「そんなに自分で自分を叱らないでくださいPARTⅡ」🎾🚴‍♀️⚔️🏓🤿🏸⛳😎😍

記事
コラム
💎失敗や挫折は、成長するチャンスだとは思っています。
しかし、どうもこの時に必ず起こるモヤモヤ感情は、取り除いた方がいいと思うのですね!
そのための公式(基本事項)を記載したつもりです。
読むだけで、あるいは公式を基本にして、各人のやり方を編み出して
ほしいと思っている次第です。


(昆虫は適応します。人間も適応します!)
動物は環境に適応しようとします。人間も同じです。
落ち込んだり、元気をなくしたりするのは、適応しようとする奮闘努力の結果です。
職場に、とうてい理解しがたい宇宙人のような同僚がいるとします。
さて、あなたはどうしますか?
最初は、話をして、通じ合えるようになろうと努力するでしょうが
考え方がまったく違うので、こちらには相手のいう事がさっぱりわからないし
向こうにもこちらの言っていることが正確には伝わりません。

今度は、腹立たしくなります。
怒って、なんとか相手に自分のいう事を通じさせよう、いう事を聞かせようとする人もいるでしょう。
しかし、怒っても泣いてもどうにもならないことがわかってきます。
こうなると、理解しあえる人と一緒に、その人のワケのわからなさをこぼし合い、グチを言い合うようになります。
自分のいう事が通じる相手と話をするとホッとします、人間というものは!
ちゃんと話の通じる相手がいることを確認したいわけです。
こうした涙ぐましい悪戦苦闘をしながら、なんとか周囲に適応しているのが
私たち人間なのです。
けれども、ワケのわからない事態は、次々とやってきます。
そして、適応するための奮闘は続くのです。
あなただけではありません。他の人もみな、適応しようとしているのです。
あなたにとって理解に苦しむ人も、適応の結果そうなっているのです。
自然界の生物の事を考えてみましょう。
たとえば、葉っぱの形をした昆虫がいます。
擬態といって、草や花などにそっくりの形をした昆虫です。
その方が獲物を捕まえやすかったり、捕食者の目をごまかすために
そういう形になってきたのだと言われています。
もしもあなたが、どこかでそんな昆虫にばったり出くわしたら、
「なぜそんな形をしているのだ!」と叫びたくなるかもしれません。
見たこともないし、ワケがわからないのですから。
しかし、そんなことを言われても、昆虫の方も困るはずです。
そういう形になって適応しているのですから。
たとえあなたに理解できなくても、そうなっているのです。
人間もいろいろです。
「なぜそうなんだ!」と叫んでみても、そうなってしまったのですから。
その人には、その人なりに、これまでの人生に適応してきた結果が
その姿なのですから。
あなたの方も、諦めて自分流で奮闘し続けるしかないのです。
これ自体が人間の人生なのです。


(自分をダメ人間と決めつける権利は誰にもありません。まして自分にもです!)
落ち込みやすい人の特徴に「マイナス拡大思考」があります。
たとえば、仕事でミスをすると、
「ああ、私は、無能なのだ、何もできないのだ」と思ってしまいます。
好きな人にふられてしまうと
「私なんか誰にも愛されないのだ、一生一人で生きるしかないのだ」と
思ってしまいます。
友達を怒らせてしまった。すると
「私は人間関係が下手な人間なのだ、本当の友人などできないのだ」と思い込んでしまいます。
しかし、まあ、ちょっと待ってほしいのです。
仕事でミスをした。
それは、確かに落ち込む原因になるでしょう。
落ち込まない人の方が問題なのです。
あなたが元気をなくすことが、正しいのです。
しかし、なにも「無能だ」という事にはなりません。
そんなことを言っていたら世の中の人間は、みな無能だという事になってしまいます。失敗しない人間なんていないのですから。
正しくは、「今日の仕事を失敗した。」と言うだけで、今までも
そしてこれからも失敗し続けるわけではありません。
なぜそこまで拡大しなければならないのでしょうか?
好きな人にふられた。それは確かに悲しい。おおいに泣いてほしい。
しかし、世界でたくさんいる人間の中のたった一人に愛されなかっただけの事です。なぜ「私なんか誰にも愛されない」という結論になるのでしょう。
それは、拡大解釈のし過ぎというものでしょう。
友人を怒らせた。それは、確かにまずかったかもしれません。
あなたの言動に悪い所があったなら、謝るなり落ち込むなりすればいいはずです。しかし、なぜそれくらいのことで「私は人間関係が下手で友人など作れない」ということになるのでしょうか?
ちょっと大げさではないでしょうか!
私は、こういう人に「きょうのできごと」を正確に見つめることを
お勧めします。日記を書くように書き出してみるといいと思うのです。
どんな気持ちがしたのか、感情を一緒に書いてもいいと思うのです。
しかし、そこで自分の判断をいっさい入れないことです。
判断というのは、「わたしはこんな人間だ」「こういうダメな人間だ」というものです。
「私は、きょう、好きな人にふられた」「とても悲しい」これだけでいいのです。
「私なんか愛されるに値しない人間なのだ」これはダメです。
なぜ、あなたがそこまで拡大して決めつけるのでしょう。
いったいあなたは何様なのでしょう。
一人の人間をそこまでダメ人間と決めつける権利は、当然他人には
ありませんが、あなたにもないのです。



(子供ができたら、自由になれました!)
子育てを体験した人の多くは、子育ては、自分自身のリフレッシュに
繋がるといいます。
ある男性は、「子供はいらない」主義でした。
親になるという責任は負いたくない自分に、親になれるような力量があるとも
思えない。自分自身がまだまだ子供でいたい。
子供など作ったら、もうふらふらしていられない。
自分の「子供時代」は終わりで、永遠に後戻りのきかない「大人」「親」にならなければいけないような気がする。
その決定を先延ばしにしたかった。
ところが、仕事で行き詰まり、悩んでいた時に、付き合っていた女性に
子供ができて結局結婚して親になった。
すると「親になる」ということが、今まで考えていたのとは、
全然違う事がわかってきたというのです。
子育てをしていると、自分も一緒になって、子どもと遊ぶ機会が増えます。
ふらふらと中途半端に「子供」をやっていた今までよりずっと
本当の子供らしさ、子どもの気持ちがよみがえってきます。
子供と付き合う事で、子どもの気持ちと一体になれます。
自分自身が新しく生まれ変わった気分になれるのです。
子供を躾けるのには、自分の考えも見直さなければなりません。
子供に尊敬される親になろうと思えば、身が引き締まります。
子供を育てることで、教えられることが多いことを実感します。
また、子どもをダシににして、遊びに行けるというメリットもあります。
ある程度の年齢になると、大人同士で遊園地に遊びに行くのは気恥ずかしい。
しかし、子どもと一緒ならディズニーランドでもどこでも堂々といけるという事です。縁日で綿あめを買って食べたのも数年ぶり、生活が生き生きしてきた
と嬉しそうだ。しかし、お金を稼ぐことに血走ってはなりません。
この行為は、子どもの為にはならないことです。矛盾していますが!
子供がいるとできないことはたくさんありますが
子供がいないとできないこともたくさんあります。
親になる責任をもつという事は、決して不自由になったり、自分を狭めることではありません。
むしろ新たな可能性を拡げ、若返ることに繋がるのです。
こんな立ち直り方もあるのです。
今までの自分の立場を捨てられない人は、新しい立場を得て、生まれ変わることもできません。
なかなか立ち直れない人は、今の場所で立ち直ろうと頑張るのではなく
全然別の場所で立ち上がってみるのもいいのではないでしょうか!
すると、今まで悩んでいたことまで、いつのまにか解消されていくことも
あるのです。
それと、インターネット時代の恩恵は?
何らないと思っています。
なぜなら、子育てにもプラスになる在宅仕事が一般的にはならないという
想いになっているからです。
つまり、おおもとの稼ぐという行為が、何も変わっていないからです。



(人が落ち込んでいる時に必要なのは、温かい言葉です!)
他人の性格を直そうとする人は、だいたいその相手にイヤがられます。
あなただって、あなたの言う事を「直そう」という人は、疎ましいと思うのです。「直そう」というからには、今の自分は、「よくない」「ダメだ」と言われているわけです。
自分の事を「ダメだ」と思っている人を好きになれないのは当たり前のことです。あなたにも覚えがないでしょうか?
好きな人のすることなら気にならないのに、同じ行動をしても
きらいな人だといちいち気に触るのです。
つまり、相手の「ここが気に入らない」「あそこは直した方がいい」と
気になるのは、その人のことが嫌いだからなのです。
自分に好感を持ってくれる人には、こちらも好感を持ちます。
自分を嫌いな人は、あまり好きになれない。多くの人はそうでしょう。
自分を「直そう」とする人は、自分の事をあまり好きではないのだから
敬遠したくなるのが当たり前なのです。
さて、あなたは、落ち込んでいる人をみると、思わず
「あなたのこういうところを直したほうがいいわ」などと
アドバイスしていないでしょうか?
親切で言っているのかもしれませんが、これは
「あなたの事をあまり好きではない」といっているのと同じことなのです。
相手だって、そんな人のいう事を素直に聞けるはずがありません。
立ち直るために、その人の性格のどこかを直す必要があるという考えは、禁物です。
だいたい、「あなたの性格のここを直したらうまくいく」といわれて
「ああそうか」と自分の性格を簡単に直せる人がいるだろうか?
そんな人はいないはずです。
いないのだから、そんなことをいくらいってもムダなのです。
子供が転んだ時に、
「さあ、手をついて足を踏ん張って、腹筋に力を入れて体を起こしなさい。
そうすれば起き上がれます。」とアドバイスする人がいるでしょうか?
確かにその通りかもしれませんが、そんなことは子供だって知っています。
「アドバイスどおりにやってみたら起き上がれました。」といって
感謝する子供はいないでしょう。
あなたが他人を立ち直らせようと思ってしていることは、おおよそ
こんなことではないでしょうか?
立ち直り方など教えなくてもちゃんと本人が自分で立ち直ります。
それよりも、そばにいて温かい言葉をかけるのが一番なのです。


(性格を直すのではなく、現実を調整するのです!)
さて、「他人の性格を直そう」というのは、やめたほうがいいが、
それでは、相手のすることをなんでもかんでも「それでいい」と認めるのかというと、そうではありません。
夫婦の間でも友人同士の間でも、社内でも、「それでは困る」ということは
出てきます。
そういうときは、なるべく困らずにすむ方向を探り、「具体策」をとるのが
いいのです。
たとえば、夫が、帰りが遅くなる時になんの連絡もなく、
妻は、夕食の支度をどうしたらいいかわからない。
そこで、「帰りが遅くなりそうなときは、なるべくそういっておいてください」「遅くなる時は連絡をください」という。
あるいは、夫が「連絡できないときもあるので、七時までに連絡がなければ
自分の夕食はいらない」とあらかじめ言っておくのです。
こういう種類のことは、当人同士で付き合いやすいように考えて
お互いの要求をしておけばよいのです。
しかし、「どうしてあなたはそういうふうに思いやりがないの!
もうちょっと人の都合を考えるようにしてよ!」というのは良くありません。
これが始まると「おまえこそ、もう少し会社の事情を考えろ!
女ってやつは、どうしてそうわがままなんだ!」ということになって
どっちもさっぱり変化しません。
性格非難・相手批判を始めてしまうと、自分は悪くなく、相手が悪いことを
証明するために、意地になって電話しなかったり、意地になって腹をすかせて
待っていたりするものなのです。まったく無意味なのです。
相手の「思いやりのない性格」だの「わがままな性格」だのは、
ほうっておけばよいのです。
相手を「思いやり深い性格」に直そうというのは、
あなたのする仕事ではありません。
それより、「帰りが遅くなる時には連絡をする」とか
「八時を超えたら夕食は、先に食べていてもらう」という
具体的な事を実行する方が得策です。
これができれば、相手の思いやりのない性格など、変わらなくても
日常生活においてはどうという事はありません。
具体的に困ることを、ひとつずつ調整をつけていけばいいだけの話です。
自分の要求を通すより、お互いが困らない調整ポイントを見つけていくことです。
国と国との付き合いを見ればわかります。
「具体的にどうするか」話し合って決めていくのが外交です。
相手の国の性格を「直せ」「だからお前の国は困る」と言っていても
話は、始まりません。
それどころか、ついには戦争に直結してしまうこともありうるのです。



(他人の意見に傷つかないようにすること!)
他人から何かを言われて、傷つく人は多いでしょう。
それは、私たちが、周りの人の意見を過剰に尊重してしまうからです。
精神的に健康な人は、誰かの意見によって自分の価値が影響されるようには
なりません。
例えば、あなたの意見がくだらないと誰かが言ったとします。
けれど、それはその人の意見であって、真実かどうかとは関係ないのです。
その言葉に反応する自分がいるということは、自分自身がそのことを
信じている証拠に過ぎません。
たとえば、痩せている人に対して「おまえはデブだ」といっても
何も感じないでしょう。
「誰か他の人の事をいっているのね」と、
自分に向けてその言葉が言われているとは思わないはずです。
しかし、痩せすぎていることを気にしていると、「あなたは痩せすぎだ」と
言われたとき、とても傷つきます。
それは、自分の中で「痩せすぎは、よくない」という否定的な価値観、痛みを
持っているためです。
もし、誰かに何か言われたとしても、気にならなければ何ともありません。
「いろいろあるけど、全部含めて自分だよね!」と思えると
心が平安になります。
自分の在り方にOKを出したら、いつもいい気分のはずです。
他人の意見はさらりと受け止めて、不必要に自分を傷つけないようにしましょう。


(今あるものは今使いましょう、将来のことも今始めましょう!)
ある女性は、二年前に結婚退職して子供を産みました。
今は、赤ん坊の世話に明け暮れる毎日です。
ある時、衣替えで冬物の服を押し入れにしまっている時に、
その年まったく袖を通さなかった服が何枚もあることに気づきました。
十年以上も会社勤めをしていたので、
会社に着ていくスーツやブラウスはたくさんあるのです。
グレーのスーツ数着で済む男性と違って、女性の着るものには、流行もあります。毎日同じものも着ていけません。
そうやってOL時代にたまった服が、今はほとんど必要がなくなりました。
家では、スーツはきません。
きれいなブラウスも、赤ん坊が抱きついてくるので着ていられません。
そんな必要のなくなった服を見ているうちに、あることに気づいたのです。
気に入っている服ほどあまり着なかったという事に!
とても気に入って買った服は、もったいなくて、特別の時やデート用にとっておいたのです。
ところが今はもうまったく着るチャンスがなくなってしまったのです。
「大事にとっておいてもしょうがない、好きな服ほど、着られるうちにもっと着ておけばよかった」と後悔したそうです。
大事にとっておいたものがいらなくなってしまう。
結局使わずに終わってしまう。こんな体験を持つ人は、多くいるのではないでしょうか。
好みも変わるし、生活環境も変わる。
その時欲しくて買ったものは、その時どんどん活用した方がいい。
さて、あなたも「いつかこれを活用しよう」と
「その時のため」に温存していることはないでしょうか?
しかし、今、思いついたことは、今から始めないと役に立ちません。
いつまでも心に温めているだけでは、結局持ち腐れで、役に立たずじまいになります。気に入ったアイデアは、どんどん使う方がいいのです。
温存タイプの人は、いつも人生のタイミングがズレがちです。
必要な時に必要なものを使い惜しみをして、
必要でない時に、一生懸命にその活用法を考えたりします。
つまり、無駄が多いといえると思います。

反対に言えば、今のあなたに必要なものは、今のあなたが持っているはずです。今のあなたを十分に活用すれば、たいていの事は乗りきれるはずです。
大事にとっておいて、使っていない能力はないでしょうか?
「いつか暇になったら、ゆっくり絵を習おう」などといっていると
いつまでたっても始まりません。
今、やりたいことは、今始めましょう。
今、やらないことは、将来もできない可能性大なのですから....!


(ファッションは自己満足、若返って元気になりましょう!)
ある人は、少しくたびれてきたが、まだ捨ててしまうにはもったいないという服を家できます。
流行遅れになってしまったものも、家で活用する。
古いシャツなどをパジャマがわりにします。
これはちょっと考えると、なかなか合理的です。
ところが、ある日、はたと気づいたのです。
自分は、家の中でいつもお古の汚い服ばかり着ている。
そのせいか、家にいると、とてもだらけた気分になるというのです。
外に出かける時は、人に見られることを意識します。
恥ずかしくないような身なりをして、その時々の流行でおしゃれをして、
きちんとお化粧もします。
こうして身支度を整えているうちに、気持ちも背筋もピッと伸びて
生き生きしてきます。
ところが、家の中で着ているのは、「どうでもいい服なのです。」
どうでもいい服を着ると、気分までどうでもよくなるのです。
家の中ですることは、すべてどうでもいい感じになってくるというのです。
これは、問題。私は、女性がいつまでも美しくあるためには、
おしゃれ心が必要だと思います。
男性だってそう。
おしゃれをするとうきうきして気分が若々しくなる。
生活にハリが出てきます。
家の中でまで、常に気をはって緊張しているのは困ったものですが
どうでもいいレベルにまでダラケきってしまうのは良くありません。
やはり、家の中では家の中でなりのおしゃれをして、家の中なりに
美しく、身支度を整えたいものです。
ある女性は、娘さんが「もういらない」と捨てようとしていた服を
「もったいない」と自分がもらって着てみたという。
すると、娘さんに「けっこう似合う」とほめられ
急に若返った気がしたのです。
それ以来、その服がお気に入りだそうです。
服装は、寒さ、暑さの調整ばかりでもないし、人に見せるためばかりでも
ありません。
自分の気持ちを整える効果もあります。
毎日を気分よくすごせるおしゃれをするよう心がけたいものです。
心の「はり」のためにも「ベスト・ドレッサー」を目指してほしいものです。


(抵抗するほど落ち込みも激しいものです。どんどん前へ進みましょう!)
年をとることに抵抗する人より、その年なりの現実に適応する人の方が楽です。水は、上から下に流れていくのが自然です。
さかのぼらせようと奮闘してよけいなエネルギーを使えば、疲れるに決まっています。
だいたい、落ち込みやすい人は、いろいろな事に抵抗するものです。
自然に年をとることに逆らったり、世の中の流れに逆らったり、
会社の上司に逆らったり、抵抗すれば摩擦が激しくなり、それだけエネルギーを使います。その分、元気が削がれていきます。
もちろん、逆らわなければならないこともあります。
悪い方向へ流れようとしているときに方向転換するのは大切な事です。
人生にかじ取りは、必要です。
しかし、「年をとる」などという種類のことは、元へ戻すことは不可能です。
右か左かを選ぶのはよいが、前へ進むのに抵抗して、後戻りしようとするのは
ムダなエネルギーです。
水が上から下へ流れるのを変えようとしたり、
ボールが坂を転がり落ちるのを上へ向かって投げ上げる。
そんな努力をするより、逆らわない方が人生は滞りなく流れます。
余ったエネルギーでいろいろな事が楽しめます。
今落ち込んだり、無気力になっている人は、このようなムダな後戻り
に力を使い過ぎているように思います。
何かの問題があって、それを「解決したい」と思う人は、だいたい
「問題のなかった過去に戻したい」と思うものです。
以前が幸せで、今が不幸なら、「幸せだった昔にもどりたい」と。
これがなかなか立ち直れない原因なのです。
幸せだった過去を取り戻すことは、川を下から上へ逆流させるような
ものです。無理だし不可能だし、疲れます。
それより自然に前に向かって流れていきましょう!
すると、また、進行方向に幸せな時がやってきます。
過去に幸せな時があったように、未来にもちゃんと幸せな時があるのです。
ただし、それは以前と同じような幸せではありません。
あなたも周囲も環境も変わっています。
「今のあなたには、別の幸せが想像できないので、すでに知っている過去の
幸せを再現しようとこだわっています。
”さっさと進んだ方”が、早く幸せの場所にたどり着けます。」
「特別頑張って前へ進む必要はありません。
ただ、頑張って後戻りしようとしたり、「一歩も動かないぞ」と
頑張って座り込むのをやめるだけでうまくいくのです。」


(化粧で脳を活性化、女性ならではのリフレッシュ!)
女性は、化粧をすると気分が変わるらしい。
落ち込んでいる時でも、朝、「さあ、出かけよう」と化粧をしていると
気分がきりっとしてくるといいます。
また、認知症になったおばあちゃんたちに、毎日化粧をしてあげると
ボケが改善してくるそうです。
「お化粧をする」ということは、他人の目を意識することです。
誰だって、他人の目には、美しく、かっこうよく映りたいものです。
目の下にクマを作ってどんよりしている自分より、美しくはつらつとした自分を見せたいものです。
化粧をすることで、気分がしゃんとします。
化粧というのは、そんな力を持っています。
脳まで回復してくるらしいのだから、すごい力だと思っています。
女性が美しくしていれば、男性の気分も変わります。
年をとってくると、若いころに比べて、肌の艶や顔色などは、落ちてきます。
これも、自然の摂理です。
しかし、「もう年なのだし、もともとたいした顔でもないのだから、
そんなに飾ってみてもしかたがない」というなげやりな態度になると
顔も「どうでもいい」感じにだらけてきます。
落ち込んだ時、化粧品売り場に行って、化粧をしてもらうのもいいと思います。床屋でシャンプーしてもらうのは、気持ちいいですが
人に化粧をしてもらうのも気持ちがいいものでは!
エステティックが流行るのもちょっとした贅沢を味わえるからでしょう!
化粧品の種類は、とにかく多いです。
ですから、男に見せるためだけのものとは思えないのです。
何かもっと別の魔力があるに違いないと思えるのです。
その魔力をおおいに活用してほしいのです。
化粧は、ある意味では、年をとってからの楽しみともいえると思うのです。
若い肌に、あれこれぬりたくるのは、逆にもったいないと思います。
薄い色の口紅一本で十分だと思うのですが....!
しかし、年をとれば、それなりの美しさをみせる技術がいると思います。
化粧の腕の見せ所と思えば、また新たに、腕を磨く楽しみもわいてくるのでは
ないでしょうか!


(心の年末年始は、カレンダーに関係なくやってくるものです)
年が暮れると、みんなせわしそうに新しい年の準備を始めます。
年末は、大掃除です。
一年間使った台所の油汚れや、網戸の汚れ、
普段は掃除しないような細かいところまで掃除をします。
古いタオルを捨てて新しいものに取り換えたり、いらないものを整理します。
大掃除が終わった家の中は、ピカッと明るくなります。
普段から、きれいに掃除をしていれば、一見どこが変わったのかわかりません。それでも、薄いほこりや汚れが取り去られると、なんとなくさっぱりと
きれいになります。そして、気分一新、新年を迎えられます。
暦上の新年は、誰にも同じ時にやってきます。
しかし、人生の節目、落ち込みや立ち直りの時期は、誰にも同じ時に
やってくるとは限りません。
悩みを抱えると、必ず部屋の掃除をしたくなるという女性がいます。
悩みが大きい程、掃除の規模も大きくなります。
部屋の掃除だけで気分が切り替わらない時は、風呂からトイレから
大々的に掃除をします。
隅々のカビまできれいにします。
ひたすら掃除をしていると、その時は何も考えずに済みます。
頭にあるのは、目の前の汚れの事だけなのです。
こうして、身の回りをきれいに磨いているうちに、気分が立ち直ってくる
のだそうです。
考えこんでいる人は、どうしてもじっと座ってあれこれ悩みがちだが
こんな時は体を動かすのが一番です。
掃除も本格的にやれば、筋肉痛になるほどの力を使うのです。
人間は、環境に気持ちを左右されるものです。
外側の出来事、心の内側の出来事は、いつも影響し合っています。
今、あなたが落ち込んでいるならば、それは、切り替えの時です。
今までの雑多な事柄を心の中で整理をすることです。
何か新しいことが始まろうとしているからです。
そういう節目は、誰にもやってきます。突然来ることもあるのです。
暦上の新年のように、いつ来るのか予想はできません。
しかし、心は年末。心の中で、大掃除と新年の準備が行われているので
思う以上に疲れます。
あなたにとっての年末年始がやってきてしまったのなら
じたばたせずにひたすら掃除でもしてみませんか!
一人で年末年始を遂行するのは、たいへんな事です。
周囲の動きと合わないので理解されにくいです。
しかし、「私は今、心の新年の準備をしているのです」と自分がわかっていれば、きっと、ピカッと明るい新年を迎えられること間違いなしです!


(自分の色がわかれば、環境も選べます!)
ここに、捕食者から、身を隠すために、周りの環境と似たような色や形に
なった生物がいるとしましょう。
しかし、環境が変われば、せっかくそういう姿になったことも役には立ちません。
人も生まれ育った環境によって、かなりの部分が形作られます。
生まれ育った環境が違い過ぎるのは、結婚生活がうまくいかない大きな
原因のひとつだと言われています。。
正月の雑煮の作り方が全然違って、ケンカになる夫婦もいます。
今の時代は、どうでしょう?
小さいころから食べなれている味を「おいしい」と思う感覚は、
なかなか変わらないのでしょう!
森で生まれたら、一生、森で暮らしていければ問題はありません。
しかし、年代に応じて、環境も変われば、自分にとって一番大切な
人間関係も変わっていくものです。
その重要さに応じて、自分を適応させていけるほうが暮らしやすいはずです。
子供時代は、両親との付き合いが大きな比重を占めていました。
しかし、結婚して、配偶者を得たら、いつまでも両親や生まれ育った家庭環境
だけを大事にしていては、うまくいかないはずです。
配偶者との付き合いの方が大きな比重を占めるようになるからです。
環境はかわっているのに、いつまでも以前の適応形式のまま生きていては、
あちこちほころびが出てきます。
森の中では、目立たなかった色が、突然目立つようなものです。
周りも同じ色だった時には気づかなかったことに、気が付きます。
環境が変わると、自分がどんな色をしているのか、自覚させられます。
外国に旅行すると、日本の事がよく見えてくるのと同じ事です。
外国に転勤になり、うつ状態になってしまう人は多いと聞きます。
新しい環境に適応するのは、なかなか一筋縄ではいかないことなのです。
今までのやり方でうまくいかなかったからと言って、あなたが悪いわけではないのです。今までそれでうまくいっていたのだし、どれがいい、悪いの問題ではなく、ただ「いろいろ小手先が違うだけ」なのです。
あなたも今までとは様子が違ってきたと思ったら
まずは新しい環境を観察してみましょう!
そして、今までとはどこが違うのか比べてみましょう!
どちらにしろ、自分がどんな色をしているのか知らないと
どうしたら暮らしやすいのかもわからないはずです。




サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す