どうにも『手放す』『手放し』と言う言葉が嫌いです。
さっき勢いで書いた文面を眺めていたら、
これは、(私の気持ちに)だいぶ近づいてきたな。と思うものがありました。
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私は自分を殺すように大掃除をしたことがあります。
それはやりすぎました。
今になって思えば、部屋の中にある物はいくつかに区分できました。
・真っ先にいらないな。と思うもの
・人からいらないけど貰った物
・捨てるかちょっと迷う物=変わりは手に入る
・捨てると思うと迷う物=思い出とか
・これを捨てたらもう手に入らない物
まずは「真っ先にいらないと思う物」「人からいらないけど貰った物」を捨てればよかったのです。
そうすれば部屋の空間が空きます。
そこで、ちょっと悩むとか、かなり迷う物の仕分けに移ればよかったのです。
全部一緒にやっていろいろ捨てすぎました。←
捨てたい。の感情が先走ってしまったのです。
でも、どうしてか、「これは捨ててはならないのだ」と、帰ってくることがあります。
捨てようにもうまく行かないのです。
私の場合は、これだなと思うことが2回ありました。
注文品を取りに行った帰りに質屋に売ろうと荷物に入れて置いたら、引き取りの際の雑談でその話になって、それを見せたら、
「良い物をお持ちだから長く使ってください」と言われました。
……。
売らずに持って帰ってきました。
そして、燃えるゴミにしようとまとめていたゴミ袋の中から、お気に入りのぬいぐるみを取り出しました。
これは、やっぱり捨てません。
また、不燃ゴミの分別が面倒で不用品引き取り(お金は自分で払う)トラックを呼ぼうとして、そこに父の荷物も含めると話が広がって、ひとまず、すぐにトラックを呼ぶことはなくなりました。
ただ、その後父の荷物のまとめに時間がかかるうちに、結局、仕分けをしてゴミの分別に出しました。
その時必要な物はやっぱり回収しました。
父は父で、その物の専門業者に引き取りを依頼しました。
と、言うのはまぁ、静止が間に合った部分です。←
間に合わなかった(今にして思えばたぶん、違和感を無視した)物は捨てました。
あれはやりすぎましたね……。
「捨てようとしても返ってくる」のです。
上手くいかないと言うか。
本当に捨てるのか? 言わんばかりのことが。
それは「捨ててはいけない」と言われているような。ものです。
***
ツインレイを追いかけると決めてから、己が大きく方向転換をしたな。と感じていることがあります。
2つあります。
1つは、貴方と連絡が取れなくなったと気が付いて、アカウントを葬って。
私は、「私1人で何かを成す」と、HPを作った時です。
そこに、貴方に当てたラブレターを書きました。
【2022年1月の私の日々】
https://coconala.com/blogs/2997019/211874
・ラブレターを書きました(幻の一通目です記事にしてあります)
【貴方は予告をくれていました。だから私は「もしかして、今後、貴方と連絡が取れなくなるのかもしれない」と言う予感はあったのです。】
https://coconala.com/blogs/2997019/343563
で、私は、「私1人で何かを成す」を行動に移しました。
【「いい加減で俺を信用しろ」と、私は貴方に怒られた気がしたのです。私は、そこにある内容を受け入れる事にしました。】
https://coconala.com/blogs/2997019/343579
私はHPを作って、そこに朗読を上げる事にしました。
なんでこうなったかって、もう連絡は付かないからです。
まぁ、アカウントを葬ったのは自分です。←
だから、ネットに上げて置いたら万が一うっかり何かで見つけて見てくれないかな? なんて……。
貴方の住所も知らない私にできることは、告白する勇気もなかった私にできることは、それしか思いつかなかったのです。
で、ここでは私は、「私を捨てた」と思うほどに決断したことがありました。
それの詳細は省きます。←
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また、もう1つ。
こっちは、「プライドを捨てた」と言う感じです。
そのものもかなりの冒険でした。
詳しい話は。省きます。
いや。書いたんです。
これでもかと。
実は2024年8月6日から、とある基準でこれまでの記事を編集・修正・一部削除しています。
「プライドを捨てた」話を、整理しているのです。
だからもう、その話は省きます。
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なので私には、
・私を捨てた
・プライドを捨てた
と言う大きな出来事があります。
でも、「手放す」とは違うのです。
もう完全に捨てて来たのか。と言う感じです。
「己を捨てた」となると、あんまりよろしくはなかったよなぁ……。と、考えることもあるのです。
私を、置いて行きぼりにしてしまったような。
なんとなく悲しくもあるのです。
それが必要だった。
でも、それはもういらないと言わんばかりに突き放してしまったような。
その時、辛かった何かがそこにあります。
でも、私は今までと違う方向に進む自分を受け入れられたのかな。
だから、進んだのかな。と。
だからこそ、今、こうやって言えるのかな。と。
私は、あの日、それを決断したことを否定したい訳じゃないのです。
あの日の私が、それを選んだことを否定したくはないのです。
でも、考えるとちょっと、よろしくはなかったのかなぁ。とか、もうちょっと何か。と思うこともあります。
だけどどんなにあとで泣くと知った今でも、あの日に帰っても同じ決断をします。
私は、今の私を否定している訳ではないからです。
でもなぁ……。とか。
やっぱり色々は考えてしまいます。
それは、その時知らなかったことを、今、知っているからです。
未来から過去を見た時には、やっぱり、ちょっと失敗したかな。とか。
あの時これを知っていればもうちょっとできたのにな。とか。
思い返すと思う事はあるのです。
そう言う時、何かが起こります。←
私は、「今までと違う方向に進む自分を受け入れた」んだ。
と、改めて、それをそんな風に考えて感じられるような出来事が。
こうなるともう、後戻りはできません。←
ある意味で神様は意地悪でもあるのです。
貴方はずっと、私にそれでいいと教えてくれるのです。
私の決断を、支えてくれるのです。