「 や さ し く つ た え る (私は優しい人だと思われたい)」で、良いのなら。 その理論や理屈を言い出した人がいくらでもできたと思いますよ。
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コラム
だけど。
「誤解を招かない」ように。
己の主観や見栄を張りたい、名声が欲しい(多少はあったと思いますよ。きっかけとして。とか。人間ですからね)ではなく。
「内容が伝わる」ように。
“そこに”注力したんだと思いますよ。
だからこそ私たちが、いくらでも。
己に“都合の良いよう”に改変できるのです。
それを「今伝えた私」の“手柄を独り占め・主張”したいから。
もちろん。
何かを論文にするのなら再現性とか客観性とかいろいろあります。
※注 これに関してはルールがあります、詳しくは専門家に聞いてください(私が卒業論文を書いた時にいろいろ習いましたが、もううろ覚えです)。
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“彼ら”は、己の話はもっと後の時代になるのだ。と、感じ取っていたそうなのです。
「敬意」とは。