「学校に行かなければならない」——
その言葉を、わたしはずっと信じてきました。
それが“正しいこと”で、“普通のこと”で、
“親として当然の願い”だと、疑いもしなかったんです。
でも、ある日ふと気づきました。
その“正しさ”が、誰かを苦しめているかもしれないことに。
「行かなくてもいい」と言ってみたけれど
登校しぶりが続いていた頃、
「行かなくてもいいよ」と言ってみたことがあります。
少しでも気持ちが楽になればと思って。
けれど、次女の反応は意外でした。
安心するかと思いきや、
その言葉を聞いて、逆に戸惑ったような顔をしたのです。
「行かなくてもいい」と言われても、
次女の中では“行きたい気持ち”と“行けない現実”がせめぎ合っていた。
どちらを選んでも、苦しかったんだと思います。
~「しなければ」は誰のため?~
わたしは改めて考えました。
どうして“行かなければならない”と思っていたのか。
たぶんそれは、
「みんな行っているから」「そうあるべきだから」
という“他人軸”の考え方。
でも、次女の姿を見ているうちに、
“行くこと”よりも“どう生きるか”のほうが大事だと気づいたんです。
“しなければ”で動く人生より、
“したい”で動く人生を生きてほしい。
~「〜しなければ」は、ちょっとずるい~
“しなければ”って、一見まじめに聞こえるけど、
実は少しずるい言葉でもあります。
だって、自分で選ぶ責任をどこかに預けてしまえるから。
「仕方ない」「みんなそうだから」で片づけられてしまう。
でも、本当の成長は、
“自分で選んで、結果を受け止めること”の中にある。
だからこそ、次女には
「行きたい」「行きたくない」
どちらを選んでも、自分の気持ちを大切にできる人でいてほしい。
~手放して、見えてきた景色~
「行かなければならない」を手放したら、
不思議と心が軽くなりました。
代わりに見えてきたのは、
“どう生きたいか”を一緒に考える時間の尊さ。
そして、
“行く”ことだけが成長じゃないという当たり前の真実。
学校は人生のゴールじゃない。
学び方も、生き方も、人の数だけある。
~今日の気づき~
“しなければ”を手放すと、心に自由が生まれる。
その自由の中で、自分の“したい”を見つけたとき、
子どもも大人も、本当の意味で成長していける。