世の中に天才と呼ばれる方がいますね。
アインシュタインとか、エジソンとか、音楽の分野ではモーツァルト、ベートーヴェンなどでしょうか。
天才というとどうも不幸がつきものというイメージもあります。
ホーキング博士なんかはそうかもしれません。
またベートーヴェンは耳が聞こえなかったそうです。
実は、自分の生涯は、自分で選んで生まれてきたものであるということを聞いたことがあります。
おそらく、ラクラク達成できると面白くないとおもって、わざわざハンデを背負って生まれてくるのかもしれません。
ただ、そもそも、100mをトップで走れる人が、ハンデを背負って、片足のケンケンで100メートル走りたいということもあるかもしれません。
それは、自分自身を鍛えるには良いと思います。
でも、100mトップで走れる人が、一般人の半分の時間で100m走るとという手法もアリと思います。
つまり、こちらの場合は、自分の余裕を他人に分け与えることができるわけです。
こちらの手法とるならば、わざわざ障害をもって生まれてくる必要はないと思います。
整理すると、魂の成長を目的として、
もし、障害を背負ってくるならば、利己の目的です。
でも、余裕を分け与えるという人生設計をした場合は、利他となります。
まあ、自分の人生なので、どちらでも良いと思うのですが、同じ能力があるのならば、わざわざ苦しい思いして障害を背負ってくることはないのではないかと思います。