理想と現実の神仏像

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学び
こんにちは。

いつもブログをご覧いただきありがとうございます。

さて早くも三月になりました。卒業の季節ですね。

私が勤めているお寺にも関連の学校法人がありまして、そこに通う生徒の中にはお寺で住み込みをして学校に通っている子もいます。

その子たちは卒業の際、お礼拝(おれいはい)といって、御本尊さまに卒業の報告とこれまでの感謝を述べる儀式があります。

またその時期がやってきたと思うと感慨深くなります。

大きく成長した一面も知ってますが、まだまだこれからが本当の修行です。

新しい門出を祝福はしますが、送り出す側からすると寂しいさはどうもぬぐえません。

長い人生です。これからお互いに色んな事があるでしょうが、また出会う日を楽しみにしてます。

さて、私たちが神様や仏様のことを想うとき、自分中心的に作り上げた理想像に、お願いやお祈りをしているとお話しましたよね。

そのことについて、もう少しいお話します。

では実際の神様や仏様はどのような存在なんでしょうか??

私達を幸せにしてくれる存在であるとか、私達を苦しみから救ってくれる存在であるとか。
おそらく大半の人はそういう奇跡的な存在として考えていると思うのです。

それは私もそうであってほしいと強く願っていますよ!そうでなければ神様や仏様に魅力なんて感じないとおもうのです。

日本の人気ロックバンドのバックナンバーはご存じでしょうか?

私はこのバックナンバーの楽曲に非常に人間味を感じるのです。
だから世代を問わず絶大な支持を得ているのでしょう。
バックナンバーの歌詞には、私達が思い描く神様仏様像が上手く表現されてると思うのです。

有名な所では、「高嶺の花子さん」の
会いたいんだ 今すぐその角か~ら 飛び出してきてくれな~い~か♪
偶然とアブラカタ~ブラな力で 僕~のも~のに なるわけないか♪

「ハッピーバースデー」には
何かの手違いで好きになってくれないかかな♪ とか

「恋」には
あの子の事はだけは神様仏様なんとかなーりませんか♪ これは直球的です!

恋愛をメインに書かれている歌詞ですが、私達の人生にとっても最初に思い通りにならないのは恋愛だと思うのです。(個人的意見です(;^_^A)

私も恋愛面においては何度、神様仏様に祈ったかわかりません!
皆さんもおそらく経験があるのではないですか?

こういうあり得ない事に対して、それでもそうなって欲しい人間の性があらわれてます。だから多くの人に共感できる人気曲なんだと思います。

これが理想の神様仏様像です。

私はこういった理想の神様仏様像を持つことは、素晴らしいことだと思います。
希望があります、夢があります。人は夢や希望があるから前を向いて進んでいくことができるのだと思うのです。

しかしその反面、そうではない現実的な神様仏様像にも目を向けて欲しいのです。

天地然自にフォーカスした『老子』という中国古典があります。

その一分には

「天地は仁ならず、万物を持って芻狗(すうく)と為す」とありますが、

この意味は天地(自然)の中に仁(人の想い、人間同士の思いやり)などない

つまり「真面目にがんばっていれば、神さまが助けてくれる」
とか 「辛い境遇も我慢して耐えていけば、いつかは報われるはずだ」

こういう人間本位な考えは天地自然の中には全く通用しないと言っているのです。続いて、万物(この世に存在するすべて)を芻狗(わら細工の犬)のように扱う。

このわら細工の犬は、儀式で使われるもので、生贄などという意味があるそうです。

そんな夢も希望もないシビアな言葉を聞くと、先ほどの理想の神仏像が音を立てて崩れていきそうですね(;^_^A

がっかりされる方もいらしゃるでしょうが、実はこれが一番理にかなっていると私は思うのです。おそらく現実の神仏像もこのようものではないでしょうか。

正確には『老子』の一文は天地ですから神仏とはいっていませんが、

前回説明しました諸法無我は因果の法則ですから天地と同義です。

この一文の真意は、天地は人間だけを特別扱いをしたりなんかしない。
動物も植物もみんな平等な視点だということなんです。

たとえば、私達人間の体内には60兆個とも37兆個ともいう多数の細胞が存在してます。
その細胞にはそれぞれの役割があり、もしかしたら私達と同じような社会が形成されているかもしれません。

最近漫画やアニメで話題の「はたらく細胞」をご存じの方は、まさにあの世界が自分の中にあると考えてください。

では、私達が日々生活していく中で、その細胞の安否を気にしたり、願いを一つ一つ聞いて生活しているでしょうか。

細胞の立場からすれば、私達は神様や仏様のような存在だと思うのです。

そんな存在の私達は、日々体内にいる細胞のことをどれだけ考えているでしょう。ほぼ皆無という方も多いのではないでしょうか。

そんな事を考えて生活していたら
怪我もできないし、食事もできない、タバコも吸えない‥拍手もできませんよ
何もできないですよね。

人間には人間の都合、細胞には細胞の都合、神仏にが神仏の都合。

それぞれ全く違う社会ですが、それぞれ影響し合っている

そういう風に考えてみてはどうですか。

その細胞から私達へ、私達から地球へ、地球から宇宙へとスライドしていると思えば、天地に人間の考え方など存在しないことに納得できませんか。

仁はあくまで人と人の間の存在する徳です。

理想はあくまでも私達の思考の域をでません。それはそれで心のモチベーションのためには必要な部分ではあります。

しかし太極から見た考え方を片隅にもっておく必要もあると思います。

理想と現実の擦り合わせではありませんが、私達の神様仏様像は理想に偏っている傾向にあります。

そうなってしまえば、自分の想い反した結果になった時、返って神仏を傷つけてしまう場合もあります。

ですから私は、神仏に仁などなし、私達を捨て犬のように扱う存在と心得た上で、それでも、何とかしてほしいことや、日々の安寧を願うことにしているのです。

本気で神様や仏様を求めていくならば、ここをベースにしておかないと色々迷ってしまいます。

今回も長くなりましたね(;^_^A

この辺で終わります。最後までご覧いただきありがとうございました。

次回は涅槃寂静についてお話しします♪

















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