考えてみると、私はずっと自己否定をして生きてきた。
なぜか。
いつも、誰かと比べながら自分を見ていたからだ。
比べては、「ここが足りない」「ここがダメだ」と粗探しをして、自分に×印をつけてきた。
そして、「あの人みたいにならなくちゃ」と頑張り続けてきた。
その象徴が、私にとっては“髪の毛”だった。
◆私の髪の毛事情
私は昔から、かなりクセの強いクルクルの天然パーマだった。
小学生くらいまでは、「クルクルで可愛いね」と言われることもあった。
でも、中学生になる頃には、そんな言葉では済まされなくなる。
毎朝、髪は爆発。どう頑張っても収拾がつかない。
高校ではさらに追い打ちが来た。
部活のルールで、全員ショートカットにしなければならなかったのだ。
理由は、「見た目から強くするため」。
仕方なく美容院へ行った結果――
完成したのは、見事なヘルメットヘアだった。
もちろん、全然強そうには見えなかった。
しかも、部活で汗をかけば、さらにクルクルになる。
耐えきれず、人生初の縮毛矯正にも挑戦した。
でも当時はまだ技術が今ほどではなかったのか、今度はハリネズミみたいなツンツンヘアになった。
髪の毛には、本当にたくさん悩まされてきた。
どれだけ親を恨んだかわからない。
「なんで私だけ天然パーマなの?」「妹はサラサラのストレートなのに」
そんなふうに思っていた。
私は、親の“良くないところ”を全部受け継いで生まれてきたんだ、とさえ感じていた。
鏡を見ながら泣いて、「大人になったら全部剃りたい」と思ったことも何度もある。
それくらい、自分の髪が嫌だった。
そして私は、何十年も“ストレートヘア”に憧れ続けた。
◆大人になって
結局、全剃りはしなかった。
その代わり、ストレートパーマや縮毛矯正等、美容師さんの技術や薬剤の力を借りながら、ずっとストレートヘアで生きてきた。
でも、40歳を目前にしてある時ふと思った。「もう、いいや」って。ストレートヘアにし続けることで、本来の自分を抑え込んで隠しているかのようにも感じた。
そんなことを経た今。
私は、自分のクルクル天然パーマ、今風に言えば「カーリーヘア」を、心から楽しんでいる。
自己否定をしながら、誰かへの憧れを追い続けることに、もう疲れてしまったのかもしれない。
私は、“自分らしく生きたい”そう強く思った。
カーリーヘアの私は、きっと一番「私らしい!」