切な事なのです。
今、問題になっていることはこういうことのはずです。
世代間の感覚のズレ!
年取っている人間が修正をしないことに問題が?
人間性というか?具体的には、包容力というか?
(誰にでも優しくしなくてよい、困っている人を助けなくてもよいのです!)
自分にできないことをしている人をみると、人間は、「すごい」と思います。
百メートルを十秒で走る人をみると「すばらしい」と感動します。
だから、子供のころ、親や先生に「誰にでも優しくしましょう」
「困っている人は、助けてあげましょう」などと言われると、これは弱い。
子供は、誰にでも優しくなんかできないことはわかっています。
自分にできないことは「すごい」のだから、これはすばらしいことだと
思ってしまうのです。
そのうちどんどん大人になって行くのですが、世の中には、困った人が
たくさんいて、とても助けきれたものではないし
イヤなやつや嫌いなやつもいて、とてもやさしくしきれたものではありません。それでいいのです。
しかし、困ったことに、「困った人を助けられない」といって困ってしまう人や「誰にでもやさしくできない」といって困ってしまう人がいます。
そんなことで困らなくてもいいのです。
これ以上「困った人」が増えても困るばかりです。
あなたが困らなければ、世の中から「困っている人」が一人減ります。
あなた以外の困った人の事はほっておいて、せめてあなただけでも困らないで
欲しいものです。
「誰にでもやさしく」とか「困った人を助けよう」というのは、
「百メートルは十秒で走りましょう」と教えているようなものです。
それができればすばらしい。
全世界には、そんな人が数人いるかもしれません。
しかし、たいていの人には、無理な事なのです。
百メートルを十秒で走れなくても悩む必要がないように、
誰にでも、やさしくできないからと言って
「私は、相当ダメな人間なのではないか、やさしくないのではないか?」
などと思わないことが肝要です。
私たちは、普通の事を普通にきちんとすることを考えればいいのです。
毎日、なんとかして、百メートルを十秒で走ろうと頑張って
疲れ切って会社に行かない人間は、困りものと言えるのではないでしょうか!
誰にでもやさしくしようと頑張って疲れ切って毎日の生活ができなくなってしまう人間は、困りものと言えるのではないでしょうか?
あなたは、そんな筋違いの努力をしていないでしょうか?
あなたの人生の目標は?
「努力」というのは、すばらしいお題目ですが、
普通の事をきちんとするのを怠ける、言い訳にされては?
「私は、百メートルを十秒で走るために努力をしている?
ものすごい努力家なのだ?」と言われても、
努力をする目標が、目標になっていないところに
困った人といえると思います。
普通の事をきちんとして下さい!!
これしか返答がないと思っている次第です。
ナンチャッテ!!!💜